世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

旅の終り

2008年09月13日 02時32分54秒 | アジア


中国の成都からは、電車で一気に上海まで移動しました。1600km、40時間、2泊3日の列車の旅でしたが、中国に長くいるとそれくらいの移動では全然普通に感じてきます。以前の北京から昆明への移動はもっと長かったし、ほんとに広いです、中国は。

上海は想像を遥かに上回る大都会でした。ニューヨークや東京などの世界的大都会にもさほど劣らない都会ぶりには、正直びっくりしました。中国を旅して感じるのは、中国の国力はひょっとしたら一般的に日本人が思っているよりも遥かに凄いのではないのか、ということです。日本人や欧米人の旅行者と中国で会うと必ず話題になるのが”中国って想像以上に発展している”ということです。テレビや新聞などの報道を見ていると”沿海部はそこそこ発展しているが内陸部は貧しい農村である”というようなイメージで語られていることが多いように感じます。急速に発展はしているけれども、貧富の格差は開いているというようなイメージもあります。しかし、僕が訪れた中国の内陸部の町、例えば青海省の省都・西寧なんかは、完全に大都会でした。町に乞食はほとんどいないし、道行く人のほとんどは小奇麗な格好をしているし、それほど貧富の差というようなものは感じません。そこからバスで7時間の草原に囲まれた村・興海でも同様でした。格差の宝庫であるインドやアフリカ諸国に比べると、国民の大部分が中流階級という風に感じます。ある欧米系の雑誌でも”現在の中国は新たに出来た「中流階級」が人口の中で最も高い比率となってきており、経済活動でも社会生活でも中国の中心となってきていて、そのことが今後のさらなる成長への基盤となるであろう”というような論調でした。恐らく僕らは中国のことを過小評価しているんじゃないかと思います。毎年10%の成長を続ける国だから、3年後にはさらに凄い存在になっていることでしょう。そのことを考えると途方に暮れるような気持ちになります。といいながらも、流されていないトイレや街中で痰を吐きまくる中国人やコピー商品の山を見ると、うーん、やっぱり途上国なのか?とも思ってしまいます・・・。

賑わっている歩行者道路


外灘(バンド)から見た対岸の浦東エリア

上海のシンボルの東方明珠塔がロケットのようにそびえ立っていますが、右奥のビルの高さも相当凄かったです(写真では伝わってないですが)。

夜景バージョン


浦東の巨大スクリーン(上の写真の右側部分の望遠写真)

中央のAURORAと書いてあるビルと隣のビルの壁一面はそれぞれ巨大スクリーンとなっていて様々な映像が流されています。このような巨大なビルの壁の一面全体で映像を流しているのは初めて見ました。すごいです。上海すごすぎです。

対岸に渡って外灘側の夜景

こちら側は租界時代の古い建物が多いです。

浦東地区の高層ビル群

まさにコンクリートジャングルでした。

外灘の洋風なエリア

今まで中国の町というと、どこもかしこも似たような建物ばかりで個性が少なくてすぐに飽きてしまうのですが、上海は租界時代(部分的植民地時代)の名残が多く、見ごたえがありました。

古い煉瓦造りの建物が残っていたりして風情もありました。


町の中心地の公園では公開お見合い相手探し市のようなものが。

写真を撮ったら怒られました。この写真はこっそり隠し撮りしたものです。どうやら本人は来ていなくて、親族らしき人達が紙に名前・性別・年齢・学歴・職歴・趣味・結婚相手の条件・希望などを書いてそれを公園に並べて、その情報に興味を示す相手が現れるのを待つというシステムっぽかったです。旅行者でも誰でも普通に立ち寄れるような場所でこういうことを堂々とやっているという中国人の感覚は凄いですね。

上海といえばやっぱり雑技団!これはもう、めちゃくちゃ面白かったです。これに出演している人達は本当に超人です。それぞれのパフォーマンスには何段階かの見せ場があって、まずほんの触りの部分ですら、「すごい!」と唸ってしまうような超人技なのですが、そこからさらにレベルの上がったことをされて、「うわっ!」とか「まじでっ!」とか目の玉が飛び出るような衝撃を受けるのですが、そこからさらにもう一段階上のことをするんですよ、彼らは!もう「ななななななっ!」とか「ままままままじでっ!」とか「ぎょぎょぎょぎょぎょっ!」とか、そういった言葉にならない言葉しか出てこないです。本当に凄かったです。いくつかのパフォーマンスは過去にテレビで見たことがあるはずなのですが、それでも新鮮な驚きでした。

上演中の写真撮影は禁止なので出演者のポスターの写真です。

傘を足などでくるくると回すパフォーマンスです。映画の特殊撮影か?という感じの種も仕掛けも無いとはとうてい信じられない凄まじいパフォーマンスでした。

左はオートバイ・パフォーマンス、右は輪くぐりです。

この日の大トリが左のバイク・パフォーマンスだったのですが、これはもう、生涯決して忘れることが出来ないようなウルトラ・スーパー・パフォーマンスでした。今後見る人がいるでしょうからネタバレ的なことは書きませんが(内容を知らずに見た方が面白いと思います)、とにかく凄かったです。必見です。

上海の宿では、上海から日本へ船で帰るという日本人の旅人に何人か会いました。彼らと「早く日本に帰りたいねえ」なんて話していると、本当に一刻も早く日本に帰りたい気持ちになりました。


上海から大連へは各コンパートメントにテレビが付いている新しい車両の電車で移動しました。大連に日本時代の友人・たぬきさんが語学留学中だったので、たぬきさんに大連を色々と案内してもらうことができました。たぬきさん、体調の悪い中、どうもありがとうございました。


たぬきさんが留学中の大学の敷地内の店でビールを頼むとグラスとして湯飲み茶碗が出てきました。うーむ、、、さすが、中国・・・!


ショッピング中に見かけた中国オリジナルと思われるキャラクターグッズ・ジムとミーナ(JIM&MINA)


久しぶりにカラオケにも行きました。

写真はたぬきさんの大好きなマレーシア人の歌手です(中国語で歌うので中国で人気があるらしい)。さすが、中国に来てから1年経つたぬきさんは、見事に中国語で彼の歌を熱唱していました。僕の方はというと、入っている日本語の曲が1990年前後の曲しかないので、自然とナツメロ大会になってしまいました。それでも久しぶりのカラオケはかなり楽しかったです。

駅前のショッピングモール

ガラス張りの壁だし、スターバックスや吉野家が入っていて、なかなか素晴らしいビルでした。

ドラ焼き屋さん

中国人はドラえもんが大好きなのですが、大連のドラえもん好きは他の地域よりも一段上でした。ドラ焼き屋がいくつかあって、しかも「あん♪あん♪あん♪とっても大好きドラえ~もん~♪」という曲までかかっていました。しかもキャラクターグッズまで売っているし。恐るべし大連。

大連から韓国までは船(大仁号)で行きました。この旅で最後の国・69カ国目の韓国です。以外にも豪華で快適な船旅でした。お客さんは中国人と韓国人が半々くらいでした。

二等のチケットを買ったのですが、なぜか一等船室に入れてくれました。船室内にテレビ、トイレ、シャワーが付いている超快適な部屋でした。


さよなら中国




韓国では、中東のシリアで出会った韓国人の友達にいろいろと案内してもらいました。それにしても、韓国は中国と比べるとかなり日本に近いです。韓国人の友達も「中国と韓国はあまり似てないです。地続きなのに不思議です。日本と韓国は似てますね。」と言っていました。それにしても、街中で痰を吐く人がいないだけで、こんなに気分が良いとは思いませんでした(僕も今後は気をつけます)。道端に落ちているゴミは少ないし、電車やバスで騒ぐ人や音楽を大音量でかける人もいないし、服装も洗練されているし、町の外観に関しても建物の造りや看板の付き方が日本っぽいし、言葉の違い以外は日本にいるのとほとんど違いはなさそうです。

友達曰く”韓国の原宿”

原宿とはちょっと雰囲気は違いますが、観光客や韓国の若者が集まるメジャースポットのようです。日本人観光客がめちゃくちゃたくさんいました。

ソウルの中心を流れる人工の川・チョンゲチョン

現大統領がソウル市長時代に作った人工の川だそうで、市民の憩いスポットらしいです。現大統領は韓国経済が不調のために不人気らしいのですが、ソウル市長時代のこの仕事は市民から好評を得ているそうです。


韓国といえば、何といっても韓国料理が最高でした。この旅で最も料理が美味しい(というか僕の口に合う)国でした。何を食べに行っても数種類のキムチが無料でついてくるし、お米は美味しいし、それだけでもう素晴らしいです。焼肉、冷麺、ビビンバ、チゲ鍋、チヂミなど、何を食べても大満足の美味しさでした。料金はさすがにちょっと高いのですが、日本で韓国料理を食べることを考えると激安です。

友達お勧めの有名店で食べた冷麺

この旅で食べた美味しいものランキングで絶対にベスト5に入るであろう美味しさでした。スープの甘さと酸っぱさと辛さのブレンドが絶妙でした。

韓国風焼肉

見ての通りの美味しさでした。

古い町並みが残る地区・北村韓屋村

実はソウル中心地にある高級住宅街らしく、昔ながらの古めかしい木の門にセコムのマークが貼ってあったりする家が多かったです。でも観光地でもあるらしく、日本人ツアー客なんかが写真をパチパチと撮っていました。もちろん僕も。一般人の住む住宅地なのに。

ナムサン(南山)から見る夕焼



ソウルから釜山へはKTXという韓国版新幹線に乗っていきました。最後の滞在地・210都市目の釜山へ。素晴らしい乗り心地でした。

そして釜山で泊まった最後の宿がこれです。

一泊3500円のシングルルームなのですが、広くて清潔な部屋に、40インチ近い大画面のテレビ(NHKが映りDVDの無料貸し出しまであり)、ネットに繋がるパソコン、無線LAN、冷蔵庫、熱湯も出る給水機、エアコンに扇風機、テーブル、イス、バスタブ付きのシャワールーム、ドライヤー、歯ブラシ、シャンプー、タオル、パジャマ、などという考えられうる最高の設備の部屋でした。しかも駅から徒歩1分で、徒歩3分以内にコンビニが数軒あり、旅の最後の夜は夢のような環境での宿泊となりました。翌日、前回のブログ(帰国直前日記)をアップし、バスで数分乗って港に行き、福岡行きの船に乗りました。

船に乗る直前。鏡に映る自分を撮ってみました。

船の乗客のほとんどは日本人の団体ツアー客でした。みんな荷物はスーツケースで、バックパックを背負っているのは僕一人でした。

出航時の釜山は雨だったのですが、福岡に着く頃には晴れ間が見えてきました。でも、まだ雨はぱらぱらと降っているみたいで、この時の僕の心情のように複雑な空模様でした。



韓国からの船は無事日本に着きました。入国時の荷物検査で、東南アジアに行ったことを言うと別室に連れて行かれて厳しい荷物チェックを受けました。やましいものは何も持っていなかったので別にびびったりはしなかったのですが、やっぱりたった一人汚いバックパックを背負っているのが怪しく見えたのかと、ちょっと自分の身なりが心配になりました。荷物チェックが終り、福岡の中心地・天神に出てみると、町を歩く人のオシャレ度が、韓国なんかとは比べ物にならないほど高くてびっくりしました。ソウルにいる時は、韓国と日本はほとんど同じだと思っていましたが、オシャレに関してはまだまだ日本が数段上のような感じです。それに引きかえ僕の服装は、大連で会ったたぬきさんから「中国人そのもの」と言われるような服装です。長期旅行バックパッカーの割には小奇麗な格好をしているとたまに言われていたのですが、一般人から見るとかなり酷いみたいです。ちょっと恥かしいですが、まあ仕方ないです。家に帰って着替えるまでの我慢です。

中国で出会った何人かの旅人には、「福岡から姫路までヒッチハイクで帰る!」などと吹きまわっていたのですが、日本に着いたとたんに急にヒッチハイクをするのが激しくめんどくさくなったので、大人しく夜行バスで神戸まで帰りました。そこから電車で実家のある姫路市の英賀保駅まで帰りました。電車内で、早朝の通勤・通学している人にまぎれて汚くて大きいバックパックに乞食まがいの中国人的な服装にヒゲという僕の姿は、さすがにちょっと浮いていました。加古川あたりで乗り込んできたおじさんの乗客が、しばらく僕のことをじろじろと見た後で「山にでも行ってきたんですか?」と聞いてきたので「いや、ちょっと海外旅行を・・・」ともごもごと答えると、そのおじさんは海外の山にも詳しくてパキスタンのフンザやネパールのヒマラヤの話で少し盛り上がりました。おじさんが降りた後、近くにいる男子中学生3人組の関西弁の会話が聞こえてきて、それがまるで漫才のようなテンポのよさで面白くて、聞いていてなんだか嬉しくなりました。旅行中は他の乗客の会話は全て意味がわからなくて聞き流していたけど、日本では全部意味がわかるので思わず耳を傾けてしまいます。窓の外の景色は旅行前に何十回と見ている見慣れた景色のはずなのですが、なぜか印象が少し違っていました。こんなに緑が多かったかな?こんなに家はまばらだったかな?まるで、初めて乗る電車に乗ってまだ行ったことのない見知らぬ町へ移動しているような、まだ旅が続いているような錯覚が襲ってきました。でもまあ、また次にこの風景を見るときにはそんな錯覚は消えていることでしょう。




しばらくして僕は家に着きました。バックパックを降ろし、母親に作ってもらった朝食を食べました。そして僕の世界一周の旅は終わりました。