明日死ぬかも

あなた自身が、この世で見たいと思う変化とならなければならない。byガンジー

叫ぶ兄、包む母。暴れる私、無関心な母。~母編<パート7>~

2009年08月01日 13時40分29秒 | 私の家族を紹介します<母編>



叫ぶ兄、包む母。暴れる私、無関心な母。~母編<パート6>~
の続き。

【暴れる私、無関心な母編】


さて、あれから時間は流れ、兄が叫び声をあげてからだいぶ経った頃のことになる。
(あのあと私の家がどんなふうになったのかは、また別の機会に)

私はその日、これ以上ないくらいにイライラしていた。
ひどくムカムカしていて、焦っていて、やりきれなかった。
原因はいろいろあり過ぎて、説明ができない。
たぶん全部が嫌だったんだろう。


以前、母についてこんな記事
結構変な思い違いしてる人っていますよね~母編~<パート4>
を書いたが、母親は私の怒りや憎しみや苛立ちがどこから来るものなのか、
それが私にとってどのくらい重い足枷になっているのか
そういうことにはまったく興味がない人間だった。

父親が激情型怒りぶつけ人間だったので
私の中にも早くからその素質を見つけ出し
「父親と同じで、ほっとけばそのうちおとなしくなるでしょ」
というスタンスでずっといたのだろう。


よく、人間は変われるだの、付き合い方を変えればうまくいくだのという
非常に有効かつ前向きな人間に関する見解を見たり聞いたりするが
それは9割くらい事実とは異なるのではないかと思っている。

現実的に考えて、苦手な人間はやはり苦手なまま終わることが多いし
変わる人間もいないわけではないと思うが、
変わらない人間のほうが数えるまでもなく圧倒的に多いだろう。
人は変化しないでは生きていけない生き物ではあるが
本質的な部分を変えるというのは至難の業だ。

大抵、うまくやる人というのは
人との距離の取り方がうまく、相手とどううまく付き合うかというより
相手とどううまく付き合わないようにするか
というのが上手な人なのだと思う。

結局、
嫌な思いをする人間からはできるだけ距離を置いて生きていくこと
が、一番有効的なやり方なのだろうというのが、私の個人的見解だ。

しかし、家族間でこれが発生した場合は結構悲惨なことになる。
家庭の中で
あの人とはどうしてもソリが合わないから交流しないとか疎遠になる
ということになると、家庭内で学ぶべきことの多くが損なわれ
いびつで偏った人格を形成してしまう危険性が高くなる。
しかも面倒なことにこれは
世間の常識とはだいぶかけ離れた行為であるため
他者の理解を得ることも難しい。

そもそもなんで
違う人間とわかりあうのは難しい
という、社会では当たり前の認識が
家庭内だけは例外
ということにされているのかに非常に疑問を感じるが…。
親子といったって別の人間であることになんの違いもないはずなのだが…。


さてそんなわけで(無理やりだな)
母が私に対し取ってきた
“ほっとけばなんとかなるでしょスタイル”
は、結構思春期の私を苦しめたし、なんの救いにもならないどころか
感受性の強さを日常生活をするレベルでは問題のない程度に抑えられる
という、
社会に出る前にある程度身につけておかなければいけなかった防衛能力の
発達の妨げに、かなりなってくれたと思う。

なんでちゃんと話を聞いてくれないのか
なんで私が怒ったり泣いたりしている理由を聞いてくれないのか
私の発言など、私の感情など取るに足らないものなのだろうか
じゃあ私って、いったいなんなの?

そう思うと、いつもとらえどころのない虚しさと口惜しさに襲われた。
そういう自己否定に向かう考えかただけは、えらく発達していたと思う。


えーと、ここまでの話でなにが言いたかったかっていうと
私はなにを訴えても聞いてもらえない子供だったってことで
つまり母親にはどうやったって理解されないのだなという絶望感が常にあったわけで
しかし、
そんな私にも一筋の光が前回の【叫ぶ兄、包む母編】で見えたのだ!


母は言った。
「お兄ちゃんが叫んだのを見て、苦しんでるってわかったの」

私はそれを聞き考えた。

「そうか、ああいうふうに叫べばいいのか!」
キタ─wwヘ√レvv~(゜∀゜)─wwヘ√レvv~─ !!








んなアホな……_| ̄|○ il||li



そうだよねぇ、今ならわかるんだけどねぇ。
母はたぶんもともと鈍い人で、子供の寂しさとか苦しさとか
そういうことが全然わからないんだろう

と思っていた私は
でも兄のあの一件で経緯はよくわからないが
そういうことがわかる人になったのかもしれない!
と期待を抱いてしまったのだ。

でも、今までの私の気持ちのぶつけかたでは弱かった。
きっとあの兄くらい、迫力ある壊れ方をすれば理解されるだろう。
という結論に安易に飛びついてしまった私。


おお、しまった余分な説明話が長くなった。
ここで一番最初に書いた、どうにも苛立っていたその日に話が戻るわけだ。
とうとう我慢ができなくなり私は「今だ!」と行動を起こした。

まず机の上のものを勢いよく両手で全部払い落とした。
そして目につくものを手当たり次第投げまくった。

そして、怒りを声であらわした。
なんて言ったのかは覚えていないんだけど…。
とにかく、出来得る限りの大声で叫びまくった。

そして待ちに待った瞬間到来!
母が何事かというように私の部屋にやってきた(☆∀☆)

私はありったけの力で泣き喚いた。

母が、私に寄り添い
「どうしたの?」「なにがあったの?」「大丈夫?」
と優しく声をかけてくれることを期待した。
ウホ━━━━ヽ(゜∀゜ )ノ━━━━ッ!!!!

(結構あざとい娘だよな)

が、
母はそんな私を一瞥しただけで
部屋を出て行ってしまった。

ひとことも声をかけなかった。
表情ひとつ変えなかった。




・・・・・・唖然。

ほんの数秒だったと思うけれど、頭が真っ白になった。
というか、目の前が真っ暗になったというほうが近いかもしれない。

そこまでしても母に関心を持ってもらえなかった私
その場にうずくまって泣いた。
もう打つ手がなくなったことが口惜しくて、無視されたことが寂しくて
咽び泣いた。

ありゃー、苦しかったな。
と、今も思う。

そうか、と私はしかしそれでも泣きながらある答えを導き出していた。


母は
叫んだから苦しんでいることがわかった
のではなく
兄が叫んだからわかっただけだ。

相手が兄だったから、
苦しみをわかろうと思えただけだろう。



贔屓しているとは言わないが
そんなの関係ねぇ! 入院だって関係ねぇ!~父編<パート4>~
でもちょっと触れたように、
男の子のほうをどうしても女の子よりかわいがってしまう傾向というのは
母親自身が否定していても、どこかにあるのではなかろうか。
すべての母親がそうだとは言わないが、
そういうふうになりやすいものなんではなかろうか、女親というものは。

これはつまり、そういうことのひとつであったのだろうと私は結論付けた。


というわけで、結局母の考え方はなにも変わっていなかった。
さらに言えば、兄の苦しさだって本当に理解していたわけではなかった。

ただ本人が理解したと思い込んでいるだけで
理解できたと思いたかっただけで

そのときの家庭の惨状を納得ずくで理解するために
彼女にはそういう設定が必要だったから、そうした。

ということだけのことだったのだと思う。

その証拠に兄の問題も、
10年近く経つ今だって尾を引いていたりする。
わかった振りをして、重要なことを見てみぬ振りしてきた母親は
それでもまだ、いったいなにが悪かったのか、なにが問題なのかわかりあぐねて
時折兄がらみの問題が起こると私に緊急連絡を入れてくる。

「お母さん、お兄ちゃんがわからないんだけど
○○ちゃん(私)教えてくれない?」


平然とした様子で、こう訊いてくるのだ。

自分で考えろよ

と、毎度思うし言いもするのだが、いつまで経っても同じコトをする。
いまやもう、私より親たちのほうがずっと兄に近い場所で生活しているというのに
遠く離れた私に質問するなんておかしな話だ。
ついでに丁寧に私が見解を話してみたところで理解を得られもしないので
余計に始末が悪い。

じゃあなにが聞きたいのだ?
耳障りのいいことだけ言ってもらえればそれでいいのか?

と思わなくもない。
(あれ? これクソ親父編でも言った言葉だな…)
それで安心を得られるというのであればやぶさかではないが
しかし私はそのような方法を親から学んではいないので
そのように安心させてやる術を持っていないと言えなくもない。
(なんかまわりくどい言いかただな)


あの日、兄が叫んだ日に母が言った
「お母さん、わかったの」
は、いまだに私の謎のひとつである。

「大丈夫」
いったい、なにが大丈夫だと思えたんだろう。

「全部うまくいくから」
うまくいったことなど、あったのだろうか。


母の、根拠のない、事実に基づかない自信は
この先現実になり得ることがあるのだろうか。

母は自分があんなことを言ったことを覚えているだろうか。
そして今も、同じように思っているのだろうか。

でも、母に見えているものが、見えていたものが
あるいは母の信じているものが、信じていたものが
私には、全然見えてこない。

いつも、いつまで経っても、見えないままだ。


手の届くそのときに、そばにいることのできた時間に
目の前にいた自分の子供を理解しようとも思えなかった彼女が
未来の私たちへの確信などを持つことができたとは到底思えない。


いつものように自分に都合よく考え、
幸運だった幼い頃に養われた楽観的思考を武器に
彼女は都合のいい現実に、都合のいい子供像に目を向け続けるのだろう。

そうしているあいだは、異常さに気づかずに済む。
それを死ぬまで継続できれば、彼女はずっと幸せなままでいられる。


でもこれ無意識にできちゃうんだから
本当うちの母親って、幸せ体質だよなぁ、
と思う。

あ、兄の件で母親がすべきだった重要なことっていうのは、また今度。
なんか無駄に長くなったよ。まとまってないし。