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くまくまDays~アデレードな日常~

新しい環境の中で感じたことをつれづれに書きつづります。

「保護する責任」から見たリビア空爆(その3)

2011-03-22 21:37:09 | 大学について
リビア空爆は今日も続けられたようです。オバマ大統領は、訪問先のチリでインタビューに応じ、(飛行禁止空域を設定した)「国連安保理決議に忠実に行動する」と述べ、介入が限定的であることを示唆したようです。

【参考:asahi.comより】
http://www.asahi.com/international/update/0322/TKY201103220136.html

リビア情勢は依然として予断を許さない状況ですが、昨日に引き続き、「保護する責任」から見たリビア空爆を考察してみます。

一昨日、昨日にも述べたとおり、「保護する責任」は、国際的に広く受け入れられつつある概念であることは間違いないと思います。ただ、それが国際規範になっているかといえば疑問を挟まざるをえません。というのも、「保護する責任」にもいくつかの論点が内在されているからです。これら一つ一つを論じていくと、修士論文になってしまうので、そのうちの大きなもの、「right authority」について考察します。

「right authority」とは、簡単にいえば、誰が武力行使を認めるのか?ということです。
二度の世界大戦を経て、世界では、自衛戦争を除き、武力行使が一般的に違法とされています。「世界政府」といったものがない以上、武力行使を「容認」したり、「否認」したりする権利は理論上はどこにも存在しないことになります。

ただ、前述の、「主権と介入に関する国際委員会」ではこの問題も当然のことながら議論され、当面、国連安保理以外にこの役割を果たしうる機関はないとしています。(安保理が機能不全に陥った時には、国連総会がその役割を代替すべきとも言われています。)

現実問題として、国連安保理以外に権威ある国際機関はないというのは大方納得いただけるのではないかと思います。ただ、国連の成り立ちを考えた時に、この安保理が未来永劫にわたって、長期的に権威ある組織であり続けるのかは疑問が残るところです。

安保理の決議があったからといって、従来からの、「武力不行使」「内政不干渉」といった国際規範を乗り越えられるのかということも問題になります。
(バンキムン事務総長は今回の介入は、「内政干渉」に当たらないとのメッセージを出しています。)

以上、3回にわたり、「保護する責任」の一端を紹介しました。
私個人として、介入に賛成・反対の意思表示をするつもりはありません。国際関係論において主流になりつつある、「保護する責任」という概念を皆さんに示すことで、感情的な議論を排し、世界各地で起きている事象に目を向けてほしかったのです。

もし、ご要望があれば、保護する責任について、さらに詳しく説明しますが、ひとまず今日で終了します。リビア情勢が再び大きな転機を迎えた時に、また、この話題は更新します。


「保護する責任」から見たリビア空爆(その2)

2011-03-21 23:03:35 | 大学について
昨日に引き続き、リビア空爆について考察してみます。
とはいえ、日本ではまだまだ地震関連のニュースが多いですね。昨夜のNHKニュース7ではさすがにリビア関連のニュースがあるかなと思っていましたが、30分間全て地震関連でした。確かに被害の大きさを考えれば当然かもしれませんが。

さて、今日は、昨日記した、「保護する責任」の4つの要件が今回のリビア空爆に当てはまるかなどについて考察してみます。

(a)正しい意図(right intention):介入の主要な目的が、人間の苦痛の排除にあること
連合軍がリビア空爆の目的としているのは、「飛行禁止空域」の設定であり、ガタフィ政権側による反政府勢力への無秩序な空爆をやめさせることと言われています。ご案内のとおり、「飛行禁止空域」を国際社会が設定すると言っても、それが実効あるものになるためには、敵側の制空権を抑える必要があります。そのために、連合軍は、ガタフィ政権側の対空能力を奪うべく、軍事基地などを攻撃しています。

この時点では、連合国として、ガタフィ政権の打倒まで直接的に踏み込んだわけではありません。国際社会の足並みが若干乱れる中、そこまで踏み込んで言及してしまえば、空爆への了解が取れなかった可能性さえあります。

ただ、多くの国が、そこまで見通しているのもある程度事実だと思います。実際、イギリスのヘイグ外相は、「ガタフィ大佐を攻撃目標とすることは、状況次第」(時事通信より抜粋)として、含みを持たせています。

人道的介入の歴史をたどっても、饗場(2008)によれば、「介入主体の意図・動機には人道目的の利己的要素が付随し、場合によってはそれが主要な部分を占めうるのがむしろ一般的」である。また、Frank&Rodley(1973)は、「自国に利益がない時には介入しないのが一般的」とさえ言っている。

考えてみればそれも理解できる。自国民の兵士を危険にさらす以上、いわば理想主義的な人道目的以上に、実利的に、自国民に武力行使を納得させうる「利益」がなければならない。そのため、大国が人道目的以外を念頭において軍事行動を行ったからと言って直ちに非難されるべきではないと考える。必要なのは、人道目的と、それ以外の目的のバランスである。

連合軍の意図として、「飛行禁止空域」を設定することで、ガタフィ体制側を停戦交渉のテーブルにひっぱりだそうとしており、それ自体は純に人道目的と言えると思います。

(b)最後の手段(last resort):あらゆる非軍事的選択肢が尽くされたこと
国連安全保障理事会における決議、旧宗主国のフランスをはじめとした欧州各国による調停、国連から派遣された特使、アフリカ連合(AU)による仲介など、報道されている限りにおいても、国際社会が各種の外交的努力をしてきたことは紛れもない事実だと思います。

問題は、すでにその外交努力が決裂するほどの状態なのかということです。ただ、政権側の反政府部隊への攻撃は悲惨さをましており、その攻撃はとどまるところを知りません。こういう中で、停戦合意をいっこうに進めようとしない政権側の態度は国際社会の受忍限度を超えたと言えると思います。

(c)比例的手段(Proportional means):軍事規模の行動・期間が必要最低限のものであること
中国・ロシアなどが今回の軍事作戦に積極的に賛成していない(安保理決議でも棄権した。)以上、大規模な軍事作戦に発展することは、英米仏としても避けたいはずです。また、オバマ大統領が述べているとおり、アメリカ軍は陸上部隊の派遣を決して、決してしないと繰り返し言及しています。陸上部隊が投入されれば長期化は避けられませんからね。(a)でも述べたとおり、連合国による攻撃は政権側の軍事基地などに対して行われているようです。

(d)妥当な見込み(reasonable prospects):軍事行動により事態が改善する見込みがあること
繰り返しになりますが、連合軍としては、「飛行禁止空域」を設定することで、ガタフィ体制側を停戦交渉のテーブルにひっぱりだそうとしており、実際、ガタフィ政権側は、「即時停戦に応じるよう全部隊に命令した」と発表しています。ただ、この命令がどの程度実効性のあるものなのか、あるいは見かけ倒しなのか、それはここ何日かの推移を見守る必要があると思います。


今日もだいぶ長くなってしまいました。
明日は、「保護する責任」に内在する論理的な問題点を中心に考察します。

「保護する責任」から見たリビア空爆(その1)

2011-03-20 23:19:41 | 大学について
地震関連のニュースとともに、大きく報道されているのは、英米仏などによるリビア空爆開始のニュースです。中東・北アフリカの各国で頻発する民主化デモは、今回の空爆により、新たなフェーズに入ったと言えます。

ここ1週間ほど、地震・津波関連のニュースが多かったので、私自身十分キャッチアップできていないところもあるかもしれませんが、国際関係を学ぶ身として、今回のリビア空爆について思うところを、今日から数回にわたり、まとめてみたいと思います。まずは、ニュースでも取り上げられる「人道的介入」についてです。

「人道的介入」とは、読んで字のごとく、大規模な人権侵害などを防止するなど人道的な目的を持って、他国の主権を一時的に侵害して、それを防ぐことです。この介入には、武力行使のみならず、経済制裁などの貿易面、また外交ルートを通じた交渉など様々な面を持っています。

国際関係において、特に、ウェストファリア体制以降、「国家主権」というものは絶対視されてきました。いかなる理由があろうとも、国家主権を侵害するようなことはできないというのが現代国家における暗黙の了解でした。

ただ、「国家主権」を盾にして、自国民を虐げるようなことを国際社会が放置していいいのか?という問題が起きます。コソボはその事例としてよく取り上げられます。

それらの問題に一つのヒント(答え)を与えるものとして登場したのが、「保護する責任」(Responsibility to Protect)です。これは、当時の国連アナン事務総長の呼びかけで作られた、「介入と国家主権に関する国際委員会」(International Commission on Intervention and State Sovereignty)によって提唱された概念で、国際関係論においては、「R2P」と呼ばれています。また、私ごとですが、先学期には、「保護する責任」をテーマにして論文を書きました。

従来の「人道的介入」が、国家主権を「管理としての主権(Sovereignty as Control)」と捉えていたのに対して、「保護する責任」においては、「責任としての主権(Sovereignty as State)」と捉えなおし、避けられる惨害から自国民を保護する責任が各国政府にあるとしたうえで、それを当該政府が果たさない場合(または果たせない場合)、国際社会が当該政府に代わって、その責任を果たすべきという概念です。

これまで、「国家主権」vs「介入」の二者択一だったものが、国際社会による関与を理論的に認めることで、水と油のように相対する二つの概念をつなぐものになることが期待されています。R2Pは、その後、国際社会で広く支持を集め、2005年のサミットにおいてもその概念が認められるなど国際的地位が高くなっています。

細かい議論は省略するとして、R2Pにより、どのような場合に、武力行使が認められるのか。上記委員会の報告書では、それを細かく論じていますが、大別すると以下の通りです。

(a)正しい意図(right intention):介入の主要な目的が、人間の苦痛の排除にあること
(b)最後の手段(last resort):あらゆる非軍事的選択肢が尽くされたこと
(c)比例的手段(Proportional means):軍事規模の行動・期間が必要最低限のものであること
(d)妥当な見込み(reasonable prospects):軍事行動により事態が改善する見込みがあること

では、今回のリビア空爆を以上の4つの基準に当てはめて考えた場合、どのように解釈できるのでしょうか?
だいぶ長くなってきたので、明日以降続きを書くことにします。

授業で募金を

2011-03-15 21:29:28 | 大学について
地震・津波が起きた後、今日は最初の授業でした。

授業が始まる前に教授に挨拶に行って、授業冒頭2分間をもらい、今回の震災の現状などを伝えたうえで、ぜひ募金活動に協力してほしい旨を伝えました。

話し終わった後は、特段の反応はありませんでしたが、授業終了後、何人かの方が声をかけてくださいました。

「(オーストラリア)政府も支援金を出すだろうけど、僕も君のために、少しだけ力になるよ。」

と聞いた時には思わず胸が熱くなりました。

また、モンゴルかたの留学生からは、「日本とモンゴルは非常にいい関係。民主化支援から相撲まで日本には非常にお世話になっている。今回は僕らが君たちを助ける番だ。」とも言っていただきました。

もしかしたら、「何かしたい」という私自身の自己満足なのかもしれません。
でも、それでもいいと思うんです。
彼ら、彼女らの1ドル、2ドルだって、大きな力になるんですから。

3月、そして大学スタート

2011-03-01 23:05:02 | 大学について
今日から3月。アデレードは夏とは思えないくらいの寒さです。
最高気温は21度。最低気温は12度ちょっとって秋を通り越して冬に近い天気です。暑さが懐かしいというのは贅沢かもしれません。

長かった夏休みもようやく終わり、今週からようやく大学がスタートしました。
これまで空いていた大学の図書館もいつものざわつき。大学のまわりのいろいろなお店にも人が戻ってきました。

そして、今日から授業もスタートしました。新しい学期、新しい教授、新しいクラスメート。
今日はまだまだアイスブレイク的な感じだったので、内容には深く立ち入らなかったですが、なぜだか緊張しました。
約3カ月も夏休みだったので、「カン」を取り戻すのに時間がかかりそうです(涙)

ただ、一気に現実に引き戻される瞬間があります。それは来週までに読まなければいけない課題を与えられた時。
両面縮尺印刷にしても、ゆうに50枚は超えます・・。

明日から、また図書館通いの日々が始まります。
さあ、頑張らなくちゃ。。

第2公用語が中国語??

2010-11-18 18:37:25 | 大学について
今日の午後の出来事。

図書館で本を読んでいた時のこと。館内アナウンスがかかる。

[館内で盗難事件が発生しました。身の回りの持物に注意しましょう。]

ここまではいつもと同じ。ただ、今日は一味違った。

なんと同内容(と思われる)放送が中国語で流れたのだ!!
中国語のニュアンスや意味はわからなかったが、タイミングからして同内容を放送したものに間違いない。

あれ?いつから、大学の図書館の第2公用語が中国語になったんだろう(笑)?
確かに中国の方と思われる利用者は多いです。。でも、こんなところまで中国の影響が及んでいるかと思うと。。

なんだか複雑な気分です。


課題の提出方法

2010-11-04 21:07:19 | 大学について
課題の提出方法というのは、大学・学部によって違うと思いますが、わが学部の提出は以下の通りです。

(1)まず、カバーシート(表紙)に、教授名、授業名など必要事項を記入し、学部事務所(といっても2~3人しかいませんが)に持参。

(2)Date Stamp(日付刻印機)を使い、提出時間を記入。


(3)大きなホッチキス(英語では、Stapler)を使い、表紙+課題を一緒にとめる(このホッチキスかなり古いですが、かなり強力です。使っていて怖いくらい・・。)


(4)エッセイ提出用のポストに入れる。


これだけです。

簡単と言えば簡単ですが、誰も教えてくれないんですよね・・。
わたしも直前に同じ授業を受けている人に聞くまでは分かりませんでした・・。

それにしても、簡単すぎます。
1カ月以上かかって書き上げたエッセーを提出するのにかかるのは3分以下。
そんなものなのかもしれないけど、あっけなさ過ぎてちょっと拍子抜けです。

結果は約1カ月後に出るみたいですが、かなり緊張です。。

盗難注意!!

2010-10-20 21:29:38 | 大学について
いうまでもなく、大学は安全な場所なのですが、最近は多少様変わりしているようです。

特に図書館は、日本のようにその大学の学生しか入れない(カード式でなど)などにはなっておらず、
極論を言えば誰でも入れるような感じです。

それを知ってか知らずか、大学の図書館では、2日連続で盗難事件が起きています。
詳細は不明ですが、いきなり館内放送があったかと思ったら、

「いま、盗難事件がありました。パソコン、財布など貴重品を放置しないようにしてください。
図書館に、泥棒が潜んでいる可能性があります。」

という放送があったもんで、館内は若干ざわざわ・・。
そりゃそうですよね。図書館に泥棒がいるなんてあまり思っていないですもんね。

大学はPCの数が少ないので、個人PCを持ち込んで勉強している人が多いんですよね。
そして、トイレに行ったり、本を借りたり、多少は荷物から目を離すこともあるんで、
よく考えたら「泥棒」には絶好のカモですよね・・。

そして、図書館内の警備が強化されるとともに、こんなものが配られました。

少し見にくいかもしれないので、改めて書くと・・、

If we had time to leave this note...
A thief had time to steal your possesion.

普通に「手荷物注意!!」と書かないところがオーストラリアっぽいというか、ちょっとイキな感じがしませんか?

学生による授業評価

2010-10-19 21:09:17 | 大学について
今学期も終わりに近づいています。7月に学期が始まったかと思えば、早くも3カ月もたってしまったのですね・・。

アデレード大学だけではないと思いますが、学期が終わりに近づくと、生徒による授業評価が行われます。
日本の大学でも、教授の教え方、授業内容を評価する制度は割と定着しつつありますよね。

ただ、この大学ではそれがかなり徹底しているんです。

例えば、アンケートの扱い。日本では、教授への(無言の)プレッシャーという名の下、「参考」程度にしか
扱われないことが多いのではないかと思いますが、こっちでは、来年度継続して採用されるか、来年度の給与水準など
重要な問題に大きな影響を与えるそうです。つまり人気がない(授業がおもしろくない)教授、講師はクビになるようです。
この辺は、さすが欧米という感じですよね。

さらに評価項目の細かさも特徴的です。
日本でもあるような、授業がおもしろかった(役に立ったか)という定番の質問だけではなくて、
モチベーション向上に役立ったか、リサーチスキルを向上させるような適切なアドバイスをしていたかなど約20項目について、7段階で評価します。

これほど項目が多いと評価する生徒側も大変ですが、ここまでやられる教授側も大変だ・・と思いました。


10月になったので暖かい日が続くかと思えば、そうでもなく最近はちょい涼しい日が続いています。
春はいずこへ・・?






対テロ措置の脅威?

2010-10-12 20:30:41 | 大学について
今日は久しぶりに大学の授業で、くまのプレゼンがありました。
いや~、緊張しました。

お題目は「テロの脅威は実際にあるのか?」というもの。
当然ながら、テロは世界各地で頻発しているものの、同時に対テロ法による人権侵害等も実際に起きているというもので、
それをどのようにバランスさせていくかというもの。

くまの発表は、指定された論文に示されている論点(例えば、対テロ法による人権侵害は、テロの脅威よりも実際に大きい。)に
反論しつつ、日本の対テロ戦争(WWⅡの治安維持法の世界から、地下鉄サリン事件まで)を紹介しました。

発表自体は無事に?終わったのですが、なんとなく消化不良な感じがするんですよね。

というのも、国家による対テロの取組には、絶対というものはなくて、常に見えない敵と戦っている状態では、
ある意味、必要とされているレベルよりも少し多めに措置を取ってしまうのは仕方ないと思うんですよね。
だって、失敗は許されないんですから。失敗=自国民の犠牲=大きな批判という構図が成り立ちますよね。

もちろん、'absolute security'と呼ばれている状態は不可能であるということは、政府が一番分かっているはずですが、
可能性をゼロにするためには、政府によるあらゆる努力が肯定されてしかるべきだというのが率直な感想です。
「テロ」の名のもとに、過度の人権侵害は許されないと思いますが。。

(参考論文)
Wolfendale, J, 'Terrorism, Security, and Threat of Counterterrorism'ほか

オーストラリアと東南アジア関係

2010-10-06 20:47:01 | 大学について
今週から学校が再開しました。
今日の授業のテーマは、オーストラリアと東南アジア関係でした。

オーストラリアと東南アジアの関係性は必ずしも良好であったわけではありません。
簡潔にいえば、マレーシアをはじめとして、東南アジア諸国側に、オーストラリアを
「アジア」として受け入れる素地が少なかったことに加え、
オーストラリアのアメリカとの同盟関係等が大きく影響しています。

とくにマハティール・マレーシア首相は、オーストラリアが地域機関に入ることを強く反対し、
公の場でオーストラリアを批判するような、「泥試合」の様相も一部に見られました。

ただこの間も民間ベースでの交易は盛んになる一方です。
同首相の引退後、ASEAN諸国は「Asia」という価値感に基づく外交よりも、
経済関係を重視する「practical」な外交へと舵を切ることになったのです。
ASEM(アジア・欧州会議)にオーストラリアが今年初めて参加したというのも
その流れの一環だと思います。
(おそらく日本ではこの事実自体あまり報道されていないと思いますが。)

外交は多様な側面があるので、経済関係の深化を無視することはできないのは事実です。
ただ、その背景には、基本的な「筋」というか主義主張があるべきで、
両地域関係にはそのようなものが感じられないというのが今日の感想です。
対中関係の際も上記のようなことは感じましたが、
例えば中国(チベット)の人権問題など、センシティブな部分を棚上げして
経済関係のみを強化するのは、ある意味、その問題を助長(放置)していることになるのではないでしょうか。

相手を怒らせると、あとが怖い・・。
それも事実ですが、外交とはお金だけで解決できるものではないと思うのです。
皆さんのご意見はいかがでしょうか??

中豪関係

2010-09-15 22:25:09 | 大学について
先週の授業は日豪関係についてでしたが、今週のテーマは中豪関係です。

いわずもがなですが、中国経済のパワーは強大です。
オーストラリアとの貿易関係でいえば、長年1位の座を死守していた日本の地位は
数年前から中国にとって変わられています。
日本人観光客は依然として多いものの、
オーストラリア国内で話される言語のうち、1位の英語はもちろんですが、2位は中国語です。
さらに、留学生の約2割以上は中国人といわれており、オーストラリアと中国の

経済的繋がりの強さを感じさせられます。
中国にとってオーストラリアは、(日本同様に)石炭、鉄鉱石などの
天然資源の安定的な供給者であり、自国の経済発展に不可欠な存在です。

一方で、オーストラリアはアメリカの同盟国であり、
安全保障条約(ANZUS条約)などを通じて、外交的にアメリカに深く依存しています。
このバランスをどうやってとるのか?それが大きなテーマです。

9.11以降中米関係が改善したことから、中豪関係、米豪関係ともに比較的良好な状態が続いています。

しかし、逆にいうと、オーストラリアの外交は、中米関係いかんによって
大きく変わってしまうという意味で、非常にもろいものともいうことができます。

今日の授業では、経済関係を中心とした中国との関係は今後も発展させつつ、
国家のハードコアな部分(安全保障など)は、アメリカとの関係を強化させていく。
そんなバランス感覚がオーストラリア外交には必要といった論調でした。

しかし、言い方は悪いですが、[八方美人]的外交でいいのでしょうか?
もちろん中国もアメリカも大切です。しかし、八方美人では有事の際に
アメリカ・中国という[踏み絵]を迫られることになり、
ひいてはオーストラリアの国益を損なうことになってしまうのではないか。
と、発言したところ。

教授からは、[strategic ambiguity]だよ。

と一言だけ返事がかえってきました。

[クサイもの]にはフタをして、お互いが利益を得る部分で積極的に協力していく。
そんなものかな〜とも思いましたが、win-winの関係をお互いが得られるのは、
逆にいうとそれしかないのかなとも思いました。

うーん。

プレゼンテーション

2010-09-08 22:43:08 | 大学について
今日の授業は、「日豪関係」について。

この授業では、毎回数人が特定のテーマについてプレゼンをするのですが、
今週は、の番でした。
正確に言うと、を含め、3人が担当でした。

まずは、第2次世界大戦後の日豪関係を時系列で整理し、
補完的経済関係を中心に両国の関係が発展してきたことを説明。

そして、文化交流もさかんに行われており、例えば、アデレードは姫路市の
姉妹都市で、市内には「姫路ガーデン」もあるんですよ~と言ってみたのですが、
残念ながら誰も知りませんでした・・。

ただ、中国の台頭を背景に、オーストラリアにとって日本の相対的地位の低下が
問題になりはじめ、両国は新たな関係を模索することとなります。

それが、政治・軍事面での協力であり、2007年には両国間で、
「安全保障協力に関する日豪共同宣言」に署名し、2+2や共同訓練の枠組みが締結されました。
第2次世界大戦後、安全保障関係で協定を結んだのは、アメリカ以外ではオーストラリアが
初めてであり、その意味で日本の有史にとっては大きな出来事でした。

そして、民主主義・人権尊重・法の支配などの基本的価値を共有する国として、
戦略的重要性は今後とも増していく。

それを端的に示すのは、ハワード首相(2007年)の言葉。
'Australia has no better friend or reliable partner in Asia- Pacific region other than Japan'

内容はこんな感じです。

今学期に入ってから初めてのプレゼンで、かつ、評価の20%を占める(らしい)ので、
かなり緊張しました。

しかも、の前の発表者が、オーストラリアは東アジアの関与政策を
やめて、カナダ、アメリカともっと付き合うべきだ!みたいな結構過激なことを言って、
(当人はもちろんですが)教授を含め殺伐とした雰囲気の中、プレゼンをやらなければ
いけなかったのは想定外でしたが、なんとか終わってホッとしています。

なんだか一気に疲れました・・。

ARFの将来

2010-09-01 21:58:52 | 大学について
世間的にはあまりなじみはないかもしれませんが、
ARF(ASEAN Regional Forum)と呼ばれる、安全保障を中心にした地域機関があります。

これまでも、APECやASEANなど、東アジアのさまざまな地域機関を
取り上げてきましたが、今日の授業は、ARFを中心にした地域安全保障体制についてです。

ARFは、名前の通り、ASEAN諸国が中心となって1994年に設立されたものですが、
現在では、日本、オーストラリアはもちろん、アメリカ、カナダ、中国、北朝鮮、EUも含め、
25カ国が参加しています。

運営に当たっては、いわゆる'ASEAN Way'と呼ばれる、コンセンサス方式がとられており、
大国が多く関与しているにも関わらず、アセアン方式が強く影響しています。

ARFとして、
(1)信頼醸成(confidence building)
(2)予防外交(preventive diplomacy)
(3)紛争管理(conflict management)
の3段階を目指すとされておりますが、上述のとおり、
運営に強力な力がないので、(ARF自身も)(1)と(2)の間にいると認めているところです。

特徴的なのは、北朝鮮が加盟していることですかね。
(6者協議を除いて)安全保障関係の地域機関に北朝鮮が参加しているというのは、
それ自身画期的で評価されるべきものなのかもしれません。

ただ、加盟国の増大とともに、その当初の目的は薄れつつあります。
(白書発行や軍事協力などの)信頼醸成措置自身も、各国でどの程度までオープンにするか
絶対的な権限が認められております。

そして何より、米中が一種牽制しあう形で「あいのり」していることにどのような意味が
見出せるか?ということだと思います。
もちろん、大国間の安全保障関係の、「話し合いの場」としてはそれなりに意味が
あるのかもしれません。
ただ、それは現状を固定化させる機能はもちつつも、それを発展させる機能は
期待できないですよね。。

東アジアは、'Region of instability' と言われることがあります。

ARFというのは、まさにその象徴ではないかというのが、今日の感想です。

Social Capitalとテロの関係性

2010-08-31 22:36:37 | 大学について
Social Capitalにはさまざまな定義があるのですが、ロバート・パットナムらによると、
「人々の協調的行動を活発にすることによって社会の効率性を高めることができる社会的仕組みの特徴」
と定義されます。

平たくいうと、隣組や○○会などを通じて、個人が社会に関与することによって、
(総じて)ポジティブな結果が見込まれるというものです。
(例えば、政治参加Up、治安Up、地域経済活性化などを例に挙げています。)

もうひとつの問題は、自爆テロに志願する人は、なぜ自己の生命を犠牲にしてまで
テロという究極の選択をするのか。

これらをSocial Capitalとの関係で考えるというのが、今日のテーマです。

テロという行為自体、どんな形であれ非難されるべきものであり、
その考え自体はかわりません。

ただ、自爆テロに志願する人たちの多くは、(論文によると)非常にピュアな気持ちで
これに参加しているとのこと。
その背後には、単に個人の宗教的な理由だけではなく、
組織的な理由、社会的な理由が複雑に絡み合っているとのことでした。

(こういう言い方は、個人的には気分が悪いのですが、)論文によると、
自爆テロという攻撃は、軍を養成し、敵に攻撃をしかけるという正規軍に比べて、
非常にリスク・コストが小さく、その意味で、戦略的に「合理的」というのが、組織的な理由です。(敵に対する潜在的な心理的影響も計り知れないと述べています。)

一方で、自爆テロを行った者(含む家族)を英雄視する風潮が社会的な理由です。
一種の不満は皆が抱えている状態では、テロ行為者は自分にできないことを
代わりに行ってくれた「英雄」となるわけです。

つまり、個人が「脅威」を認識するにあたっては、生まれながらにして
それが備わるわけではなく、social capitalと呼ばれる各種団体・社会の影響を
大いに受けながら、個人の認識を形成するということです。

その意味では、social capitalはパットナムがいうように、総花的で
バラ色のものだけではないようですね。

「脅威」というものは相対的な存在で、文化・社会などの影響を多分に受けるというのが、
今日の授業のまとめでしたが、ある種、テロ自体を既存のものとして受け入れた議論と
いうのは、聞いていてあまり感じのいいものではありませんでした。
(といっても、英語が早すぎて、半分くらい聞き取れていないのですが(笑))

参考論文
Putnum, 'Social Capital: Measurement and Consequences'
Hafez, 'Rationality, Culture, and Structure in the Making of Suicide Bombers: A Preliminary Theoretical Synthesis and Illustlative case study'
ほか