道東の狼!驀進 新鮮組

動乱の幕末を想わせる薄野。新鮮組は動乱の薄野を驀進します!

 もう20年

2015-03-21 08:08:13 | 時事トーク
ということで、オウム真理教ですが
あまり真剣にかくと時間がいくらあっても足りないのですが

僕が高校のときでした
部活に向かう中、母親の車の中でラジオが

今更ないが悪いだのということはいいんですが
今思うとあの事件は
当時は戦後五十年の象徴と報じられておりましたが

はっきりといえること
日本の歴史の中で必ず起こりえることだった
その中でひとつ救われたことは

彼らのなり上がりが
ほぼ事実のないものだったこと

あえて正義という言葉は使わないですが
本当に恐怖を感じるのは
彼らが本当の信念に基づくものだったなら・・・


彼らの正義は彼らの正義であって
それを否定することは出来なく、それは正義に変わりはない
僕らが持っている共通認識からずれているだけであって
もし僕らが持っているこの認識がずれているのならば
彼らの正義を疑うことは出来ない

結果として
勝てば官軍の時代と何も変わらない

ではききたい
日本の民主主義や議会制度を崩さなければいけないとなったときに
いったいどうすればそれが可能なのだろうか?

多数決を否定する行動が多数決で決定するわけがない
ということです

僕は実際彼らに信念があったとは思わないから
結果的に僕らの思うような正義が彼らを動かしたとは思わない
でも今後、テロ?内乱?クーデター?
そのようなことが起こらないとは絶対にいえないし
なによりも、100年・200年たったときに
今の僕らの時代が正しいものなのかと言われたときに答えることは出来ない

新しい認識が今ある認識を超えるものであるなら
僕らは今が正しいとは言えない

日本の歴史が動いたとき
そこには必ず戦いがあり、戦いでしか本当の意味で歴史は動いていない

と僕は思っていて
だからこそ、絶対なんてない正義の中で
限りなく絶対に近い正義と
国として揺るぎのない信念を持ち進むこと
それが現代に生きる宿命であり

それに対する警告のひとつなのだと思う

オウムの前から警告はあり
その矛先の違いで数々の事件が起きている

正義とは?国家とは?平和とは?自由とは?

答えは難しく、絶対なんてありえない
だから少なくとも、ゆるぎないものを探さなければ



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