船乗りの航跡

地球の姿と思い出
ことばとコンピュータ
もの造りの歴史と生産管理
日本の将来

想像の旅---船乗りのホームポート(続き)

2018-12-25 | 地球の姿と思い出
カサブランカ(4)から続く。

今回のカサブランカ(5)は来月25日に延期、久しぶりに帰国した孫たちと山下公園のホテルに宿泊、公園を散策した。

この時期の日没は早く、5時を回ると港は夜景に変わる。眼下左手の大桟橋に飛鳥Ⅱ、右手に氷川丸のイルミネーション、正面に赤灯と緑灯が点滅する。外海に向かって赤灯の左側と緑灯の右側は防波堤、赤灯と緑灯の間が航路と、世界の決まりになっている。

60年代、筆者が船乗りだった時代には、公園の目の前は外航船の係留所、「ほのるる丸」クラスの貨物船は昼夜の区別なく荷役を続け、終了と同時に出港した。通勤時間ゼロの船内作業、国内や欧州諸港では残業200~250時間/月は当たり前の世界だった。高度成長への助走期だった。確か、航海士は乗組員の残業を査定・承認したが、自身の残業を記録・管理した記憶はない。

あれから60年の歳月が流れ去り、港も筆者も様変わりした。

横浜港の貨物船は防波堤の外側の岸壁に移動、山下公園前の海面はときどき大型客船が出入りするほかは、パイロット・ボートやタグ・ボートが行き交うだけになった。往時の夜通しの荷役や貨物を満載した艀(バシケ)の動きは、防波堤の外のコンテナー・ヤードに移って久しい。

また、かつては船乗りだった筆者にも多くの変化があった。昔は荷役作業でデッキを駆け回った筆者も、十数年前の心筋梗塞と数年前の脳梗塞を経て今ではすっかり静かになった。気ままな海外旅行も自粛、山下公園を「船乗りのホームポート」として空想の旅でストレスを解消している。

「船乗りのホームポート」にふさわしいこのホテル、今ではすっかり気に入り、今年は二度目である。前回は気付かなかったが、今回ホテルのロビーで帆船のディスプレーを見付けた。

それは、下の写真に示す横帆(オウハン)と従帆(ジュウハン)の帆船たちだった。

            二艘の帆船
            

写真の左は「日本丸」、右はガンターである。横帆の「日本丸」は筆者が経験した「海王丸」の姉妹船、燃料なしで世界を永遠に駆け巡る幻の帆船である。また、従帆の軽快なガンターは今にもエメラルド・グリーンのカリブ海に飛び出しそうに見える。これらは「船乗りのホームポート」を母港とする帆船であり、今日から筆者の自宅に停泊、Ready to go(いつでも出発OK)である。

孫たちに招待されたホテルの模型の帆船は魔術師?・・・突然タイム・スリップに見舞われた。

そこでは、風に流される手作りの帆船を追う少年に戻った自分、その自分より年上の少年(孫)と並んで同じ帆船を見つめている。一瞬、戦慄が筆者の背筋を走った。

次回は、カサブランカ(5)に続く。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする