唐木田健一BLog:絶対的な基準を排したとき,《真理》および《正義》はどんな姿を現すのか

「理論科学」と名づける学問分野を提案し,理論や思想の成立根拠およびそれらの変化のメカニズムを考察します.

無機化学者・斎藤信房と地質学者・都城秋穂

2022-12-07 | 日記

斎藤信房(さいとう・のぶふさ,1916-2007)。東京大学名誉教授。理学部化学教室で無機化学、放射化学講座を担当。研究領域は同位体化学を中心として広範にわたる。1963年より2年間、国際原子力機関(IAEA)のアイソトープ部長を務める。

本記事の出典:斎藤信房先生記念誌編集委員会(代表・富田功氏)編『うららなる湖――斎藤信房先生の思い出』斎藤信房先生記念誌の会発行、岩波出版サービスセンター製作(2010年10月20日)。

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斎藤先生の学位論文研究と都城秋穂氏

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 2004年の晩秋のことです。たまたま送られてきた学会誌のなかに私の論文をお見つけになった斎藤先生が、そこに都城秋穂氏の著書が引用されているのを知って、我が家にお電話を下さいました。「学位論文の仕事は都城さんと一緒にやった」とのお話でした。私は都城さんにお目にかかったことはありませんが親しくしていただいていたので、そのあと斎藤家を訪問したとき先生御夫妻と写真を撮って都城さんにお送りしました。次の手紙(日付なし、消印2005年1月6日)はその返事です。

 お手紙とお写真をありがとうございました。あなた方ご夫妻、および斎藤さんご夫妻の写真を、たいへん興味深く拝見いたしました。むかしの斎藤さんを思い出して、たいへんなつかしく思いました。

 斎藤さんは私より三~四年年上で、私が大学院学生のとき助教授で、私が助手のとき教授でした。ですから、当時の慣習によれば当然私は「斎藤先生」とよぶべきだったのですが、斎藤さんがそのころあまり気楽で寛大だったので、私は「斎藤さん」とよぶようになってしまいました。

 斎藤さんは、ほんとうに親切で、寛大でした。そのために私は、斎藤さんに一方的にお世話になり続けでした。そのことを、今でもたいへん恐縮しております。

 しかしあなた方が斎藤さんと親しいとは、全く思いがけないことでした。私もこれから、時々斎藤さんに手紙を書くことにしましょう。斎藤さんがまだご元気な間に連絡を回復することができて、幸いなことでした。この点で、あなた方にお世話になりました。どうか奥様にも、私からお礼を申し上げていると、お伝え下さい。

 都城秋穂(みやしろ・あきほ、1920-2008)さんは東京帝国大学理学部地質学科の出身で、東京大学助教授、コロンビア大学教授、ニューヨーク州立大学教授を歴任したあと、ニューヨーク州立大学名誉教授としてニューヨーク州オールバニーにお住まいでした。『変成岩と変成帯』(1965)、『変成作用』(1994)、『科学革命とは何か』(1998)などの著書があります。2002年「変成岩の理論的研究およびそのテクトニクス論への寄与」で日本学士院賞をお受けになりました。

 つぎに紹介する文章(2008年2月27日付手紙の一部)には、学位論文を準備中のころの斎藤先生との関係が記述されています。私はこの内容を大変興味深く思いますがそれは、変成作用に関する著名な専門家がその専門に深く入り込むにあたって、斎藤先生の存在があったという点です。

 一九四〇年前後から、斎藤さんは朝鮮半島の中央部の珍しいアルカリ岩群の地球化学的研究をはじめられ、それを学位論文にするお考えでした。私は一九四三年に大学院に入り、その同じ岩群を研究して、地質学的な面で斎藤さんに助言することになりました。そこで私は、一九四三~四五年に数回その地方に行って調査しました。その後何年も、私はその岩群のことを考えたのですが、考えが迷宮に入りこんでしまって、遂にはっきりとした結論に達しませんでした。したがって、私は斎藤さんのお役に立つような助言が全くできませんでした。これは全く、私の無能であって、斎藤さんに申しわけがないと心から思い、一生私の心の重荷になりました。斎藤さんが、そのことについて一言も私を咎められなかったので、私はますます恐縮してしまいました。

 そのころ、そういうアルカリ岩類は、マグマが結晶しながら分別作用をうけた残液が固結した火成岩だと一般に考えられていました。この説は、そういう岩石の化学組成をよく説明します。ところが私が、その地方へ行って取った岩石の構造をよく見ると、火成岩ではなくて、変成岩かもしれないと思われる性質を示しているのです。そこで私は、それらの岩石は火成岩だろうか? それとも変成岩だろうか? と迷ったのです。

 これを解決するためには、私は変成作用というものをもっと勉強しなくてはいけないと思って、一九四六年から変成作用の勉強を本格的にはじめました。こうして私は、変成作用研究の専門家になってしまいました。結局、朝鮮のアルカリ岩群の方は、それっきりに放置することになり、斎藤さんに申しわけないことになったのです。

(了)