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くまくまDays~アデレードな日常~

新しい環境の中で感じたことをつれづれに書きつづります。

卒論提出!!

2011-10-27 18:17:00 | 大学について
昨日の記事の続きを書きます。なぜ、Thebarton(セバトン)に行ったかというと、卒論を印刷するため!です。別にもったいぶる必要もなかったのですが、なんとなく。

印刷所はいくつかあるみたいですが、学部事務所におススメはどこかときいてみたら、ほとんどの学生が利用している(まあ、私と同じようにほとんどの学生が学部事務所の紹介で利用しているから必然と言えば必然ですが。)会社を教えてもらいました。詳細は以下のとおりです。

William Herley & Son Bookbinder Pty Ltd
28 Dew Street, Thebarton, SA, 5031
08-8443-7515

http://www.wharley.com.au/

セバトンのトラムの駅から、ホールデンの店の角を西側へ10分ほど歩いた場所にあります。店構え自体は、大丈夫かな・・(笑)という感じですが、事前の問い合わせにも迅速かつ親切に対応してくれて、なかなかよかったです。お店の名前からもわかるとおり、家族経営のお店です。


納入から製本までは、基本的に24時間。逆に言うとそれだけの時間でできるということですね。そして完成したものが、こちら!!うーん。感慨深いですね。15,000字というと果てしないように感じましたが、ここ3カ月、さらにいえば留学生活の集大成として書いたものですからね。ページ数は、約75ページ。厚さにすると1センチ強。そんなに薄いのか・・とちょっと拍子抜けしてしまいました。


ちなみに上記の写真は、裏面カバーの写真です。プライバシー保護のための裏面の写真を載せていますが、表面やサイドには、このように名前、タイトルが金字で入っています。写真は過去の学生の卒論のものです。


お値段は、ページ数、両面(片面)印刷、タイトルを表紙に印刷するか等によってかわるそうです。私の場合、約75ページ、片面印刷、タイトル入りで、3部作成して約170ドルでした。単純にいえば1部作成するのに5,000円くらい。決して安くはないけれども、こうやって形に残るものとしては決して高くない金額ですよね。

過去の学生の卒論を見られるスペースがあるので、来学期からはそこに私の卒論も並ぶかと思うとうれしいような恥ずかしいような。。


そして、今日、学部に提出してきました!!これでいよいよ大学も終わりです。昨日まではなんとなく卒論をやりきった感がなかったのですが、学部職員に「congratulation!!」と言われて、ようやく終わったんだ・・。と実感がわいてきました。

全然関係ないと思いますが、帰宅途中に買い物をして、そのお釣りでもらった1ドルコインが、現在パースで開催されているCHOGM(Commonwealth Head of Government Meeting)の記念硬貨でした。コインマニアではないけれど、なんだか得した気分になったのは、卒論が終わったからだけではないと思います。


とりあえず、終わった!!と大きな声で叫びたい(笑)

ちなみに卒論の審査には2カ月ほどかかるそうです。
その意味では、厳密にはまだ終わっていないんですけどね・・。
そして




卒論も大詰め。

2011-10-23 21:28:06 | 大学について
卒論が大詰めの段階を迎えています。内容としてはほぼ出来あがっていて、仮に明日提出しろと言われても大丈夫な状態です。何回も何回も読み返しては、文法やら時制やら細かい点を直しています。どこかで諦めが必要なんでしょうが、読み直す度にどこか間違いというか修正点が見つかるのでやめられないのが実情です。とはいっても、明後日には印刷所に入稿しないといけないので、今日、明日が最後の山場なのですが。

卒論を書くときに、形式面で注意していることが2点。

(1)毎日違うファイル名で保存すること
毎日少しずつ書き足しているので、上書きして保存することも可能なのですが、消してしまったあとに、昨日の○○の表現の方がよかったな。。と思うことは少なくありません。そのためにも、毎日違うファイル名で保存しています。さらにいえば、あとから見返した時に、毎日少しずつ前進していることがわかるので、精神衛生上も非常にいい効果があると思います。

難点としては、同じようなファイルが多数できてしまうことでしょうが、USBのメモリーがいまは大きいものばかりでしょうから、それほど問題ではないですね。くまも、実質的に書き始めた9月下旬からファイルがどんどん更新されています。もうすぐ「final」のファイルができるのが楽しみですね。


(2)ウェブメール上の自分のアドレスにファイルを毎日保存すること
何が起きるかわかりません。途中まで書いていたものが急に消えてしまったり、USBの内容がすべて消えてしまうなんて恐ろしいことが提出直前に起きないとは限りません。また、USBを紛失したり、盗まれたりする可能性も・・。私の身の回りでは事件は起きていませんが、伝聞形式では、提出直前に・・という話はよく聞きます。途中バージョンのものでも、残っているのといないとでは大きな差ですからね。

とまあ、こんな感じで卒論はもうすぐおわりそうです。

いつもは図書館のsilent study areaで勉強しているのですが、土日は午後5時で図書館が閉まってしまうので、学部の大学院生専用の自習室に久しぶりに行ってみました。

前学期はこの自習室が主な勉強スペースだったのですが、今学期からは、学生の「たまり場」のようになってしまって、とても勉強する環境ではなくなってしまったので、随分と足が遠のいてしまいました。久しぶりに行った自習室は、カオスでした(笑)

以前はこんなに整然としていたのに・・


いまはこんな感じ。ワイン飲みながら勉強ですか?クッキーも置きっぱなしですけど・・。変なキャラクターの置物がたくさんありますけど・・。


このソファーはおそらく図書館から拝借してきたのではないかと思います・・


大抵、研究室やゼミ室などはこんな感じかもしれません。ただ、この部屋は特定の人(ゼミ生)が集まるための部屋ではなく、学部の院生であればだれでも使う事が出来、その意味で「公共」の場所です。さすがに日曜夕方は誰もいなかったので、静かに勉強することができましたが・・・ワインやクッキー、ジュースをそのままにしておいていいのか~と叫びたくなるようなひどい状態でした。

まあ、ワイワイガヤガヤした雰囲気の中でも勉強できるということがオージーの特性であるならば、それは、純粋に称賛すべきだとおもいますが、私には無理ですね。。

卒論の進捗状況

2011-10-17 22:09:23 | 大学について
アデレード大学で私が所属している学部では、大学院の締めくくりとして卒業論文の執筆が必須となっています。大学院レベルの卒業論文ともなると、例えば他の学部では、文系学部でも、ソーシャルワークやアンケート、インターンなどのいわゆる実地体験をベースにして行うものが少なくないのですが、私のまわりでは、純粋に論文を執筆することが通常です。

規定の文字数は15,000字(参考文献を除き、注釈を含む)です。グラフや図などを用いない場合、A4換算で50ページほどのボリュームです。

「15,000字」という数字をどのように評価するのか?「15,000字の論文を書いている」と大学の友人等に話すと、「まじで!!それは大変だ!」という反応が多いのですが、結論からいえば、書き始めてしまえば、決して、ひっくりかえるほど多い文字数ではないと思います。もちろん、決して少なくない文字数であるのはいうまでもありませんが。例えば、前学期には、8,000字の論文を2本(計16,000字)書いて提出しています。それと比べれば、テーマは一つでいいということを考えると、単純に文字数だけを見ておののく必要はないということです。

上で、「書き始めてしまえば」、と書いたのは、書き始めるまでが大変であり、15000字の論文の要旨や筋書きをあらかじめ決めてるまでのプロセスが大変だという趣旨です。もちろんテキトーに書き始めることもできますが、それでは、地図がないまま航海へ出かけるのとほぼ同じ無謀な行為です。

さて、前置きが長くなりましたが、私が卒論のテーマとして選んだものは、「日豪関係」についてです。捕鯨問題や一部の貿易問題などを除いて、日豪関係が比較的良好であるのは、多くの方が認めるところだと思います。ただ、良好な関係も、時間を経るごとに、一種のマンネリ状態になり、昨今の貿易相手としての中国の台頭を背景に、オーストラリアの経済外交が従来の日本一辺倒から中国やインドへ軸足を移しており、その結果、従来の日豪関係を見直す時に来ています。

そんな「マンネリ状態」を解消するブレイクスルーとして、安全保障(特に、2007年の日豪安全保障協定)と貿易(特に、日豪FTA交渉)に注目して、戦略的観点から新たな日豪関係を展望しようというものです。「戦略的観点」というのは非常に便利な言葉で、こう書くと非常に堅苦しくなりますが、要するにいいたいことは、「オーストラリアは、もっと日本と仲良くしてね。それがお互いにとってベターだと思うよ。」ということ。

規定の文字数(15,000字)は既に達成しました。要旨、イントロダクションなども含めた文字数は16,000字弱となっています。学部の規定では、15,000字以下となっているので、むしろ削らなければいけないですね。

ただし、これまで、文法や単語についてはある程度目をつむって、荒い言い方をすれば文字数を稼ぐことを念頭にやってきました。おそらくネイティブが読んだら、??と思うところもあるでしょうから、これから1週間くらいかけて、参考文献の整理と英語のブラッシュアップに努めます。このステップが大切なんですよね。何回見直しても間違いが見つかってしまう。

印刷所にもまわして製本して提出しなければいけないので、少なくとも、製本に耐えうるようなものにしたいと思っています。実質的にはあと1週間。長いのか、短いのかわかりませんが、大学生活の集大成として、ちゃんとした論文を提出できるように頑張ります。とはいえ、提出後2カ月程度は論文審査に時間がかかるみたいです。

卒論といっても、そのまま博士課程にすすむ人はどこかの学会に提出することもあるみたいですが、修士レベルの論文はそれほど重要ではなく、いわば授業の延長線上といったところです。かといって、認められなければ、マスターの称号はもらえないので、気を抜かずに最後までやりぬこうと思います。

休日の大学

2011-10-16 20:35:43 | 大学について
土日の大学の夕方はものすごく静かです。写真は夕方5時過ぎの大学構内。たまたまかもしれないけど、人っ子一人歩いていませんでした。


別の校舎もガラーンとしています。


図書館が5時に閉まるのはちょっと勘弁して欲しいけど、それを除けば比較的快適な環境です。平日は学校に来ている学生も、休日は家でのんびりというところでしょうか。

大学図書館で、最近、私が勉強しているスペースの写真。たまたま誰もおらず、非常に静かに勉強することができました。


Learning Hubが完成してからというもの、コンピュータを使う学生やグループワークをする学生がそちらに移ったおかげで、図書館本体が少し静かになったと思います。いい傾向ですね。日本の図書館のように、完全に静寂なわけではないですが、勉強できないほどうるさいということはほぼなくなりました。

図書館のあるべき姿に戻ったといえばそれまでですが、卒論執筆している私にとっては、静かな勉強環境は非常にありがたいです。

しかし、来月は試験シーズンなので、今月後半頃からは学生の大幅な増加が見込まれます。試験前になると学校や図書館に来る学生が増えるというのは、日本もオーストラリアもあまり変わらないので。

騒がしい学生が増えて、またまた騒がしい図書館になる前に、卒論をちゃちゃっと片付けないと。

P.S ワラビーズ対オールブラックスの試合はすごく白熱していましたね。ただ、終始オールブラックスが押していて、ワラビーズはいいとこ無しという感じ。地元開催だし、ぜひ、オールブラックスには優勝してほしいですね。

Quiet Please!!

2011-10-10 22:10:43 | 大学について
大学図書館のいたるところに、「Quiet Please」(お静かに!)のポスターが貼ってある。


でも、ちょっとおもしろいというか、スタイリッシュな(!?)ポスターも多い。


単純に「お静かに!」と言われるよりもなんとなく柔らかい効果があると思う。まあ、騒ぐ人はポスターがどんなものであっても気にしないんだろうけど。

「Quiet Please」の次に多いポスターが、「財布に注意!」というポスター。裏を返せば、図書館がいかにうるさくて、いかに盗難事件が多いかということを示す証拠でもあるが・・。

ケータリング

2011-10-05 22:35:19 | 大学について
大学ではいろいろな学会やらイベントやらが頻繁に行われており、そのお供として欠かせないものが、ケータリングである。日本の大学でもイベントの際などには簡単な飲み物やサンドイッチなどが手配されることがもあるが、オーストラリアで特有?なものといえば、入口で、ワインやビールが配られること。

今日も、大学図書館のreading roomで何かの学会が行われいた。いやはや、それにしても、学会の前にビールとは(笑)。多少お酒が入った方が頭の回転がよくなる!?ということですかね。


大学図書館の中で学会か会議か何かをするのはいいけど、レセプションの音楽とかはもうちょっと静かにやってほしいと思ったくまでした。学会が始まったら静かになったけど、それまでは乾杯の音やら、再会を楽しむ歓談などで、これでもか!というくらいうるさくなっていましたからね。まあ、図書館に静かさを求めること自体がナンセンスかもしれないけど。

Learning Hub

2011-09-19 22:25:17 | 大学について
アデレード大学の新しい施設として、Learning Hub(ラーニングハブ)が完成し、先週から運用が開始されました。アデレード大学生以外には、場所のイメージがつかみにくくて恐縮ですが、Student Centreの隣(奥)で、かつ、図書館の手前のスペースです。1年前以上から工事が行われていて、先月くらいには、まだまだ1年くらいはかかりそうかな・・なんてのんきに考えていたのですが、いつの間にか完成していました。事前に発表されていた予想完成図からすると、ちょっとしょぼいな・・という感じはしますが・・。

Lerning Hubの施設の目的ですが、大学のホームページによると、

○学生が集まる場所または待ち合わせの場所として
○さまざまな打合せ、グループワークなど、学習の効率を上げるための場所として
○ノーステラスキャンパスにおける、学生のための、さまざまなITサービスや学習サポートの場所として

の機能が期待されているそうです。

さてさて、そんな期待の高まるLerning Hubの外観はこんな感じ。夜の写真ですが、なかなか映えています。


入口をはいると、だだっ広いスペースが。グループ自習用に机やイスがそこここに並んでいます。


ソファー的なものもたくさん。オージーって寝転がって勉強するのが好きなのでしょうか?それと、細かいことですが、ソファーの上に土足で立つのはやめてほしいですね・・。彼らは気にしないのかもしれませんが。


階段を下りると、こんな感じ。パソコンスペース&自習スペース。図書館の入口につながっています。便利ですね。


自習室も大小あわせて10前後アリ。大学のネットワークにつながったパソコンや、ホワイトボードなどもあります。部屋の予約はMyUniから出来るようです。どの部屋も盛況で、ほぼ空き部屋はなかったですね。こうやって、わいわいガヤガヤ言いながらの勉強スタイルは日本とは違いますね。


パソコンも充実。最新のマックも15台ほど導入。かつ、32インチくらいのモニターでかなり大型のものです。その他、ウィンドウズ7搭載のこれまた大型モニターのパソコンが50台以上。ただ、パソコンとの距離が近すぎるので、若干目が疲れてしまいますが、これほど大規模にパソコンを導入した場所も大学構内では珍しいですね。


今年(2011年)の間は、月~金が24時間利用可、土日は朝7時~夜10時まで。来年以降は、毎日24時間利用できるようになる計画だそうです。(いずれも夜間の出入りには学生証が必要)

大学が期待するように、学習の「Hub」になるかどうかはわかりませんが、パソコンや自習スペースが増えたことは朗報ですね。しかも、図書館につながる様に建設されたので、図書館との相乗効果も期待できます。

あくまで印象に過ぎませんが、Learning Hubの運用開始とともに、図書館が静かに、かつ、図書館内のパソコンが空いたように思います。本来、静かであるべきはずの図書館がうるさいというのは、海外の大学では仕方ないかもしれませんが、勉強場所を求めるくまとしては大きな悩みの種だったので、これは嬉しいですね。

アデレード大学のノーステラスキャンパス構内は、海外の大学の規模を考えれば、それほど広くないのですが、昨今、新しい施設・ビルがどんどん建っています。やはり、儲かっているんですかね・・。アデレード大学には歴史的な校舎もあり、それらと近代的なビルがどのように調和していくのか、非常に興味深いです。

高校3年生をとばして、アデレード大学へ入学できる!?

2011-09-13 15:42:27 | 大学について
「高校3年生をとばして、大学へ」といっても、日本などで見られる、いわゆる成績優秀者向けの「飛び級」制度のことではありません。一言でいうと、高校3年生として、高校に通う代わりに、大学のプログラムに通うことで入学を許可してしまおうという制度。この制度がちょっとした議論を巻き起こしているので、紹介します。詳細の記事は → こちら

制度の概要は以下のとおり。

通常、オーストラリアの高校3年生(Year 12)を修了した後、州単位でセンター試験のようなものを受け、その点をベースに、大学に入学するのですが、この制度を利用する場合、高校2年生(Year 11)を修了した後、アデレード大学のFoundation Programmeに入学し、そのコース(1年間)を修了することで、無条件で、アデレード大学の学部(bachelor)への入学が認められるというもの。

Foundation Programme(ファウンデーションプログラム)は、日本にはなじみが少ないのですが、例えて言うのであれば、大学付属の予備校のようなもの。アデレード大学をはじめとして、オーストラリアの大学では、教育制度が違う留学生を受け入れるにあたって、大学のレベルを一定以上に維持するとともに、大学そのものに慣れることを目的として、Foundation Programmeを準備しています。つまり、大学入学前の「仮免許」といったところでしょうか。アデレード大学では1994年からFoundation Programmeを留学生向けにオープンしていますが、今回の措置は、それを地元の学生にも広げようというもの。

アデレード大学は、この制度の普及に力を入れており、「Uni without year 12」というロゴも作成し、大々的に広告を出すなどしています。今日気がついたのですが、アデレードメトロのバスにもデカデカと広告が出ていました。

しかし、公平性の問題があるとの指摘もあります。Foundation Programme入学のための費用は、7,800ドル。つまり、金持ちの子どもは、仮に学力が低くても、7,800ドルを支払うことで、ほぼアデレード大学への入学機会を手に入れることができるというもの。(Foundation Programmeを修了しなければいけないという条件はありますが。)結局、世の中、金か?というのが批判の主なものです。

大学側としては、収入増を狙っているようです。普通であれば、高校3年生からお金をとることはできないですからね。

もちろん公平性の問題もありますが、個人的には大学のレベルの問題の方が大きいと思います。自分が通っている大学だから贔屓にするわけではありませんが、アデレード大学は、オーストラリアのトップ大学が集まる「Group of Eight」という集まりに入っており(日本でいえば、旧帝大グループみたいなもの)、さらにノーベル賞受賞者も出している名門大学です。

Foundation Programmeを修了して、学部に入る際には、例えば医学部など難しい学部に入るためにはよりよい成績が求められるとはなっているものの、通常の試験で入る学生よりも優遇されることは必至で、長期的な視点からいえば、学力低下は避けられないのでは?と思います。

Foundation Programmeを通じて入る学生の規模などは発表されていません。ただし、やはり、大学というものは、もっと学問に純粋であるべきで、商魂猛々しい姿勢というものを前面に出すべきではないと思うのが、個人的感想です。一方で、高校3年生として、のほほんと過ごしているよりも、大学のFoundation Programmeの荒波にもまれた方が、学生の実力を伸ばせるという指摘も、もっともだと思います。いずれにしても、オーストラリアの教育水準が上がるのであれば、それに越したことはないのですが・・。

学費支払

2011-08-03 23:40:07 | 大学について
7月末から、今学期(2011年2学期)がスタートしました。それに伴い、今日は学費を支払ってきました。ひと口に「学費支払」といっても、郵便局、BPAY、銀行支払などさまざまな支払方法があるのですが、くまは、大学が発行するレシートが欲しいので、いつも、学生センターで支払うようにしています。(注:それ以外の支払だと、例えば、郵便局発行のレシートしかもらえない。)そんなわけで学生センターはこの時期大人気です。

細かいことですが、オーストラリアの銀行口座の1日の限度額は、通常、8000ドル(約65万円)に制限されており、それを引き上げるためには、銀行の窓口に行って、身分証を提示の上、○○のため、△△$に限度額を・・ということを行う必要があります。学費支払のため、くまの取引銀行であるBankSAに行って、ちゃんと手続きしたのですが、その後学費を支払おうとすると、「1日の限度額を超えています。」というエラーメッセージのため、支払えず。今日、改めて、銀行に行き、昨日、なぜ支払えなかったのか質問(抗議)しつつ、改めて限度額を引き上げるようにお願いすると、今日は、「限度額引き上げは、今日からではなく、明日から有効になる」との回答。

いやいや、ちょっと待って。昨日は、「その日だけ有効です。」って説明受けたんだけど・・。かつ、これまでも、当日しか有効じゃなかったし。なんで人が変わると説明が変わるの?と思ったのですが、回答は、「I dont know」。あくまで自分が関知していないことには責任を持たないような態度にちょっといらっとしつつ。なんだかんだいって、結局、今日、学費支払は完了しました。やっぱり、今日から、限度額引き上げは有効だった!と心の中でガッツポーズしたのは、私だけでしょう。

オーストラリアの学費事情について。

私が今学期支払った額は、約11,500ドル(約100万円)。通年ではなく、半期でこの値段です。日本の大学院の学費がどの程度かは詳細には把握していませんが、文系で、実験等がないにも関わらず、この値段というのは決して安くないと思います。というのも、留学生用の値段と、現地学生用の値段というのが設定されており、現地学生であれば、私と同じコースをとっていたとしても、支払額は、約4分の1の、約2,700ドル(約25万円)。悪い言い方をすれば、留学生は、大学にとって、いい「顧客」なわけです。ジュリア首相が留学(教育)産業を、一大産業に!というのもこのあたりの背景があります。

一般論を言えば、留学生は、現地学生よりもお金がかかるもの。留学生と現地学生の学費を全く同じに!とまではいきませんが、もう少し格差を是正するような措置は取ってほしいと思います。

返した本が未返却とな。。。

2011-06-28 22:00:00 | 大学について
論文執筆その他で大学の図書館にお世話になることは多いのですが、今日はちょっとしたトラブルがありました。

ある雑誌を大学の図書館から借りて、先週、既に返却したはずの本が、「未返却」ということになっており、大学から早く返すように督促が来ていました。しかも、私の大学では、期限を過ぎた本について、1日1冊につき、2ポイントのペナルティーが課せられるようなシステムになっており、気づくのが少し遅かったので、既に12ポイントもたまっているではないですか!!

なんと!!このペナルティーは、60ポイントまでたまると、一定期間大学の図書館が利用できなくなったり、非常に不便なのです。

大学で本を借りる際には、自分でセルフスキャン、返却時には、返却ボックスに返すだけなので、職員の手を経ることは全くありませんので、あの人に返した!!などという言い訳も通用しないわけです。

大学図書館の受付に行って、事情を説明したところ・・・。

原因は不明。ただし、もともと本があるべきはずの場所に本がかえっていないのも事実。つまり、図書館の他の場所で眠っているか、司書の人が他の場所に本を戻してしまったか・・。

ただ、私個人としては、確実に本を返したので、どうなっているんだ・・という思いでいっぱいです。

とりあえず、図書館の専門部署(遺失物捜索隊みたいな)が私の本を隅から隅まで探してくれるそうです。彼らのパワーに期待ですね。とりあえず2週間待てと言われました。

仮に見つからない場合はどうなるのか?と質問してみましたが、「わからない。最悪の場合、弁償。」とだけ返答。

ひとまず、デメリットポイントが毎日積み上がる状況だけは止めてもらいましたが・・。さて、どうなることやら・・。


Free BBQにつられて・・・

2011-05-27 21:51:03 | 大学について
今学期の授業は終わっていますが、論文執筆のため学校に通っています。ほぼ毎日同じ道を通るので、大学構内で何かイベントがあっても気が付かないことが多いのですが、ふと、[Free BBQ](バーベキュー無料!)と書いてあり、さらにパソコンルームへ向かう芝生で大々的に人が集まっていたので、これはラッキー!!ということで行列に並んでみました。


この類のイベントは実は頻繁に行われています。無料で行われることは少ないですが、2ドル~3ドルといった廉価で食べることができます。ただ、バーべキューといっても、日本でイメージされるような焼肉、焼肉のたれ、野菜、シーフードといった本格的なものではなく、単にソーセージを焼き、パンにはさんで食べるものがほとんどです。ソーセージシズルとも呼ばれます。主催団体の知名度向上を目的に行われることが多く、採算は度がえしの場合が多いです。

ウキウキで並んでいたのですが・・、もらえたのはパンと炒めた玉ねぎだけ・・。聞いてみたら、ソーセージは売り切れたのこと。。確かに私が行ったのは終了10分前だったので仕方ないですね。。これは後から気が付いたことですが(涙)あまりに悲しいけど、せっかく並んでまで(といっても1分も待っていませんが)ゲットしたものなので、玉ねぎ+パンにBBQソースをかけて食べました。あまりに悲しいので、写真は自粛します(笑)。ただ、玉ねぎって甘い!と勝手に感心してしまったことだけ付記しておきます。

こんな時は、大学の校舎を紹介。Mitchell Hallといってアデレード大学の中心的な建物です。1881年建立だそうです。1874年にアデレード大学が開設されているので、その当時からの建物ということになります。現在は州の文化遺産に登録されているようです。ノーステラスから見た時に一番手前に見えるものなので、大学のシンボル的な校舎の一つでもあります。歴史を感じさせますよね。



Never Say Never

2011-05-12 22:55:46 | 大学について
今学期も早いもので、中盤から終盤に差し掛かっております。私の所属する学部では、学期ごとに論文を提出する必要があるため、mid semester break以降は、授業と並行して、各学生の論文の進捗状況を発表するということが行われています。同じ授業を受けているとはいえ、その授業に関連していれば、論文のテーマは何でもよいので、非常に広範囲のテーマが取り扱われ、中には自分が考え付かないようなものもあるので、興味深いです。今日は、私の発表の順番ではなかったのですが、印象に残ったことがあったので、以下に記しておきます。

前述のとおり、6月初旬に提出する論文の進捗状況を報告するのですが、人間の悲しい性というもので、なかなかギリギリにならないと本格的に取りかからないということのようで、今日発表した、韓国からの留学生は、プレゼン前に、「今日の発表は、まだ研究の途中で、中途半端な内容になってしまってごめんなさい」みたいなことを言ったところ、教授が、
'You NEVER EVER apolizise before you do something,seriously.'

と、怒り出したのです。この教授は、非常に温厚な方で、生徒に意見を求めることも多く、非常に優しかったので、学生一同びっくり。

当初、その学生の発言を聞いた時は、「謙遜」で言っているのかなと思ったので、そこまで怒らなくても・・と思ったのですが、西欧(その教授はイギリス出身)文化には、謙遜するという文化は理解できないでしょうし、自分をへりくだって言う必要はないですよね。その意味で、「つまらないものですが・・」とお土産を相手にあげるということは永遠に理解できないでしょうね。。結果的にいえば、その韓国の学生のプレゼンは、私から見ても、確かに準備不足と言えるものだったのですが、教授としては、大学院まで来てそんな言い訳は通用しないよ。と言いたかったのでしょう。

ただ、後からよく考えてみれば、教授の言うことは至極まっとうですよね。謝るような内容のプレゼンをするのは、教授にも、学生にも失礼だし(1回分の授業料も決して安くないですし。)、プライドを持てということなんでしょうね。肝に銘じて自分のプレゼンをしっかりとやりたいと思います。


静かな勉強場所を求めて・・

2011-05-08 23:12:28 | 大学について
個人的なことで恐縮ですが、中学生、高校生時代含めて、各種受験勉強を行う際は、図書館ではなく、断然自宅派でした。理由を聞かれると非常に困るのですが、やはりシーンとした環境でないと集中できない感じがして。。

今でもその基本的な考えは変わっていないのですが、かといって、留学しにきているのに家だけにいるというのもどうかと思うし、家だとダラダラしてしまうことも多いので、平日、休日関係なく、昼間は大学に行くようにしています。ただ、困りものなのは、そんな自宅勉強派のくまにとって、集中できる勉強場所を確保すること。

大学の図書館、州立図書館など人が集まるところは、それなりに静かなのですが、最近ではみんながパソコン、ipadを持っているため、その作動音が気になります。また、図書館=絶対に静かにしなければいけない場所ではないので、私語なども聞こえてきてあまり快適な場所ではありません。

そんな時は、大抵、私が所属する学部のビル(大抵の学部は授業等を行う、メインビルディングを持っています)の一室に行きます。授業が行われる教室や教授の部屋が非常に近いというメリットに加えて、この部屋は、学部生は入ることができず、所属学部の大学院生のみ入ることができます。

部屋はこんな感じ。パソコンが4台、机、椅子、個人用ロッカーと非常にシンプルな作り。広さは15畳ほどでしょうか。


学生の数に比べて、備え付けのパソコン数が少ない(皆、自前のPCを持っていることが大きな要因ですが)ことから、大学で開いているPCを探すのは特に昼間は困難ですが、この部屋は、確かに4台しかないですが、大抵1台くらいは開いています。

この部屋も、しゃべり場(笑:懐かしい!)となってしまうこともあるので、その辺は玉に傷ですが、皆、院生ということもあり、大抵は静かに勉強しています。休日でも、24時間(ビルが閉鎖されない限り)運用可能です。卒業論文などを書く際は、ここで缶詰している人も多いようです。今日は、休日で、途中まで誰もおらず非常に快適、いや、むしろ静かすぎるくらいでした。

まだまだ大学の知らない場所も多いな・・と思う今日この頃。少し落ち着いたら、静かな勉強場所を探検してみようかと思っています。

ウサマ・ビンラーディン氏殺害について

2011-05-03 23:25:05 | 大学について
ご案内のとおり、一昨日、アメリカのオバマ大統領は、9・11テロをはじめとした各種テロを主導した、アルカイダのリーダーである、ウサマ・ビンラーディン氏を殺害したことを発表しました。2日たった今でもニュースではこれらが大きく取り上げられており、殺害時のオペレーション等が徐々に明らかになりつつあります。

オーストラリアは言うまでもなく、アメリカと軍事面で非常に強固な同盟関係にあり、イラク、アフガニスタンにおいても、米軍と共同で、「テロ撲滅戦争」を続けており、今回の暗殺も現地に派遣されているオーストラリア軍の問題だけではなく、広い意味で、オーストラリアでも注目されています。(やはり、この点、日本とは論調が違うのは、やはり自国民が実際に被害を受ける可能性がどれほど高いのかという切迫感の違いでしょうか。)

クラスメイトに、アフガニスタンからの留学生がいるので、今回の殺害がアフガニスタン国内、特に一般の人からはどのように捉えられているのか聞いてみました。印象に残った答えは、[Very Happy]というもの。タリバンは単にテロ組織である以上に、政党でもあり、人々の生活に深く浸透していたようです。ただ、過激な行動を伴う彼らを全ての国民が支持しているわけではなく、(政権が交代した)いまではむしろ疎ましく思っており、その首謀者が死亡するということは、アフガニスタンに平和がもたらされる大きな一歩である、とのことです。この答え、あまりに正当なもので、ちょっと面食らってしまいました。ただ、ホワイトハウスの前でアメリカ国民が狂喜乱舞したような感じはなかったようです。そうはいっても、同じ民族ですからね。

もちろん、いかなる理由であれ、テロは許しがたいものであり、テロ首謀者やその支持者が主張する論を正当化するものは全くありません。9・11で貴い命が多数失われ、それに対するアメリカ国民の怒り、悲しみ、不安というものは筆舌しがたいものだと思います。

ただ、個人的には(その場にいたクラスメートも含め)、一般国民が、テロ首謀者の死を狂喜乱舞しながら喜ぶのは、なんとなく違和感を感じました。うまく説明できないですけど。もちろん政府側の人間が、対テロ戦争を続けてきた人間にとっては大きな節目となるのはいうまでもありませんが、それと国家の威信(人々は、口々に、USA!!と叫んでいましたよね)は別問題ですよね。むしろ、ある意味、国家と一体となった民衆に一種の恐ろしさを感じたくらいです。

しかし、よく考えてみれば、私を含めて多くの人間が実際にあの恐怖を体験していないから、ある種のんきなことが言えるのかもしれません。9・11という出来事がアメリカの人々の価値観を大きく変えたことは言うまでもなく、その後テロ組織からの報復におびえつつも「普通」の生活をしてきた人にとって、10年という月日はあまりにも長く、その抑圧からの解放だったとも言えます。

いずれにしても、テロリズムの奥深さ、そして対テロ戦争の難しさを感じさせた出来事になりました。

「非暴力に目覚めた中東民衆、取り残されたアルカイダ」という題で、asahi.comが印象的な記事を書いていたので、参考までURLを貼っておきます。
http://www.asahi.com/international/update/0502/TKY201105020386.html

Power Transition Theory

2011-04-12 22:50:33 | 大学について
今日は、大学のセミナーで、Power Transition Theoryについてのプレゼンをしたので、備忘録としてその内容を記載します。

「Power Transition Theory」は、日本語では「権力移行理論」等と訳されます。オーガンスキー(Organski)が1958年に発行した「World Politics」という本において主張した理論です。

オーガンスキーは、国際社会に存在する国を、(1)dominant power, (2)great powers, (3)middle powers, (4)small powersの4つに階層的に分類したうえで、既存の国際秩序に((2)のgreat powerが)不満がある場合、それを改革しようとして、(1)のdominant powerに挑戦(=戦争) することで、権力を掌握する主体が変化していくというものです。
(詳細の説明は省略しますが、(1)は、人口、生産性、政治的・経済的キャパなどにおいて他国を圧倒する力を持った国、(2)は、(1)の潜在的なライバルであり、(1)についで国際秩序維持に重要な役割を果たす国を指します。)

国際社会において、一定程度の巨大国の存在を前提としているという意味で、覇権安定論(Hegemony Stability Theory)と、論理的根拠を一にするところがあります。しかし、覇権安定論においては、覇権国(Hegemony state)が国際社会に対して秩序を与えるとするのに対し、権力移行理論においては、dominant powersは、ある時点でgreat powersの挑戦を受けなければならず、その地位は比較的揺らぎやすいということでしょうか。

オーガンスキーは、第一次世界大戦をはじめとして、歴史上のいくつかの戦争を具体的事例として取り上げ、great powersがdominant powerに挑戦することで、戦争が起きた旨を論じています。

しかし、この理論も万能というわけではありません。例えば、Lebow&Valentinoはその著の中で同理論の不備を指摘しています。指摘は多岐にわたっているのですが、その一つが、「どのように国力を客観的に測るか」ということ。権力移行理論においては、dominant powerとgreat powersの国力の差が相対的に小さくなった時(オーガンスキーらは20%以下と主張)、権力を求めて戦争という行動に出るとしていますが、そもそも国力を客観的に測ることは可能なのでしょうか?

GDP、軍事予算、人口など様々な指標が考えられますが、どれにも少なからず欠点はあり、一つの指標だけで決めることはできません。同じ統計でも見方を変えれば別の結果になるというのは、皆さんご存じだと思います。国の力が相対的に測れない以上、戦争に打って出る云々の理論そのものが成立しないこととなります。

ここ以降は、主にくまの考えです。

平家物語の一説にも「諸行無常の響きあり。盛者必衰の理をあらわす。奢れるものも久しからず。ただ春の夜の夢のごとし」とあります。昔の人はうまいことを言ったものです。誰も、そして、どの国も繁栄が永遠に続くわけではありません。それは歴史が証明してきたことであり、多くの人が直感として賛成できることです。

ただし、権力が移るという際には、必ずしも戦争によって全てが一気に変わるということだけではありません。また、仮に戦争が起きたとしても、それは権力闘争以外の要素(国内の政治的圧力、アイデンティティーの保持等)に多分に影響されていることがままあります。そう考えた時、権力移行理論は、現実社会では当てはめにくい理論ではないかと思います。実際、中国の台頭をどうとらえるのか?アメリカと中国の戦争は起きていませんよね??

国際社会ってひと口に言っても、さまざまな思惑が交差している場所です。それを理解するための一つの手掛かりとして権力移行理論の触りの部分を開設してみました。

【参考文献】
Organski, A 1958, World Politics, New York
Lebow, R.N and Valentino, B, 2009, 'Lost in Transition: A Critical Analysis of Power Transition Theory'