道東の狼!驀進 新鮮組

動乱の幕末を想わせる薄野。新鮮組は動乱の薄野を驀進します!

週末宜しくお願いします!

2020-04-03 03:03:58 | 本・DVD・音楽そして妄想
ということで、今日は激暇な中でご帰還😅 
明日からは週末だが・・・
さぁ、どうなるでしょうか?
皆様宜しくお願い致します。

ということで、そんな日は現実逃避。
コロナについて書こうかと思ったけれど、それは現実直面😭 
だからあまり書きたくない。

となると、先月の現実逃避ピカリン☆彡
にとっても力を貸してくれた
テセウスに船”を総括したいと思います。
画像の下からはネタバレバレします


ドラマ版では、ミステリー性を強めて犯人捜しに力を入れたため、
最終的黒幕が変わってしまいましたが・・・
そこらへんは度外視して考えます。

まず、タイトルであるテセウスの船の由来。
ドラマのエンディングでも語られたパラドックス。
同時に、それはテーマであり問題はその先に何があるのか?
テーマの中で進んだ人間ドラマだったのか?
それともパラドックスに対し、何かしらの答えを出したものだったのか?
逆に、その答えを受け手に委ねたものだったのか?
それぞれに納得できる感はあるのですが、
作品が出した答えは何か?
が一番の問題になるのではないだろうか?

その答えを出す前に、そこまでのプロセスについて考えたい。
さて、この作品の中で登場した時間軸はいったい幾つあったのだろうか?
そこに関して、僕が持った印象と多くの人が持ったものとは違う気がする。

まず、物語スタートとなる現代。そして、1度目の平成元年。
ふたたび戻る現代。2度目の平成元年、そして、ラストの現代。

軸として考えた時に、多くの人は2つの時間軸があったと思うのではないか?
それは、現代の軸(スタートの現代と、再び戻った現代)と
歴史の変化が起こった軸(2度の平成元年と、その先の現代)。
これは、平成元年から現代に向かった時のタイムスリップを
現代に戻った”と捉えた時にそうなるのだと思う。
それは2度目の平成元年でも同様で、”ふたたび平成元年に戻った”。
ラストの現代はタイムスリップを行っていないので、軸は2つとなる。

そう考えると、どうしても納得いかない問題がある。
現代に戻った心に歴史が変化した記憶がない事。物語の流れから言うと
当然の事なのですが、時間軸で考えるとこれはおかしいことになる。
歴史変化の記憶がないと言う事は、その時代に生きた経験がないと言う事。
それは戻ったはずの本来の時間軸こそがパラレルであるといってもいい。

ここで一度テセウスの船というタイトルについて考える。
テセウスの船は、その船を後世に伝えるために部品を取り換える。
その結果、修復された船は元の船と同じものといえるのか?
ではこの物語において、テセウスの船とは何であり部品とは何なのか?

これらを踏まえ考えた時に、僕が考える時間軸は3つになる
船とは田村心であり、部品とは田村心が生きた歴史となる。

まず、一つ目の時間軸が物語スタートラインの田村心の現代となる。
そしてタイムスリップする平成元年。ここに同一人物が2人存在することから
この世界はパラレルであるか別の軸であるかのどちらかである。

そうとらえた時、初めの平成元年が2つ目の軸である。
いずれにしても、このタイムスリップは時間を戻ったのではなく
違う世界(違う時間軸)に入ったというとらえ方となる。
この概念で統一して考えた時、次にたどり着いた現代は、もともとの
田村心の過ごした現代ではなく、2つ目の軸である平成元年の延長である
と言う事になる。これこそパラレルであり、和子のおなかの中にいた心が
いない世界に、スタートの田村心がトリップしたと捉えられる。
船の修復に例えるならば、部品を交換した事による、
確認作業的な意味合いを持つ世界である。結果やり直し。

そして再び向かった平成元年。これが3つ目の軸となる。
この時間軸の延長がラストの現代。

まとめると、この物語においてタイムスリップとは、
時間を戻るのではなく、違う時間軸に向かう事である。
修復する船は田村心であるが、その修復により新しい歴史が生まれる事になる。
それは、古い歴史は壊されることになると言う事。
だからこそやり直しのたびに新しい世界(別の2つの時間軸)が形成される。

では、もともと田村心がいた現代はどうなったのか?
古い歴史は壊される、それは古い世界(時間軸)は壊されると言う事。

よって、2点の事により平成元年のラストに心が死ぬ事は決定事項であった。
心が戻るべく時間軸が存在しない事と、同じ時間軸に同一人物が存在する事。
原作で大人みきおと心が二人とも死ぬのもそう言う事だろう。
”そもそもがパラレルの世界の住人である”大人みきおが平成元年に
たどり着いたのも、心が死ぬための工程であったのかも?
もしかすると、初めの神隠しの段階で心はすでに死んでいたのかもしれない。

それでは、パラドックスに対する作品の答えとは?
テセウスの船(田村心)修復のため部品(犯罪者の息子である)を取り換えた。
その船は同じものと言えるのだろうか?
田村心が佐野心に変わり、全く別の人生を歩むのだから、
これは同じものであるとは言えないだろう
しかし、その船(田村心)を後世に伝えるという意義において
自分の存在のあかしとしてタイムカプセルに埋めた指輪と、
父だけが持つ真実の記憶から果たす事が出来たと示したのではないか。

同じものであるという事実と、その目的の意義の二つ
それぞれがどちらを大切にするのか?なのではないか。

田村心が生きた家族の運命は何も変わらなかったというBADEND。
佐野心が生きる家族のHAPPYEND。それぞれがどちらを大切にするのか・・・