
週刊漫画雑誌『モーニング』に連載されたコミックのシリーズ。全五巻。友人に、「カレチ」を読めと勧められてアマゾンで探したのですが、キンドル版しかなかったので、ダウンロードしてキンドルで読みました。Wikipediaによると、「当初は昭和40年代後半を舞台に、乗客のために一生懸命になりすぎる国鉄の新米カレチ・荻野を主人公とした一話完結タイプの人情物だったが、話数を重ねるにしたがって年月が進行し、徐々に国鉄の斜陽化が描かれていくようになった。終盤では国鉄分割民営化問題に絡めてさまざまな立場で苦悩する国鉄職員の姿が描かれ、昭和62年(1987年)の国鉄の終焉とJRの発足をもって物語は完結した。」
昭和40年代といえば、わたしがものごころがついたころ。C57が走り、C11が走っていました。子どもの頃のC57のでっかい動輪といつ鳴るのか怖かった大きな汽笛。最寄りの駅は急行も停まらない小さな駅でしたが、駅員さんがいて、切符を売ったり転轍機を操作したりしていました。改札口横の小さな池の噴水の水が、水面に落ちるピチャビチャとした音は、今も耳の中で聞こえます。気動車急行キハ28。今はJRから急行もなくなってしまいましたが、子どものころにはあこがれの優等列車でした。優等列車の車掌さんの白服がまぶしかった。
まだ山陽新幹線はできていませんでしたから、姫路駅まで行くと、特急電車も誇らしげに走っていました。鉄道公安官がいて…荷物車から荷物を運ぶ列車みたいなの(ターレットというらしい)がトコトコ走っていて…
「カレチ」はコミックらしい、わかりやすいストーリーを展開しながら一話ずつ進行していきます。
読みながら、あの頃はふくよかな時代だったなと思います。国鉄は分割民営化され、合理化という名のもとに薄っぺらくなってしまった。それは国鉄だけではなくて、世の中全体がふくよかさを失ってしまったような気がします。
選挙の度に出てくる言葉は「無駄を省いて…」無駄を省く。一見、とてもいいことのような気がしますが、その省かれたもののなかに大事なものがあるように思うのです。確かに、合理化の恩恵により、安価になったり便利になったりしたものがたくさんあるはず。しかし、その一方で無くしてしまったものも少なくはないのではないか。
「カレチ」は無駄がいっぱいあった時代の物語です。ふくよかな時代の物語です。昔を振り返るようで懐かしく楽しい。しかし、この「カレチ」もまた、終盤ではカラ出張だとか、民営化の波を受けるところまで時代は進んでいく。
とても個人的な思いですが、懐かしさのまま読み終えられればよかったのに…
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