イスラエル旅行記

旅行記が完成したので、あとは普通に。、

99.嘆きの壁

2006年10月26日 | Weblog
【写真:ドームと嘆きの壁】外国の本より


 やがて、嘆きの壁の入り口、糞門に到着。バスを降りて少し歩き、手荷物の検査を受けて中へ入ります。そこから更に歩いて、ようやく嘆きの壁に着きますと、シムハット・トーラーの日で、カメラもビデオも禁止されました。エライものを見てしまったという感動と、それを録画できない残念な気持ちが交錯して、何ともやりきれない数分でした。倉田さんが言います。

「今日はお祭りなんで、ちょっと嘆きの壁には近寄れませんが、ここがユダヤ教徒にとっては最も大切な場所であり、また最も神聖な場所となっています。昔、バビロン捕囚から帰還した人たちが建てて、ヘロデ大王が改修した神殿が、紀元70年、ローマ軍によって崩壊させられました。その時に残ったのが神殿を囲んでいた壁の一部で、現在、嘆きの壁と言われている、この西の壁です。
 そしてその後、ユダヤ人は世界各地に離散して行ったわけですが、毎年この壁に来ては、泣きながらメシヤの来臨と神殿の再建を祈り続けていると言われています。また朝ごとに、壁が夜露に濡れて泣いているようにも見えるので、嘆きの壁と呼ばれるようになりました」

「高さはどれくらいあるんですか」
「18m、あるいは21mとも言われています。下から7番目までの大きな石が第2神殿時代のもので、その上の4段がローマ時代に付け足された部分ですね。さらにその上にあるのが、マムルーク・トルコ時代の石だそうです。地下にはまだ、第2神殿時代の大きな石が17段、あるいは19段埋まっていると言われています」

「ずいぶん大きな石ですが、あれがまだ17段も埋まっているんですか」
「そうです。大体21mですね。・・・・1948年のイスラエル独立戦争で、この壁はヨルダン領になりまして、それから19年間にわたって、ユダヤ人がこの壁に近づくことは許されませんでした。しかし、1967年6月7日、イスラエル軍の手で再びユダヤ人のもとに返ったわけです」

「今、あれは何をしているんですか」
「シムハット・トーラーと言ってですね、ユダヤ教徒は毎週安息日に、シナゴークの礼拝でトーラー(モーセ五書)を朗読するんですが、仮庵の祭りの翌日に、読み終えたことをお祝いする祭りなんです。彼らは来週からまた、創世記、出エジプトと読み始めて、1年で終えるようにするわけです。・・・・・それでは参りましょう」

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