◆第43回「討論のできない日本人、朗読得意な日本人」◆▽
生身の人間同士が討論をして、解決の道を探すというのが、ソクラテス以降の伝統的な欧米社会のスタイルだ。
一方、ふみの文化、すなわち、書き言葉を中心に発展してきたのが日本だ。海外の有名な小説、論文、記事などを輸入して、翻訳して、国民へと知らしめる。これが、伝統的な日本社会の輸入文化のスタイルだ。
さて、
NHKワールド(海外向けのNHK放送)で、民主党の圧勝に終わった、09年衆議院選挙報道(Newsline: Japan Decides)を見ていて、なんだか、違うなあ、との思いが募ってしまった。
NHKの政治記者が、その割り当てられた半分以上の時間を、英文記事の朗読にあてているのだ。アンカーパーソン(司会者)との会話というよりも、原稿朗読に熱中して、ほとんど目を上げず、選挙解説をしていた。日本の最高の報道機関の記者が、海外向け英語番組で、会話をしていないのだ!
これは、NHKの他の海外向け放送の番組を見ていたときも、時々不思議だなと感じることと一緒だ。
Asia 7 Daysのときもそうだった。Asian Voicesのときもそうだった。他の日本人ゲストと同じように、原稿を読むのが主で、会話や討論というスタイルではない。これは、NHKだけに限らず、政府関係の国際会議や国際学会でも、日本人参加者によくみられる光景である。
なぜ、こんな演出が許されているんだろう。
このグローバル化された社会で、
生身の人間同士が意見を交換しあい、
互いの弱み・強みを認識して
別の解決策を見つけようという舞台では、
ほとんどと言っていいほど、日本人が登場してこない。
さて、今回の衆院選挙報道では、アルジャジーラでは、中国系リポーター(香港出身かな?)が、CNNでは、中国系アメリカ人のリポーターが東京からリポートをしていた。
NHKワールドの記者も、エスノセントリック(自国中心主義)から現地リポーターの活用へと変化しつつあり、以前と較べたら、柔軟性もいや増しているようだ。
世界英語という視点から考えると、これまでの安易な(アメリカン)ネイテイブ崇拝はもうそろそろ終わりにしたらどうだろう。日本には、英語をしゃべれる人材が、そんなに枯渇しているのだろうか、それとも、日本国民の完璧症がそうさせているのだろうか。(もし、完璧主義を貫くのなら、ハードルが高すぎて到底マスターできないだろう)
また、経験上から判断すると、
「読む-書く」時に使う脳の部位と、
「聞く-しゃべる」時に使う脳の部位は、
どうも違っているらしい。
一方、NHKワールドのJ-Techでは、パックンマックンのマックンが英語で解説をし、J-Waveでの別所哲也の長年の起用もなかなか素晴らしい演出だ。
今後とても大事になると思われるのは、
・グローバル時代に即した、英語で主張できる人材の育成(原稿を読むのでなく)
・ネイティブやバイリンガルに限定せず、日本語なまりの英語でも、討論に参加し、しゃべれる人材への応援
である。
最後に、ちょっと視点を変えてみよう。
情報のデザイン面で言うと、
情報のサイクルは、情報を収集して、蓄積し、分析/活用し、それを配信(発信)するというのがグローバルに知られたことだが、世界を相手にするときは、どうしても、英語という世界語の存在を語ることなくしては意味がない。
吉原欽一氏が提言するように、この情報の流れに必要なシステムやインフラを構築することは、オールジャパンの喫緊の課題である。
その中でも、最も遅れをとっているのは、英語での情報発信の仕組みづくりであり、これなくしては、日本は、ますます孤立化への道を歩み、ガラパゴス化の世界へ浸りつづける、ことは言を俟たない。
※上記の写真は、左がJ-Wave Tokyo Morning Radio Blogから、中央と右はNHK WorldのWebサイトから使用した。
【参考サイト】
◆NHK Newsline
◆吉原欽一『米中のG2時代で問われる日本のスタンス~「情報安全保障」の重要性を認識せよ』
(日経BPnet 特集:09衆院選 政権選択 新政権が実行すべき政策は何か2009年8月26日より)
「日本の国益に資する情報を収集し、守り、活用し、そして発信するために必要な制度、システム、インフラを構築することは、変わりつつある世界のなかで、オールジャパンで取り組む最重要課題である」