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コンパクト・シティーの姿(7)---来るべき変動とデジタル化の遅れ

2020-06-25 | 地球の姿と思い出
コンパクト・シティーの姿(6)から続く。

(2)今、筆者がやりたいこと
少子高齢社会に直行する日本、今、筆者が一番やりたいことは、国と地方自治体の基幹業務システムの現状分析である。

現状分析の目的は、この日本に積もり積もった垢落としにある。積年の垢を落として手枷(カセ)・足枷を取り払い、身軽になって来るべき変動に対処する。

ここで忘れてはいけないことが一つある。それは、“変動”への対処を臨機応変に実施するには、日本が抱える二つの“遅れ”を解消しておかなければならない。

以上の活動方針のもとで、最初に“来るべき変動”、次に二つの“遅れ”を説明する。

(3)来るべき変動
まず来るべき変動、今から30~40年後に日本を襲う大きな変動、すなわち大幅な人口減少を説明する。

下の表1.*注)の左から3つ目の欄「10年前から減少」は、日本に起こると推定される人口減少の数字である。

表1.の説明
①表1.に示す2055年の「10年前から減少(単位1000人)」1027万人は、2055年の総人口ー(マイナス)2045年の総人口の値である。
 この頃から2075年まで年間約100万人ほどのペースで人口が減少する。ちなみに、表1.の2015年から2025年の人口減少は約594万人、年間約59万人程度である。年間約100万人の減少は年間約59万人の減少に比べて2倍近く大きな数字である。
 2055年頃に始まる大幅な人口減少で人心の動揺と混乱が予想される。その混乱を最小に止め、国の管理体制を正常に維持しなければならない。この時、コンピューターの力をフルに活用して少人数の体制で日本の行政実務を補助しなければならない。

②もう一点注目すべきは、2055年から65歳以上の老年人口も減少に転じる。2055年頃の65歳は現役の人も多いと思われる。その現役高齢者が第一線から引退するので、国が受けるダメージは大きい。このダメージもコンピューターの力で補助しなければならない。


ここで補足するが、上の表1.は、出典に示したとおり総務省統計局、2014年3月発行の「2-1人口の推移と将来人口(5年単位の人口)」のデータだった。

しかし、今年3月に最新版(2020年3月版)が発表されたので、表1.と同じ形式で2020年3月版のデータで表2.を作成した。【注意:表1.と表2.のオリジナルは5年単位である。】

下の表2.は表1.を最新のデータ(2020年3月発行)で更新したものである。ただし、2020年3月版では2075~2105年の総人口のデータがないので"No Data"とした。
 

表2.の説明
①表2.は表1.に比べて、人口減少と老年人口の減少が10年ほど早くなっている。

②2035年~65年頃の30年間、10年ごとに約1700万人、1800万人、約1500万人の人口が減少する。この減少から単純に年間減少人口を計算すると、年間170万人、180万人、150万人もの人口が減少する。
 
③この項目の記述は筆者の勝手な推測だが、毎年170万人(2045)、180万人(2055)、150万人(2065)もの人びとが、有形・無形の資産をこの世に残してあの世に旅立つ。また、持ちものだけでなく、仕掛りの仕事を残していくこともあろう。結果として、残った人々の仕事が異常に増えると考えられる。

④人口減少で利用者も減少して利用効率が低下する生活インフラのメンテナンスが国民に大きな負担となってのしかかる。公共と私有を問わず建物の建替え・取壊しが問題になる。また、治安維持上のニーズから国籍を問わず住民の正確なマイナンバーと所在管理が必要になる。

手持ちの仕事を継続する上に、さらに人口減少による後始末が加わるので全体の仕事量が増加する。現状維持プラス後始末に直面して日本のあちこちに混乱が起きる恐れがある。したがって、そのときに備えて日本は、法制度の整備と高効率のコンピューター・システムを用意しておくべきである。

「継ぎはぎだらけ」の「レガシー・システム」では治安・防犯上の空白が生じる恐れもある。故に行政の基幹コンピューター・システムの現状分析と贅肉落としが急務である。

次に日本が抱える二つの「遅れ」を説明する。

(4)二つの遅れ
江戸時代の教育水準は世界最高だったとの説がある。筆者も、若い時から最近まで50年以上も世界各地を見歩いたが、今では日本国紀の“世界最高の教育水準”*注)に同意する。【*注)参考:百田尚樹著「日本国紀」幻冬舎、2018、 pp.180-187】

庶民の寺子屋教育、武士の藩校、庶民の習い事などで民度を高めた日本は、文明開化を機にさらに発展した。しかし、1960年代の日本は、“学園紛争”という訳のわからない熱病に幻惑されてコンピューターという巨大なテクノロジーに乗り遅れた。

1)デジタル化の遅れ
筆者は手元に1冊の参考書を大切に保管している。この本はコンピューター・プログラミングの解説書、(誰でも)読めば分かる平易な参考書である。

この本の素晴らしさは、初めてコンピューターに出会った筆者でも、この解説書を頼りに自力でコンピューターを利用できた点にある。別の学科、線形計画だったが「毎日8時間の手計算で42年もかかる問題が、たった約3分で解ける(数学者の推定)」ことも体験した。もっとも現代のスパコン「富岳」から見れば、42年が約3分で済む程度では子供だましのスピードといわれるかも知れない。

本のタイトルは、当ブログのコンピューターの知識で引用した"A FORTRAN IV PRIMER" by E.I.Organik,  Professor of University of Houston, ADDISON-WESLEY PUBLISHING COPANY, US, London & Ontario, 1966である。レターサイズ版235頁の本である。Dr.オーガニックはコンピューター・センターと化学工学の教授だった。

郵便番号や番地の数字(文字)は計算できない。しかし同じ数字でも数値は計算できる。この違いが分かればOK。まら、数値の整数と実数の違い、実数と虚数の違いを理解すれば、だれでもコンピューターを使えるようになる。しかも、当時の学校でポピュラーなIBMやUNIVACなどの7社21機種の特徴も解説していたので、文系、理系に関係なく高校生や大学生の独学にうってつけ、当時のベストセラーだった。

筆者も1966年秋からセルフサービスで大型コンピューターを使い始め、今日まで「読み書きソロバン」はコンピューターに頼っている。しかしその副作用か、漢字は読めるが手書きはできなくなった。

留学前の四年間は船乗り生活、航海日誌や荷役作業は英語、さらに、船の生活では日本食とはあまり縁がなかった。そもそも、みそ汁やご飯の器はトップ・ヘビー(重心が高く不安定)、揺れに弱い器では食事が落ち着かない。

アメリカの生活では、言葉と食事には全く違和感はなかった。しかし、コンピューターばかりは大きなカルチャー・ショックだった。若い女学生が大型コンピューターを使いこなすのに、30歳近くの筆者はアフリカの学生並み、コンピューターの知識は皆無だった。自分の無知を情けなく思った。

もちろんコンピューターの利用は早朝から深夜まで自由、学生証にIDがあるので"A FORTRAN IV PRIMER"と首っ引き、寝食を忘れてコンピューターに取り組んだ。幸い、この参考書に必要な基礎知識は中学程度の算数と直流電気回路、つまり豆電球の直列接続と並列接続の違いが分かるていどの知識で十分だった。

コンピューターの仕組みを理解すれば後は簡単、必要に応じて数種類のプログラミング言語の文法を覚えればコンピューターの利用はOK、間もなくアメリカ人学生と同じ土俵に立つことができた。

60年代のコンピューターは幼年期、その言語は数学系(FORTRAN)、連続系、離散系(discrete)、電気回路系、ビジネス系(COBOL)など、言語の数は少なかった。当時の言語は自然科学系が中心だったが、機械設計、構造解析、故障診断、文章解釈などの分野は発展途上だった(現在の言語数は300以上)。なお、コンピューター・サイエンス(学部)は7、8割が女性だったと記憶している。

無知への悔しさと猛勉強の結果、自慢ではないが翌年には、工学部に採用されてコンピューターを利用する学生たちをサポートするヘルプ・デスクも務めた。その時、Social Security Account(社会保障番号)も与えられた(マイナンバーの遅れ参照)。

大学卒業後も、仕事の上でコンピューターの利用が続き、その急速な発展を目の当りにした。確か90年代だったが、アメリカ社会ではSTEM能力*参考)の必要性が叫ばれ、筆者もその必要性は当然と思った。

STEM能力へのニーズはSTEMにまつわる個々の知識より、STEM全体を生活の一部と認識する感覚(センス)が大切だと考えられた。まさに、江戸時代の子供が身に付けたと思われる「読み・書き・ソロバン」を身近に思う感覚である。【*参考):ヒューストン再訪(3)---iD Tech Camp:STEM教育(2016-08-10)

一方、ここ数十年の日本社会を振り返ると、60年代にコンピューターの知識もなくゲバ棒を振るうヘルメット姿の学生たちが奇異に見えた。日本の教育界と政治家たちはコンピューターの潜在能力を読み違えた。コンピューターの活用はさておき、あの頃のアメリカ人学生は、通学のバスを待つ時間もテキストを広げていた(成績が悪いとベトナム行きと聞いた)。彼らは卒業に向かって真剣に勉強した。

他方、日本の学生、兄や姉たちを見ていると、入試は熾烈、しかし入学すれば期末試験以外はあまり勉強しない、それでも卒業できた。たとえてみれば、日本の大学は遊園地のプール(泳げなくても溺れない)、アメリカの大学は競走用のプール(泳げなければプールからつまみだされる)に見えた。

あれから2010年になっても小学生一人にパソコン一台が進まない現実、社会のデジタル化がすっかり遅れてしまった。ハノイの孫が通うインターのDistance Learningはアメリカ並みであるが、日本はいまだに相当遅れている。その遅れは、最新ハードを買う「予算が不十分」ではなく、日本社会を覆う「STEM感覚の欠落」にある。・・・1960年代に「読み・書き・ソロバン」のソロバン(コンピューター)を忘れた日本教育のツケは大きい。

いつからかは忘れたが、STEMと聞くとなぜか学生時代に耳にした「サソリの毒は後で効くのよ」が聞こえてくる。【参考:日本の将来---5.展望(24):日本の工業製品:素材の底力(2016-04-25)、1.製品設計の最後部を参照

今回の新型コロナウイルス騒ぎでまたも「サソリの毒=デジタル化の遅れ」を感じた。その一つは、東京都の新型コロナ感染者数の情報収集システムである。

東京の各医療機関から保健所経由で毎日の感染者数をFaxで報告するシステム、5月中旬に感染者数のダブリ、漏れなどが明らかになった。

度を越した多忙さに見舞われている医療機関を考えるとき、システムの運用ミスを非難するつもりはない。しかし、前時代的な発想に落胆する。筆者は、Faxと聞くと、天気図や水路通報、新聞を受信していた半世紀前の「ほのるる丸」を思い出す。

医療機関が作成した報告書を毎日Faxで都庁まで送信する。それは確かに報告書の郵送よりは早いが、「データ発生現場でのデータ入力=ペーパーレスの原則」からはほど遠い。ペーパーレスを実現するためにオンライン・リアルタイム・システムや全世界をリアルタイムで網羅するインターネットが90年代から普及した。

ペーパーレスの手近な例はスパーやコンビニのバーコード・スキャナーである。すなわち、POS端末(Point of Salesデータ入力機器=売上げデータ発生現場でのデータ入力)、つまり[お店のカウンターで売上伝票作成→本社に郵送またはFax→本社でコンピューター入力]という一連の作業を短縮したのがPOS端末(例:オンライン・バーコード・スキャナー)である。

ペーパー(紙)を前提にする厚労省&都庁発案のFax情報収集システムには、見た目は分かり易いが紙のハンドリング・ミスや紙情報固有のタイミング・エラーが隠れている。紙の量が増えると、ミスやエラーが重なり、相乗効果で現場は混乱、トラブル回復に思わぬ作業が発生する。その危険性を指摘する人がいなかったのは残念である。当ブログで紹介したが、システム設計に必須のOperational Feasibility Study(運用性の検討)に抜けがあった。・・・新聞記事には「集計ミスがあった。」、読者「あっ、そうだったか」で終わり。しかし、日本の「デジタル化の遅れ」はかなり重症である。

次回は「2)マイナンバーの遅れ」に続く。


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