2023年1月8日BSBHK「もういいかい、小椋佳ファイナル」をやっていました。彼は御存じのように「シクラメンのかほり」(歌:布施明)「俺たちの旅」・(歌:中村雅俊)、「愛燦燦」(歌:美空ひばり)等2000曲以上の作詞を手掛け、作曲、歌手活動と多士済々に活躍されて来ました。彼はこのレコーディングを最後に引退されるそうです。彼は1944年生まれと私にも年齢が近く「もういいかい、2022・2023年コンサート等の映像」に学び、ライフワークで週1回程度研究を続けて行きたいと思っています。
小椋佳作詞方針
① ありきたりの文字の羅列にはしない
② 常に考え続ける(縁語に留意する、例・海→波、島)
③ 歌作りは青春時代
④ 歌詞の持つ力
⑤ 斬新な組み合わせ
「シクラメンのかほり」
口語短歌
「過ぎていく季節や時を思い出す 何を惜しむや呼びもどすのに」
シクラメンのかほり/ 布施明と小椋佳
「シクラメンのかほり」
歌 布施明
作詞 小椋佳
作曲 小椋佳
真綿色した シクラメンほど
清しいものはない
出逢いの時の 君のようです
ためらいがちに かけた言葉に
驚いたように ふりむく君に
季節が頬をそめて 過ぎて行きました
うす紅色の シクラメンほど
まぶしいものはない
恋する時の 君のようです
木もれ陽あびた 君を抱けば
淋しささえも おきざりにして
愛がいつのまにか 歩き始めました
疲れを知らない 子供のように
時が二人を 追い越してゆく
呼び戻すことが できるなら
僕は何を 惜しむだろう
うす紫の シクラメンほど
淋しいものはない
後ろ姿の 君のようです
暮れ惑う街の 別れ道には
シクラメンのかほり むなしくゆれて
季節が知らん顔して 過ぎて行きました
疲れを知らない 子供のように
時が二人を 追い越してゆく
呼び戻すことが できるなら
僕は何を 惜しむだろう
「研究」
かおり(香り)、かおり(薫り)の旧仮名遣いは「かをり」であって「かほり」ではありません。またシクラメンに香りはないようです。しかし、小椋桂氏は東京大学法学部卒という学歴の持ち主です。なぜ「かほり」にしたのか?小椋佳はある女性に向けて「シクラメンのかほり」を作っていたのでした。小椋佳さんの奥さまだったのです。小椋佳氏の奥様のお名前が「桂穂里」で、ひらがなで書くと「かほり」なのです。つまり、小椋佳氏はシクラメンを奥様になぞらえて歌にしていたのです。桂穂里さん、幸せな女性です。この歌は小椋佳作詞方針全てを駆使した最高峰の名曲と言って良いと思います。
小椋佳プロフイール
小椋 佳(おぐら けい、本名:神田 紘爾(かんだ こうじ)、1944年1月18日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家である。
来歴・人物
東京都下谷區東黒門町(台東区上野)出身。両親は飲食店を経営。
東京都立上野高等学校、東京大学法学部卒業後、日本勧業銀行(後の第一勧業銀行、現:みずほ銀行)に入行した。銀行マンとして証券部証券企画次長、浜松支店長、本店財務サービス部長などを歴任する傍らで音楽活動を行ってきた。またこの間、ノースウェスタン大学留学や、メリルリンチ証券派遣など、米国滞在を経験している。
1971年、歌手デビューした。当初は、フォークソングあるいはニューミュージックに分類されていたが、次第にジャンルを広げていった。
初コンサートは1976年10月7日NHKホール、2度目は1982年1月普門館である。
1993年、銀行を退職すると、音楽活動の一方で母校の東京大学法学部に学士入学。さらに文学部とその大学院でも学び、2000年に修士号を取得した(哲学専攻)。
他の歌手への提供曲も多く、1975年の「シクラメンのかほり」(歌:布施明)は第17回日本レコード大賞などを受賞した。その他、「俺たちの旅」・「時」・「俺たちの祭」(歌:中村雅俊)、「愛燦燦」(歌:美空ひばり)、「十六夜だより」(歌:三橋美智也)などがある。作詞のみを担当した曲としては「愛しき日々」(作曲・歌:堀内孝雄)、「山河」(作曲:堀内孝雄、歌:五木ひろし)、「白い一日」(作曲・歌:井上陽水)がある。作曲のみを担当した曲では「匠」(歌:三橋美智也)がある。また、アニメーション『銀河英雄伝説』のエンディング曲、校歌・市歌・社歌なども数多く手掛けている。
参照
https://www.youtube.com/watch?v=EFu0kq88YEk
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