世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

中国の味

2008年07月03日 00時03分52秒 | アジア


久しぶりの更新になってしまいました。中国入国してからずっと忙しく移動していて、それが落ち着いたとたんに体調を崩したりカメラが何度も壊れたりもして、ブログを書く余裕がないまま時間がいつの間にか過ぎてしまいました。



1ヵ月半も滞在してしまったパキスタンを出国し、ようやく半年間も続いた南アジアの旅が終わって、ついに中国にまでやって来ました。中国と言えば、地域的分類だと東アジアだし、日本のお隣さんの国だし、いよいよこの旅のゴールが見えてきたという感じがしてきました(この後まだ東南アジアにも行くのですが)。入国後、まずはタシュクルガンという中国の最も西にある町に来たのですが、日本との時差4時間のパキスタンと経度はほとんど変わらないのですが、国境をまたいで中国に入ったということで日本との時差はたったの1時間になりました。

ところで、中国に入る前、マスメディアから伝えられる情報や旅人からの評判により、僕は中国に対してかなり強い恐れを抱いていました。根強い反日感情、高まるチベット問題、土壌や河川や大気を激しく汚染している公害問題、インターネット検閲問題、中国製製品の品質問題(今年に入ってからも日本で毒入り冷凍餃子問題がありましたね)、中国人のマナーの悪さやトイレの酷さに関する噂の数々、、、数え切れないほどの多くのマイナスイメージを持っていました。プラスイメージといえば食べ物の美味しさに関することくらいでしょうか(あ、あと、この旅で何度もお世話になった世界中あらゆる国に移住してたくましく暮らしている華僑の人達は素晴らしいと思います)。反日感情に関しては、数年前のサッカーのアジアカップが中国で行われた時に(確か決勝で日本が中国を倒して優勝したはず)、日本代表チームの試合の時に、対戦相手が中国でないにも関わらず、中国人観客から執拗なブーイングが日本に対してあったことがあり、それ以来僕の中で「なんやねん、この中国人のぼけどもが」という感情が根付いていました。

しかし、実際に中国に来てみると、上記のようなマイナスイメージは感じられず、むしろインドやパキスタンを経てから来ると人々の顔が日本人と似ていることもあって、とても親しみやすい国に感じられました。人々は、英語は全然話せないけど、にこやかで親切です。インフラの整備状況もパキスタンやインドなどと比べると格段に良く、道路は広いし、歩道も広いし、ゴミ箱もたくさん設置されていて清潔だし、町歩きがとても楽です。ドライバーの交通マナーも中東や南アジア諸国に比べると随分良いし、バスや電車も新しくてきれいできちんと整備されているし、旅をしている感覚としては完全に先進国という感じです。もちろん北京や上海や広州などの有名大都市は日本や欧米と変わらない先進ぶりだというのは情報として知っていましたが、まさかパキスタン国境に近い西の最果ての町が、このような発展ぶりだとは思いもよりませんでした。

そういえば、パキスタンのラホールで中国人の若い女の子の旅行者と話している時に、中国人の反日感情について尋ねたことがありました。彼女は「そんなの全くないわよ!年をとっている人には多少あるかもしれないけど、若い人達はむしろ日本のことが好きよ。みんな日本の映画やドラマや漫画をよく見るし、ファッションだった真似しているし。あまりメディアの報道にはだまされないことね。それはそうと、あなた”薔薇と牡丹”っていう日本のテレビドラマ知ってる?」なんて言っていました。

それに、なんといってもご飯がめちゃくちゃ美味しいし、僕は中国のことがすぐに好きになりました。これほど良い意味で予想を裏切られた国は初めてです。ただし、トイレだけは例外ですが・・・。(便所についてはまた後ほど改めて書く予定です。)

フンジュラーブ峠


パキスタンから中国へは標高4700mのフンジュラーブ峠を越えて入ります。その峠の上に中国の国境事務所のようなものがあり、そこで過去最も厳しい荷物チェックを受けました。バックパックとサブバッグの中にあるありとあらゆる荷物を外に出して、それら一つ一つを詳細にチェックされました。服も下着も電化製品も本もその他小物も、それぞれ一つ一つを入念に。執拗なチェックは僕の分だけで45分以上は続いたと思います。中でも驚いたのは、ノートパソコンの中の写真データやカメラのメモリカードの写真データをチェックされたことでした。まさか、国境の荷物チェックでパソコンの電源を入れることがあろうとは思いませんでした。そういった厳しいチェックがようやく終わった最後に、さっきまで厳しかった若い係官が、それまで全く英語が話せなかったくせに、急に「ご協力ありがとうございました。」と慣れない英語で照れくさそうに言ってくれたのが印象的でした。きっと彼の覚えている数少ない英語の一つなんでしょう。彼のちょっとした心遣いでイライラしていた心がちょっと晴れました。

そして、イミグレオフィスのある国境の町タシュクルガンへ行きました。そこは、パキスタンから行くと、まるで天国のようにきれいに整備されている小さな町でした。上にも書きましたが、道は広くてきちんと整備されていて、商店や食堂が多く物が豊富で、少し移動しただけですが全く違う国に来たのだという実感が沸きました。しかも、この町は町並みは中国風ですが、住んでいる人はタジキスタン系(中国の西隣の国)の民族みたいで、顔は白人みたい(トルコやイラン系)で、服装も特徴的な民族衣装でした。そういったなかなか興味深いタシュクルガンの町で一泊する予定だったのですが、国境を越えるミニバスに同乗していた中国人の一団に、乗り合いタクシーに乗って今日中にカシュガルまで行こうと誘われたので、そうすることにしました。

タシュクルガンの町


カシュガルへの道。カラクル湖。


夜の12時ごろにカシュガルの町に着いたのですが、その都会ぶりにはまたまた驚きました。ネオンの光る食堂やら商店やらいかがわしい店やらが、広くてきちんと舗装された道路の脇にこれでもかと立ち並んでいる光景を見て、久しぶりに日本っぽい町に来た気がして、なんだか嬉しくなりました。インドやパキスタンのような混沌とした無法地帯的雰囲気はここにはありません。あと、女性が肌を露出した服装で外出しているのを見るのも随分と久しぶりです。テンションあがりますね。

そして、この日チェックインしたカシュガルに来るバックパッカーのほとんどが泊まるといわれる宿のロビーが下の写真です。



僕は最初、完全に場所を間違えたと思いました。こんなところに、バックパッカーが泊まれるはずが無い。でも、ガイドブックに乗っている名前は完全に一致している。駄目もとで、この一見すると高級ホテルのフロントに”ド、ドミトリーはありますか?”と恐る恐る聞いてみると、”あります。一泊30元(約500円)です”との返事が!さすが中国。中国ではバックパッカーはこんなところに泊まれるんだ!と興奮しつつ、部屋に入ると、なんとエアコンとテレビが付いていて、しかもホットシャワーが24h使えて、その上湯沸かし器まで付いていると言う素晴らしい部屋でした。ドミトリー(相部屋)なのに。中国、恐るべし。

カシュガルの町


カシュガルの屋台街


おいしい一人用鍋


そして、次の日からは毎食中華料理が食べられると言う幸せが待っていました。中華料理は本当に美味しいです。ああ、幸せです。本当に幸せです。インドとパキスタンで長らく食に苦労し続けてきただけに、この幸せが本当に身にしみます。ヨーロッパやアフリカや南米を旅している時は中華料理屋を見つけると思わず入って中華料理を食べていました。もちろん、日本料理があれば最高なのですが、日本食は高いし、アフリカや南米などではほとんど見つけられないし、それに比べると中華料理は安いし、どこの国でもだいたいあるし、僕の食生活を随分と助けてくれていたのです。しかし、本場中国の中華料理は世界各地の中華料理とは一味も二味も違っていました。どんなローカル食堂に行ってもメニューが豊富だし、何を頼んでも美味しいし、なんといっても安いし、毎日の食事で何を食べるか考えるのがとても楽しいです。こんなことは、ネパールのカトマンドゥ以来です。
(中国入国当初は、上記のように熱い気持ちでしたが、最近は中華料理もたまに外れることもあるということに気付いたので、この情熱は沈静化しています。)

カシュガルにてしばらく中華料理を堪能した後は、電車に乗って約35時間、一気に敦煌にまで移動しました。これだけ移動してもまだ中国の西の地域から出られないという所が凄いですね。

中国の電車(硬座)

一見すると日本と変わらない中国の電車のクオリティです。インドとは雲泥の差です。でも、客は中国人なので、時間と共に床が絶望的に汚れていきます(容赦なく落とされる食べ物のカスや吐き捨てられる痰により)。まあ、その辺のマナーはトイレの件も含めて、中国人はやっぱり中国人だなあ、という感じです。日本や欧米とは大きな文化の違いですね。そして椅子はその名(硬座)のとおりやっぱり硬めで、リクライニングは無かったです。インドの電車と違うところがもう一つ、英語が全く通じないので、せっかく話しかけられてもほとんど会話が通じないところです。これについては、ちょっと残念です。

硬臥(安い方の寝台車両)にも乗りましたが、こっちも文句のつけようが無い素晴らしいクオリティでした。インドとはやはり雲泥の差です。

敦煌では莫高窟という遺跡と鳴沙山という砂丘を観光しましたが、印象に残ったのは、隋さんという日本語ぺらぺらの中国人の観光ガイドでした。
敦煌に着いたその日に昼食でも食べようかとぶらぶらしていたら、「こんにちは。日本人ですか?」と歩道で声を掛けられました。中年の中国人の男性でした。中国ではこういことは初めてのことだったので初めはびっくりしましたが、話を聞いてみると僕が持っている「旅行人」というガイドブックにも名前が載っている有名な隋さんだったのでした。彼の提携する店で昼食を食べながら、敦煌観光事情についていろいろと教えてもらいました。隋さん曰く「最近は、日本人の旅行者が減っちゃったよ。中国人の旅行者も減ったしね。大変だよ。」とのことでした。

莫高窟の大仏のある所

内部は写真撮影禁止なので。。。

鳴沙山

見事な砂丘でした。しかし、残念なことに砂嵐でカメラが壊れました。上の写真は壊れる前のカメラで撮ったものです。

その後、僕1人で観光に出かけて、莫高窟、鳴沙山という二大観光を終えて、しかもカメラが壊れて打ちひしがれて、とぼとぼと敦煌の町を歩いていると、遠くから「しんいちさーん!」と僕を呼ぶ声がしました。見ると、隋さんが20mくらい離れたところにいる僕を見つけて、声を掛けてくれていたのです。隋さんのところに行くと、早速「ビールでも飲む?」と来ました。隋さんはビールが大好きなのです。毎晩日本人観光客を捕まえてはビールを飲んでいるっぽいです。昼に会った時は前夜飲みすぎのため二日酔いでした。ビールを飲みながら壊れたカメラについて隋さんに相談すると、砂漠ではしょっちゅう観光客がカメラを壊すみたいで、翌朝カメラ屋に直しに連れて行ってくれることになりました。その後、ぐびぐびと冷えたビールを飲みながら(そうです。中国はビールも安くて美味しいのです。)隋さんは、敦煌観光地区の熾烈な客取りの争いの話や、政府が店の看板や張り紙・内装に至るまで細かく指導してくることに困っているという話や、中国の食料品物価がこの1年で2~3倍に上がって困っていると言う話や、僕が顔も名前も知らない日本人旅行者同士の恋の話まで、夜中まで延々と語っていました。ネパール以来、久しぶりに心ゆくまでビールを飲めて、楽しかったです。



翌朝、隋さんのおかげで無事カメラも直り、次の目的地へ行くバスで出発を待っていたら、なんと隋さんがバス停までわざわざ見送りに来てくれていました。ちょっと感動しました。ありがとう、隋さん。隋さんが新しい店(敦煌風味)で商売が上手くいくことを祈っています。


ということで、中国の旅は出足はなかなか好調なのでした。


追伸:ホームページの方を久しぶりに更新しました。そちらもよろしければご覧になってみてください。
http://www.geocities.jp/in_shore_kisimt/index.html