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日本の将来---5.展望(10):コンパクト・シティー、エトナ(USA)

2014-10-25 | 日本の将来
8)岡山市の路面電車から続く。

9)コンパクト・シティー
インターネット上にさまざまな解釈があるが、要約するとコンパクト・シティーは、都市の中心部に役所、公共機関、商業施設、住居などの機能を集中させた小規模(コンパクト)な町である。これは、無計画な都市の郊外化と中心部の空洞化への反省である。

このコンパクト・シティーの概念は、1970年代にアメリカで提唱され、ヨーロッパに広がり、2000年代の日本では青森市が事例として有名になったとインターネットにある。前回に紹介した岡山市や東北地方の復興計画でも盛んにこの言葉がでてくる。

筆者がこの言葉を耳にするとき、90年代に訪れたアメリカのエトナ(Etna:CA)を思い出す。(注意:イタリア、シチリア島のエトナ火山ではない。)

エトナは、カリフォルニア州の北部、オレゴン州に近い人口1000人足らずの小さな町である。町の中心にシティー・パーク(City Park)があったので日本語では“町”でなく“市”と呼ぶべきかも知れない。

エトナへのアクセスは、メドフォード(Medford:OR)から5号線でワイリーカ(Yreka:CA)まで約70km南下、この町で3号線に乗り換えてカラマス国立森林公園(Klamath National Forest)に沿って約40km南下する。この辺りは、美しい森林地帯、娘が馬に乗りたいというのでこの町に住む友人一家のお世話になった。友人の旦那は鉱山学博士の森林保安官だった。

農林牧畜業が主な産業というエトナへの出入りは3号線だけ、中心地のメイン・ストリートは2~300m程度だった。そのメイン・ストリート周辺に役所、郵便局、教会、銀行、図書館、小学校やスーパーマーケットが徒歩圏内に集まっていた。サーカスやバンジョーの演奏会はシティー・パーク、日曜日の集会やバザーは小学校、何かがあればメイン・ストリート界隈で用事を済ますことができるコンパクトな町だった。都会のダウンタウンや日本の駅前の「○○銀座」といった商店街とは違い、エトナは西部劇に出てくる町に似た雰囲気だった。前者の主役は商店と娯楽施設、後者では保安官事務所、電報局、旅籠(ハタゴ)、酒場、銀行、万屋(ヨロズャ)、駅馬車の駅が定番である。

山岳地帯の小さな盆地にあるこの町では、庭は林の一部で燃料のマキは自給自足、パイプを打ち込めば豊富な地下水が得られる。家に鍵をかけることもなく、そこに住む人々は皆知り合い、車ですれ違っても挨拶を交わす仲だった。日本人の筆者と娘は珍しいよそ者、しかし“友達の友達は皆友達”というまでもなく接する人々は皆素朴でフレンドリーだった。

娘を乗せる馬を選ぶために、牧場の女主人が「自由の女神」のように森に向かって右手を上げると、あちこちの木陰から音もなく馬たちが集まってくる不思議な光景を見た。自動散水機が行き来する広い畑は山々に続き、その先はカラカラの乾燥地帯だった。乾燥した森林はタバコの灰からでも引火しそうで恐ろしく思った。当然、禁煙だった。

火の気がなくても、ドライ・サンダーストーム(雨を伴わない雷と嵐)が原因の山火事も多いとか。山火事のたびに森林保安官の友人(友人の旦那)も山に入ることになる。時には、消火に爆薬を使うこともあるという。80年代末のエトナの山火事では、太陽が煙に隠れ昼間もヘッドライトを点灯して走ったそうである。

アリゾナの砂漠のように乾燥した森林に、白っぽい岩壁に囲まれた小さな湖があった。鮮やかな水色で透明な水、幅100m程の白い砂浜、長径30cm近くの乾ききった松かさ、これらの光景とそこに住む人々の記憶が「コンパクト・シティー」に重なっている。

90年代の当時、筆者は「コンパクト・シティー」という言葉を知らなかった。しかし、今では「コンパクト・シティー」と聞くとエトナを思い出す。「コンパクト・シティー」の「シティー」は市、町、村のいずれでもでもよく、筆者が思う「コンパクト・シティー」は次のような場所である。
①見える範囲内で用事を済ませることができる場所・・・万屋(スーパー)やワン・ストップ・サービス
②お互いに知り合っている人々が出入りする場所・・・地縁と安心
③街道で近隣の町につながっている場所・・・親愛、友好、楽しみ、希望、憧れにつながる「遠い世界」

③の「遠い世界」は、古い映画「スペンサーの山」のラスト・シーンが代弁する:
奨学金を得てワイオミングの山村から大学に進む若者が町に向かうバスに乗ってきた。若者は、バスの後部座席から見送りの家族を振り返る。隣の乗客:「どこに行くの?」、若者:「遠いところに」と一言、これがラスト・シーンだった。

よく考えると、「コンパクト・シティー」は昔の田舎町である。欧米日本を問わず、その土地固有の自然環境とそこに暮らす人々から町が生まれる。その町は、ただの田舎町といえど、時と共に成長する。また、短期間で出現した街もある。たとえば「3.ベトナムの日系工場、タイの工業団地」で紹介したプラザ(ハノイ旅行(3)、2014-06-10)も一種のコンパクト・シティーである。

続く。

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