のっくのカムプレ

足をのばして、深呼吸して、小さな花を見つけた“comfortable place”

生誕80周年を記念して。

2009-05-28 13:51:36 | Weblog
「アンネの日記」読了しました。

アンネが生まれて今年で80周年になるということでした。
なのでそれを記念して。

「アンネの日記」を今更?
なんて思われる方も多いでしょうね。
だって中学生くらいの子が読む本として有名ですから。
私はずっとこの本に触れる機会がなく、アラフォーとなって初めて機会を得たわけであります。

読む前のアンネのイメージ。
隠れ家生活の中でも賢く強く逞しく生きた女の子。

今のイメージ。
“賢く強く逞しく”は今もあります。
でも、それだけでなく、おきゃんで、自惚れ屋さん。(小さい頃のアンネの写真を見たら百聞一見だと思います。)
そして、同居者に対する大いなる批判精神の持ち主。これには結構驚かされます。。。

隠れ家の中で一番年少のアンネ。
おしゃべりで大人の会話に口にはさんむアンネに、大人たちの厳しい目が注がれることが多かったよう。
大人たちはアンネに向かって「子供のくせに」と言い、
アンネは「思春期の少女が言うのはおかしく聞こえるこもしれませんが、わたしとしては、自分が子供でもあるより先に、一個の人間であり、誰にも縛られない独立した人間であると考えているのです。…」と。
こんな立派な表現は思いつきもしませんでしたが、”こんなことよく私も同じ年ごろの時に思っていたよなぁ”なんて思わされました。

立派ばかりのアンネでなかったから読み進めることができたような気がします。
また、アンネの持っている“おきゃん”なキャラクターに魅力を感じたらこそ惹きつけられたのだと思います。

アンネは隠れ家生活の中で学ぶことを忘れず、また、恋もしています。
そして、大人たちが話す政治の話にそっと耳を傾けます。
読み進めているとナチにの迫害から逃れて隠れ家生活をしている少女に思えなかったりします。
たとえ、秘密警察や止まぬ空襲に怯えるときがあったとしても、アンネの生活と心の中はナチですら完全に侵すことはできなかったのです。

アンネは将来の夢についてこのように日記に記してあります。
「わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること!その意味で。神様がこの才能を与えてくださったことに感謝しています。このように自分を開花させ、文章を書き、自分のなかにあるすべてを、それによって表現できるだけの才能を!」

夢は叶い私たちは存分にその恩恵をアンネから享受させてもらってます。

でも、みずみずしい感性の持ち主のアンネが今まだこの世にいてくれたら、そのことが残念でたまらない。

2年間。

2009-05-23 20:22:01 | Weblog
2年間の任期が終了しました。
今日、新任者への引き継ぎを済ませてきました。
新任の方の不安そうなお顔を見ると、自分の仕事が終わったからと言って安心出来ません。

でも、えい、やっ、てお任せしなくちゃね。
そうでないと、生意気ばかり言ってしまいそう。

あ、この手提げ?

仕事の間ずっとお供してくれました。

六太から教えてもらうこと。

2009-05-14 20:32:56 | Weblog
職場の方より「宇宙兄弟」というマンガを借りました。

正直最初はそんなに期待をしないで読んでました。
高校生の男の子が読むマンガでしょ、なんて思って。

それが、それが、なのです。

小さい頃より宇宙が大好きな兄弟。
二人の夢はもちろん宇宙飛行士。
でも、実際にその夢を着実に叶えているのは弟の日々人。
兄の六太(むった)は上司とケンカをして仕事を辞め宇宙飛行士どころか先の見えない状態。
そんな六太がJAXAの宇宙飛行士選抜試験を受けることに…。

かなり笑える場面が多くありました。
それは六太のキャラからくるもの。
妙に見栄っ張りで、素直でないところもあります。
風貌はお笑い芸人みたいだし。
でも、何故か憎めないキャラなんです。

ところで、なんとなく実生活で勉強になったなと思ったところは最終試験での場面。
閉鎖空間の中に同じく最終試験まで残った5名と2週間閉じ込められます。
その中であらゆる課題が課せられます。
その課題の一つにグリーンカードというのがメンバーに与えられます。
それは、夜中に安眠を妨害するようなアラーム音を出させたり、窓のない部屋で唯一時間の感覚を知らせてくれる時計を壊させたり、、、。
全てメンバーにストレスを与えるようなものばかり。
他のメンバーは誰がこのようなことをしているかは知らないから、仲間を疑い出す。
そうでなくとも閉じ込められた環境の下、他の課題も強いられストレスはピーク…。

宇宙での仲間割れは命取りになる可能性だってある。
犯人探しをして責任を追及することがベストであるか、それとも…。
六太の想像を絶する勘違いや、そして独特(?)な思いやりに驚かされます。

普段の仕事の中での仲間のミスでしなくていい苦労を味わうことだって少なくない。
それをミスした本人のせいにすることが本当にいい仕事をする上で有益なことか。

私は弱いから、自分にゆとりがない時はミスをした本人のせいにしてしまうかも。
でも、本当はそんなことじゃ何も解決していないんだよね。
事実や結果より、もっと大切なものがあってすべてがそれで動いているような気がします。
じゃあ、その大切なものって? 

…うーん、わからん。

手作り味噌

2009-05-14 07:55:11 | Weblog
昨日、母の味噌作りの手伝いをしてきました。

と、言ってもほんの少しなんですけどね。

全て手作り。原料も母なりにこだわりのものを使ってます。

このお味噌のおかげで両親宅、兄宅、姉宅、そして私の自宅、どこへ行ってもお味噌汁のお味は同じでございます。

母の日のチェロリサイアル

2009-05-10 22:36:40 | Weblog
今日は母の日。

皆さんはお母さんに何か贈り物をしましたか?

私は姉と一緒にパンツ(下着じゃないよ)をプレゼントしました。

あと、掃除と鍋磨き。…変な贈り物?!

今日は、母親の妹から譲られたというチケットを貰い一人でチェロのコンサートへ行ってきました。

母はファイターズの試合に夢中でそれどころではなかったです。

普段は全く聴かないクラッシック。

私なんかが行っていいのかしら?って感じ。

会場はN市のお金持ちマダム達がすでに集まっています。

演奏者の林峰男さんは気さくな感じの方。

ピアニストの方はインテリな雰囲気の美人さん。

ところで、肝心な演奏は…?!

良かったです。たぶん。

貧弱な感想しか出てきませんが良かったです。

特に、「文楽」という日本人が作った曲は、チェロで奏でているのにお琴のように聴こえたりして異色な感じでした。

地元で味わうクラッシックもなかなかのものですよ。


湖の畔で。

2009-05-10 09:00:19 | Weblog
久しぶりに東野圭吾さんの本を読みました。
「レイクサイド」という本です。
小川洋子さんの「犬のしっぽを撫でながら」と一緒に買ってそのままになってました。

主人公は子連れの女性と数年前に結婚。
自分との間に子供はできなかった。
現在、その妻はわが子の中学受験のことで頭がいっぱい。
夏休み。受験合宿と銘打って妻の友人でもある4組の親子と湖畔の別荘に滞在。
そんな中、主人公の愛人が登場。
そして、不可解な殺人事件が。。。

親たちの受験戦争のストレスから生まれた狂喜。
わが子を愛するあまりの奇行。
夫婦の微妙な関係。
実子でない子を本当に愛せるか。

これだけ言葉を連ねてみると重いって感じですよね。
でも、最後まできちんと読むとうるるるってきます。

「彼等は大人よりもはるかに残酷なんです。しかも計算高い。何か行動を起こす時でも、大人よりもはるかに冷徹に計画を練るんです」

でも、真相はもっともっと違うんです。

湖畔に浮かんだボートの行先を知ってみませんか?

「分け合い助け合い、そして感謝の心」

2009-05-06 22:30:01 | Weblog
帚木蓬生さんの「安楽病棟」を読了しました。
ところで、“帚木蓬生”って読めますか?
私は全く読めませんでした。
「ははきぎほうせい」と読むそうです。。。

大学を卒業し将来を嘱望されている若いナース。
本人の希望で認知症の方が入院している専門病棟に配属。
理想の看護を実践する中で相次ぐ患者の急死。
実は決して公表されることのない実験が、、、。

筆者が精神科医というだけあってかなりリアルでした。
特に安楽死に関する記述なんかは読みふけってしまいました。
数年前にどこかの病院で、家族から安楽死を懇願された医師が実際に行い事件になったことを思い出しました。
その時はその事件に関与した医師に対し少し同情したりもしました、、、。

小説の中で安楽死をテーマとした講演会でのエピソード中、参加者からこんな意見が出されていました。
70歳を過ぎた男性です。
前置きとして安楽死先進国のオランダでは重篤な認知症患者が安楽死の対象の一つとされている旨の説明があります。
「老人に対する安楽死がその国の財政を救うのだという風潮があると、無言の心理的圧力が老人に加わるのではないか。(中略)つまりすべての老人が、痴呆や重病になったとき安楽死を望む書状によって処分されるのではないか。書状をしたためておかなかった老人は、国家財政を食いつぶす厄介者として、社会から白眼視されるのではないだろうか」
老人医療費が国の財政を圧迫しているという事実は年々深刻になるばかりです。
それは、変えることのできない事実。
でも、本当に先が短い人々を国のためという大義名分の中で安楽死させてもよいのか。
安楽死がその人の意思かそうではないかとはまた別の問題があるような気が初めてしました。

「感謝は、痴呆が進むにつれて言葉は出なくなりますが、態度はいつまでも残っています。食事のたびに手を合わせたり、入浴のあと、介助役の職員に向かって土下座する患者さんもいます。身体を洗ってもらって申し訳ないという気持ちなのでしょう。分け合いと助け合い、そして感謝の心の三つは、現在のお年寄りをかぐくんできた奥ゆかしい文化の名残りかもしれません。これがもう少しあとの世代になると薄れていき、私たちがあの病棟のお年寄りの年齢になったとき、もはやそんな美点もなくなっているはずです。その意味では痴呆患者であっても、わたしたち以上に人間的だと言えるのです。」

とても身につまされるメッセージです。
私の病院に入院しているおじいちゃん、おばあちゃん、そして自分の祖父母。
みんな優しく、思いやりの心があり、常に感謝の心があります。

私は本当の意味で満足な看護ができているのだろうか。
現在の問題点(認知症)ばかりに目を奪われていないだろうか。
ご高齢の方を尊い、心から大切にしなくては。
社会のお荷物なんて決して思ってはいけない。
そういう風潮の世の中になったとしたら、それこそ世の中は終わりのような気がする。