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世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

2006/10/20-21 ブダペスト最後の夜

2006年10月22日 17時28分18秒 | ヨーロッパ

20日は、夕方まで近所をブラブラしたり漫画を読んだりして時間をつぶした後、くさり橋のライトアップの瞬間を見に行きました。残念ながら曇っていたので夕焼けは見れませんでしたが、パッと光が灯り、徐々に青から、黄色、オレンジへと変わっていく姿は素晴らしかったです。



その後、王宮の丘に登り市街を見下ろしました。町にはネオンがほとんどなく、くさり橋や国会議事堂以外は、光が少なめで、静かに美しいという感じです。観光客も少ないし。


21日は土曜日なので蚤の市をやっているということです。蚤の市マニアのMちゃんと東欧最大と言われているエチェリのフリーマーケットへ。噂ではノートの切れ端とか、本当にくだらないガラクタが売ってあるとのことでしたが、実際行ってみると噂以上にガラクタの山でした。ノートの切れ端はやっぱり売ってたし、初代ファミコンとか、壊れてぼろぼろの人形とかもありました。記念にアンティークっぽいナイフを買いました。

この日の夜は、ヘレナハウスでの最後の夜です。次の日のリュビュリャーナ(スロベニアの首都)きの列車のチケットを買っていたので。
この日も前日も、100カ国以上に行ったことのあるバックパッカーが到着していたので、彼らの旅の話をドキドキしながら聞かせてもらいました。特に、この日宿に来たH君は7年も旅行を続けて合計130カ国も行っているという凄まじい旅行者で、旅のエピソードも写真も想像を絶するほど凄くて、感動してしまいました。
振り返ると、ヘレナハウスでは一日昼寝をして過ごしたり、シェア飯したり、超長期旅行者の楽しい話を聞けたり、大富豪したり、海外旅行先では初体験のことばかりでした。ずっと先まで思い出に残る宿になりそうです。

2006/10/18-19 ブダペスト 漫画と昼寝と温泉と

2006年10月20日 19時32分26秒 | ヨーロッパ


宿には日本語の漫画がMONSTERとゴルゴ13と置いてあります。僕はどちらも未読だったのですが、MONSTERは18巻まであり、読み始めると時間がかかりそうなのですが、ゴルゴ13は4冊しかなく手ごろそうだったので、昼食後ポテチをほおばりながら手にとってみました。かなり面白かったです。読み終わった後、眠くなってきたので昼寝しました。気がつくとやっぱり夜でした。スーパーで買ってきたサンドイッチを食べて、日本人客とトランプの大富豪をしたら一日終わりました。観光全くせず。うーん・・・こんなことでいいのだろうか?と思うのですが、このなんともいえない気だるい感じが、なんだか心地良いです。深夜の大富豪がすごく面白かったし、大富豪中にヘレナに「うるさい。しずかにして。」と怒られたのも、なんだか修学旅行みたいで懐かしい気分。(31にもなって、なんですが)

次の日は前日の反省もあり、午前中から行動しました。同時期にヘレナハウスに宿泊したトランプ仲間のK君とMちゃんの二人と、ディナーはフォアグラで料理を作ろうということになり、中央市場(冒頭の写真)へ行きました。

高級食材フォアグラなのですが、ブダペストでは割と安く買えるのです。他に豚のスペアリブやワインなどを買いこんで、ディナーへの期待は膨らみます。

午後からは、温泉へ。ハンガリーはヨーロッパ有数の温泉国らしく、ここブダペストにも温泉はたくさんあります。その中では最も大きくて屋外の大プールがあるセーチェニ温泉へ行きました。

↑温泉とは思えない立派な建物にびっくりしました。温泉の温度は38度と少しぬるめなのですが、長時間浸かっている分にはこれくらいの方がいいかもしれないです。ミュンヘンのなおくん宅以来の久しぶりの湯船に、極楽気分です。屋外温泉、屋内温泉、サウナ、と十分に堪能して腹ペコ状態で宿へ。
Kくん、Mちゃんと3人で米を炊き、肉を焼き、フォアグラを焼き、1時間の料理のあとで食べたディナーは美味しかった~!(でも油っこかった)
この日の夜、ついにMONSTERに手を出してしまいました。びっくりするくらい面白いですね。明日もだらだらするのかなあ。。。


2006/10/16-17 ブダペスト 日本人宿ヘレナハウス

2006年10月18日 18時10分05秒 | ヨーロッパ

ブダペストは、美しい街並で知られる都市ですが、僕の最大の目的はここで日本人宿に泊まることです。日本人宿というのは、世界中に存在する日本人の溜まり場になっている宿で、安い宿泊料金で、日本語の小説やマンガ、旅の情報ノートが置いてあるというかなり魅力的な宿です。アジアや南米には結構あるのですが、ヨーロッパには存在が少なく、この旅では一度も泊まっていませんでした。でもブダペストには有名な日本人宿「ヘレナハウス」があることをネットで知っていたので、今後の東欧旅行の情報収集と英語疲れを癒すためもあり、泊まることにしたのです。(せっかくの2週間の語学留学はなんだったんだ、という意見もありますが)
ロンドンからの飛行機は1時間半も遅れて飛び立ち、ブダペストに着いたのは夕方の6時くらいでした。ネットで調べた住所を頼りにバスと地下鉄を乗り継いで宿のあるはずの場所へ行き着いたのですが、それらしきサインは全くありません。ヘレナハウスはプライベートルームなので、マンションの一室を旅行者に開放しているだけで、ホテルとしての体裁がないみたいです。入り方が分からないのでこの日の宿泊はあきらめ、幸い道の向かいにユースホステルがあったので初日はそこに泊まることにしました。そこの宿泊客はさすがに白人ばかりだったので、語学留学の成果を発揮するチャンスがいきなり到来です。夕食はオーストリア人(20:ウクライナでドイツ語教師)と、翌朝の朝食はカナダ人(熟年:社長をしていたビジネスを売って、世界中を旅行中)と一緒に食べたのですが、やっぱりスピーキングはそんなに上達していませんでした。。。まあ、仕方が無いので気長に伸ばして行きたいと思います。ヘレナハウスへの入り方はネットカフェで調べました。(なんと、mixiにヘレナハウスのコミュニティがありました。)

翌朝10時頃、ヘレナハウスへ。宿には日本人がまだベッドでごろごろしています。ああ!なつかしい、この感じ!昔、バルセロナやクスコで日本人宿に泊まったことがあり、このゆるい感じがとても気に入っていて、いつか僕もこういう宿でゆっくりしたいなあ、と思っていました。(当時は1週間の旅行だったので一泊であわただしく出て行ってました。)午前中は久しぶりの日本人との会話に狂喜し、午後はこの宿はランチがついているので、それを食べ、昼過ぎまでだらだらと過ごしました。ああ、一気に英語を忘れそう。

重い腰を上げて観光へ。ブダペストはさすがに有名な観光地だけあって街並は美しいです。ドナウ川、くさり橋、王宮の丘と行きましたが、かなり良い雰囲気です。ただ、オフシーズンだからなのか観光客は少ないし、活気もあまりありません。たまに旅行者との間でプラハとブダペストが似ているので、二つを比較する話をするのですが、訪れる時期にもよるのでしょうが、僕は町が小さくて旅行者が多く活気に溢れるプラハが好きです。特に夜景は圧倒的にプラハの方が綺麗です。ブダペストは、新しい建物が観光地にまぎれて林立しているし、車道が多くて交通量も多くて、そこはあまり好きではありません。と、悪口を書いたりしてしまいましたが、ブダペストは物価も安いし、町も美しい良いところです。基本的には好きです。気温が低いところは嫌いだけど。

静かに流れるドナウ川

王宮の丘に登っている途中に「きしもとさん!」と声をかけられ、何かと思ってキョロキョロしていると、同宿の韓国人の女の子が上から声をかけてきてくれていたのです。びっくりしました。彼女は10年以上日本に住んでいたことがあるらしく(彼氏も日本人。その彼氏はオーストリアに留学中で、彼に会うためにこの旅行に来たそうです。)日本語がぺらぺらで、一緒に観光しながら韓国の文化などについていろいろと話を聞けました。韓国人はやっぱり赤ちゃんのころからキムチを食べるとか。

寒さに震えながらくさり橋のライトアップを観光し、宿へ戻りました。

宿では日本人数人+その韓国人の女の子で、深夜まで旅の話やくだらない話でだらだらとしゃべり、「ああ、日本人宿っていいなあ」と思いながら、英語を忘れつつ、心地よい眠りにつきました。

2006/10/9-16 ロンドン プチ語学留学修了・総括

2006年10月17日 04時20分17秒 | ヨーロッパ


2週間のプチ語学留学がついに終了しました。本当にあっという間に終わってしまいました。毎日英語の勉強でくたくたになって、あまり観光どころではありませんでした。
天候は、最初の1週間はロンドンらしく天気が良くなく、晴れたり雨が降ったりだったのですが、後半の1週間はびっくりするくらい毎日晴天で気温も高く、とてもすごしやすかったです。(後半は異常気象っぽいです。)
物価は噂どおり高かったです。ただ、宿は夕食付のホームステイだし、ミュージアム系が全て無料だったので、助かりました。ただ、マダム・タッソーとかロンドン・アイ(観覧車)などのアミューズメント、そして外食(学食含む)はめちゃめちゃ高かったです。不思議とネットカフェだけは大陸欧州よりも安かったです。(中心部でも1時間220円が相場)
一度、平日に力を振り絞ってロンドン・アイへ行きました。夜景がやっぱりきれいでした。そして一人だと寂しい。

ロンドン・アイ。ちょっと斜め。

ロンドン・アイから見たテムズ河

ホームステイについて。アルジェリア人とインド系2世、そして30代の夫婦だったので、想像していたホームステイ(イギリス人老夫婦)とは全然違っていましたが、居心地は良かったです。適度にかまってくれて、適度にほったらかしてくれるという感じで。食事はアルジェリア料理かインド料理だったのですが、まあまあおいしかったです。(最後は完全に飽きてきましたが。)最後に旦那さんから、旅行に必要だろうということで手袋をもらったのが、とても嬉しかったです。

アニター(左)とマリオ。良い人たちでした。

学校について。前の記事に書いたようにリスニングとリーディングは明らかに良くなりました。最初は先生や他の生徒がしゃべっていることが全然分からなかったのが、最後の方はだいたい分かるようになってきました。後、ロンドンでは駅などで新聞が無料で配っていて、行き帰りの電車でそれを読んでいたので、英語を読むことがあまり苦にならなくなってきました。(その新聞はホッチキス止めで70ページ以上あり、社会面からスポーツまで充実の内容でした。朝だけでなく夕刊まで。)ただ、最も伸ばしたかったスピーキングは、上達したのかどうか不明です。相変わらずしゃべりはたどたどしいです。(日本語のしゃべりもそんなに流暢じゃないから、しかたないのかなあ)この後の旅行での旅行者達との会話で、上達したかどうかが明らかになると思います。

↑左から、クリスチャン(20:スイス。頭脳明晰)、サラ(23:イタリア、ラテンなノリ、同期)、ゲイル(先生、なんと仏教徒、個人授業ではお世話になりました)、ベギー(19:カザフスタン、若い)、ゾエ(26:ハンガリー、物知り)

ハシーム(スーダン、ナイスガイ、唯一僕と英語が同レベル)

最後の週末について。土曜日はイギリスでの最後の観光、サッカー観戦へのチャレンジです。公式チケット代は先週調べて購入不可能という結論(最低23000円)に達していたので、この日はダフ屋に最後の望みを託し、アーセナルの本拠地エミレイツへ行きました。

しかし、最初に出会ったダフ屋がいうには「55000円。これがベストプライスだ。」
・・・もう交渉する気も起きません。ダフ屋はふらっと少し歩いただけで10人以上遭遇できたので、かなりの数がいたと思います。あるダフ屋に予算を聞かれたので11000円と応えると、はっはっはと笑って、「お前はWrong manだ」といわれました。。。まあ、最低価格は28000円くらいだったし、あきらめました。

日曜日は学校のクラスメイト・クリスチャンとサッカーの約束です。最初にして最後のプライベートな付き合いです。(何人かとメルアド交換したので旅行中に再会できるかもしれませんが)しかし、いざ行ってみると何かの手違いで、僕とクリスチャンともう一人の英語の先生マークの3人しか集まりませんでした。仕方なく3人でボールを蹴った後、もう一人その辺でテニスをしていた黒人を捕まえて4人で2:2のミニゲームをしました。最初は楽しかったけど、最後はぐだんぐだんに疲れました。

マークと。最後に年齢を聞いて27歳と分かったときはたまげました。ずっと彼が年上だと思ってました。

最後の夕食は前から目をつけていたソーホーの行列ができていた日本食レストラン「みさと」へ行きました。カツカレーがほっぺたが落ちるくらいおいしかったです。感動!

月曜日の朝に2週間前の早朝に夜行バスが到着したヴィクトリア駅を経由してガトイック空港へ。夜行バスでここに着いたのは、つい2、3日前のように思えます。あっという間に過ぎ去ったけど、楽しく充実していたロンドン滞在でした。

次の滞在地はハンガリー・ブダペストです。いよいよ旅行再開です。この後ギリシャまで陸路でぼちぼち南下して、イタリア⇒南欧⇒スペイン⇒モロッコの予定です。まずは東欧で安い物価を堪能するぞ!


2006/10/4-8 ロンドン 英語勉強の合間に観光

2006年10月10日 00時36分22秒 | ヨーロッパ

ロンドン滞在も1週間が過ぎました。あっという間でした。旅行に出てからロンドンに来るまでは、時間が経つのがすごく遅く感じていました。バルト3国にいたのが、たった1ヶ月前とは信じられないです。でも、ロンドンで毎日学校に通うという変化の無い毎日になって、突然時間の流れ方が変わりました。僕にとっては、繰り返しの毎日はとても早く流れていくようです。逆に旅行中は、ほぼ毎日場所が変わり、宿が変わり、周りの人も変わるという中で、日が経つのがとても遅く感じられていました。

英語学校はかなり疲れます。一度、学校が終わった後、テートモダンという現代美術館に行ったのですが、あまりにしんどくてソファで寝てしまいました。(テートモダン自体は、かなり面白かったです。キリコとかダリとかエルンストとか。)あとは、主にショッピングをすることが多いです。ロンドンが結構寒いので服を買ったりとか。でも、やっぱり物価は高いです。ポンド高のため、日本の1.5~2倍くらいに感じられます。北欧並み。


土日はさすがに観光しました。僕はロンドンは2回目です。1回目は9年前、大学の卒業旅行の時です。その時にナショナルギャラリーも大英博物館もビッグベンも行っているので、後は自然史博物館とマダム・タッソーとサッカー観戦が僕の中での残るメインイベントです。

土曜日はロンドンとは思えない晴天です。メインストリートを散歩して、サッカー観戦のチケットの値段をチケット屋でチェックしました。なんと2万8千円!!!うーん。。。次の金曜日に来れば2万2千円になるらしいけど。。。うーん。。。


市街をぶらぶら歩いていたら疲れたので、ハイドパークで昼寝しました。置いてあるデッキチェアを勝手に使っていたら330円も取られました。


そうこうしていると自然史博物館の閉館時間が迫ってきました。急いで入館し(イギリスはミュージアムが無料なので、閉館間際でも悩まなくていいですね。)、恐竜コーナーなどを堪能しました。

カピバラも、もそっと展示されてました。


日曜日は、マダムタッソーの蝋人形館へ。(この日も晴れ!)かなり人が多くて、入場するのに30分くらい並びました。僕以外の客は全員、カップルか家族か団体で、一人で来ているのは僕くらいでした。うーん、寂しい。そして、自分と人形のツーショット写真が頼みにくい。蝋人形は、想像してたよりも、遥かにリアルで、びっくりしました。人形が人ごみにまぎれて、どれが人形でどれが人間かぱっとわからないくらいです。



↑きれいな人と目が合った!とか思いました。

↑セクシーなベッカム嫁

↑一番人気のブラッドピット。めちゃかっこいい。

↑ひげの剃り跡もリアルなシャウトするフレディ

↑ビートルズとガチャピン

あとは、ちょっとしたお化け屋敷もあったり。(結構こわかった。。。)結論は、楽しいけど一人で行くところじゃないって感じです。寂しいです。高いし。(5500円)

ところで、1週間後の英語の上達具合について。さすがに英語漬けの毎日なので、多少進歩しているんじゃないかと思わなくもないような、全く思わないような・・・。いや、でも、リスニングとリーディングは確実に進歩したと思うのです。四六時中英語に囲まれてるので。しかし、もっとも苦手なスピーキングがなかなか思うようにいかないです。原因は、英語学校で、プライベートを共にする友達ができてないからかもです。とにかく、後1週間、今まで以上に頑張ります!

2006/10/1-3 ロンドン 初ホームステイ&初英語学校

2006年10月03日 06時02分26秒 | ヨーロッパ

この日ロンドンについてまずしなければいけない事は、ホームステイ先に電話して、家にいつ・どうやって行くかを確認することです。(そもそも僕が泊まることの連絡が行っているかどうかも)しかし、早朝5時半と言う何も出来ない時間にバス駅に降ろされたので、とりあえずベンチでぼんやりしてみました。そこで、同じバスだった日本人の方と時間つぶすことに。彼女は同じように今日からホームステイを開始するそうなのですが、ロンドンは過去何ヶ月も留学などで過ごしたことがあるらしく、いろいろと有益なロンドン情報を教えてもらいました。
そうこうしているうちに9時になったので、ホストファミリーに電話してみると、なんともあっけなく「こうこうこういう行き方で今からこい」と言われ、とんとん拍子で話は終わりました。
オイスターカードという超便利なカード(市内の電車・バス・地下鉄が乗り放題)を買い、地下鉄とバスを乗り継いでホームステイ先へ。移動の疲れと睡眠不足で何度も意識を失いかけましたが、無事到着できました。
ホストファミリーは旦那さんがアルジェリア人のマリオ(37)、奥さんが両親がインド人のイギリス人アニター(38)。さすが国際都市ロンドン。ホストファミリーと言うと割りと年配の方がされているというイメージですが、二人とも若いです。しかもなかなか感じの良い人たちで、居心地はかなりよさそうです。ディナーはインド料理やアルジェリア料理が出てくるのですが、結構いけます。なによりも個室に2週間も住めるというこの高待遇、そして盗難の心配をしなくてよいという心のやすらぎに、思わず笑みがこぼれます。家の近辺はイスラム系やポーランド人達が多数を占める移民街のようで物価などかなり安そうです。1時間160円のネットカフェも見つけました。住環境はそうとう良い感じになりそうです。


イギリスでは(もちろん)広告も英語なので見てて楽しいです。(今までの国でははちんぷんかんぷんだったから)


旅行のことを書くブログですが、英語学校も僕の中では旅行の中のアクティビティの一つなので堂々とブログに書きたいと思います!

学校はロンドンのかなりど真ん中にあります。(ウォータールー駅やロンドン・アイのすぐそば)シラー・インターナショナル・ユニバーシティの中にあるロンドン・シティ・カレッジの中にあるELIという英語学校です(ややこしい)。申し込んだのは9:00-13:30まで4時間の授業とオプションで週2回夕方までの授業を申し込めると言うスタイルです。
←学校

授業は本当についていくのが精一杯です。というか、ついていけてないです。初日に実力測定のペーパーテストのようなものをやったのですが、そんなものは関係なく、ちょっとレベルが高めのクラスに入れられたっぽいです。。僕以外の生徒はかなり英語が上手です。中にはネイティブなみにペラッペラの人もいたりして、なぜ英語学校にきているのか不思議でなりません。基本的に6-8人の生徒がいるのですが、4時間の授業中、入れ替わり立ち替わりしてメンバーがころころと変わります。日によってもメンバーが変わっています。いったいどうゆうシステムなのかは未だに分からないです。でも、授業内容は結構楽しめる内容になっているので、良い感じです。生徒同士でフリートークしたり、ある記事について議論したり、英単語しりとりしたり、あっという間に時間は過ぎます。終わったときには、完全にへとへとになるのですが、充実感はすごくあります。
学食で御飯を食べたり、図書室で本を読んだり、まるで大学生に戻ったような気分です。(あの時もっと英語を勉強していれば、とすごく思います。)
生徒はイタリア、スイス、ウクライナ、カザフスタン、スーダン、アルジェリア(また出た!)、シリア、ハンガリー、ドイツなどなど本当にバラエティに富んでいます。東洋人は僕だけです。

学校のそばの橋からの景色


とにもかくにも、2週間英語漬けの生活を頑張りたいと思います!


2006/9/28-30 パリで停滞⇒モンサンミッシェルで感動

2006年10月02日 00時01分11秒 | ヨーロッパ
以前、コメント欄にちらっと書きましたが、10月の第一週から英語学校に通おうと思ってパリでは観光そっちのけでネットカフェとフォンショップが併設されている店にこもって、検索と電話連絡をやり続けていました。そのため、ヴェルサイユやポンピドゥーの近代美術館やエッフェル塔に登るなどの主要観光行事をおこなわず。

この旅に出てからずっと英語学校に通いたいと思っていました。旅行前、日本にいる時から英語はCDを聞いたりして勉強してたのですが、旅行当初は全然歯が立たなかったです。それでも約2ヶ月間旅行してきて、多少は上達してきていて、希望が見えつつありました。(言葉を選んでゆっくり話してもらえると聞けるという程度)それをさらに進めるために語学学校に通おうと決心したのです。思い立ったのは9月の中旬にプラハででした。なおくんとミュンヘンで会うために東ヨーロッパから西ヨーロッパへ進路を変更することになったので、それならそのままパリを経由してイギリスへ入って学校に行けるのではないか?と思いました。その後、オーストリア、ドイツとネットカフェにこもる時間が全然無かったので、パリに着いてからギリギリのタイミングで英語学校を探し始めたのです。

パリ下町のマーケット


学校探しはかなり大変でした。精神的に追い込まれてあまり観光もできないくらいに。まず26日にネットでいくつかよさそうなところをピックアップ。27日にその中から一つに絞り込んで申し込み。しかし、申し込みに不備があるとのことで返ってきたので再申し込み。28日にその返事を待つが全然来ない。電話しても、2時間後に電話しろだの、電話したら今日は担当が休みだの、で一日が完全に無駄に。(この日でパリを抜けてモンサンミッシェルに行く予定だったので宿をチェックアウトしていました。そのため夜中からパリの宿を探すことに。しかも宿探しの途中で電話予約をしたのに、されていないということがあり、フロントともめる。疲れる。)29日は朝からネットカフェにこもって電話&メールで休み明けの担当と必死の交渉。なんとか10月2日から学校に通えることに!ホームステイ先は後日連絡をもらえることに。ホッと一息です。ホームステイ先がまだ決まっていないものの、ヨーロッパ旅行のハイライト・モンサンミッシェルに行くため、パリを出発しました。この移動の間もずっとホームステイ先が決まっていないことが不安でしたが。

バスから見えたモンサンミッシェル


しかし、そんな不安が吹き飛ぶくらいモンサンミシェルは素晴らしかったです。着いたのが夜の7時だったのでまずは宿探し。なんとか島の外にある2つ星ホテル(6800円)を確保。高いが仕方ないです。バンガローになっていて過去最高の居心地でした。チェックイン後、ライトアップされた姿を観光に。すごい!これは、すごい。すごいとしかいいようがない。約2kmの島へ続く道を歩いていると、日が暮れてだんだんと暗くなり、妖しい雰囲気を増していくモンサンミッシェルに近づいていきます。

島について一人で3000円近くする(けど一番安い)ディナーを食べて島内観光。道は細く壁に挟まれ、暗くて人が少なくて、なかなか良い雰囲気です。まるでドラクエやファイナルファンタジーの魔王の城に迷い込んだかのようです。(実際みやげ物屋には騎士やロードオブザリング関連が多い)見上げると綺麗な星空です。

観光を終えて島からホテルまでの一本道を帰る途中振り返ると満天の星空をバックにした城が浮かび上がっていました。

(星は写真に写っていないので自分で書き足してます)

次の日の朝、再度島へ行きました。道の脇の草原にどこから湧いてきたのか昨日はいなかった凄い数の羊の群れがいました。朝日に輝く城は、今日見ると魔王の城ではなく、味方の王様が住んでいる城のように見えます。(物凄くドラクエがやりたくなってきました。)


大満足のモンサンミシェル観光を終えて、ここからは怒涛の移動です。宿泊代と移動費を抑えるためになんとか今日中にパリに戻ってロンドン行きの夜行バスに乗りたいのです。11:30にモンサンミッシェルを出て12:00に近くのポントルソンというところに着。ここを14:10のバスに乗りレンヌへ。16:00にレンヌに着いて17:05のパリ行きのTGVに乗って19:00にパリ着。ここでバス会社を探して重い荷物を背負って2時間ほどさまよい歩き21:00にバス駅になんとか到着。22:00発のバスチケットをぎりぎりゲット。なんとかこれで明日の朝にはロンドンに行けると思ったのですが、ここからがさらにしんどかった。。。まずこんな時間にバスで映画上映。映画が終わるとラテン系の音楽がかかり、乗客を寝かせません。それでもなんとか眠りかけると、恐怖のパスポートコントロールに到着。深夜の2時です。全員でバスを降りて厳しい係官との戦いへ。なんとか切り抜けるてバスへ乗ると、すぐにフェリーの中へ。ここでもバスを降ろされてフェリーの中へ。3時。フェリーでやっと寝れたと思ったら起こされてバスへ。4時半。イギリスなのでここで時計を戻して3時半。最終的にバスが着いたのは朝の5時半でした。

モンサンミシェルへ続く道から見た夕焼け

2006/09/25-27 パリ

2006年09月27日 16時05分53秒 | ヨーロッパ


ミュンヘンでなおくんと遊んだ後の予定はかなり悩んだのですが、結局パリに行くことにしました。2度目のパリです。1度目は9年前の大学の卒業旅行です。その時はすさまじい下痢に襲われ3日の観光のうち1日をベッドで寝て過ごしたためルーブル美術館とか行ってないのです。今回はそのリベンジということで、ルーブルやヴェルサイユなど前回行ってないところを行く予定です。
ミュンヘンから夜行バスで11時間、早朝6時にパリに着きました。パリは朝が遅く、まだ真っ暗です。同じバスだった日本人女性二人と宿を探して、幸運にも中心から近くてかなり安い宿を発見しました。彼女たちは明日からスペインに語学留学するらしいです。スペイン語。僕も南米周遊に向けて今頃は勉強を始めている予定だったのですが、スタート地点のアムステルダムで教材を無くしてしまったので、全然進んでいません。もっとも、英語が全然できてないので、当然そちらが優先なんですけどね!

まずは朝からルーブルへ。お、人が少なくてラッキー!と思ったら火曜日は定休日でした!しょぼーん!仕方ないのでオルセー美術館へ。でも、長蛇の列ができていたので、中止です。町をぶらぶら散歩しました。
パリは、旅行者と話をしていると、「やっぱりパリはすごい」という人が多いです。テレビや雑誌なので、既に見知っていても、パリはやっぱりヨーロッパ最強の観光地です。なんだかんだでちょっとテンションが上がります。
というのも最初だけで、2度目だし、ヨーロッパ風町並みも飽きてきてるので、テンションは昼ごろにはすっかり落ち着いていました。。

なおくん夫妻にパリにはラーメン屋があると聞いていたので、昼食にはラーメンを食べました。美味かった~。白人や黒人の店員さんも「いらっしゃいませ」と日本語をしゃべっていたし、客も半分くらいは日本人でした。

夕方ごろに再度オルセーへ。今回は閉館間近なのですっと入れました。印象派の名作ぞろい。「あ、知ってる!」という絵がたくさんありました。中でもルノアールの有名な舞踏会の絵は生で見るとやっぱり素晴らしかったです。
↓オルセーのベランダから見た風景
夕食は、これまた日本食屋「江戸っ子」へ。焼き鳥定食が美味かった~。いや、こんな食事ばっかりでは旅人としておかしいとは思うのです。自分でも。しかし、パリでフランス料理を食べると日本料理の1.5倍くらいしよるんですよ。なので、仕方なく日本料理を食べてしまうというわけなのです。ね、仕方ないでしょ。(言い訳)
↓中華料理屋のメニューの日本語が割りと意味不明です。「海の幸のはべもの」って・・・


次の日の昼食も同じラーメンでした・・・半カレーセット


次の日ついに念願のルーブルへ入りました。

あまりにも広いので見たいところを絞って見ろという教えに従って、まずはモナリザを目指します。途中、ミロのヴィーナスやサモトラケのニケなどの彫刻の前を通ります。そして、肝心のモナリザとご対面!なのですが、特に何の印象も残りませんでした。ダヴィンチ・コードも読んでないですしね。
やっぱり広くて回っているうちに完全に疲れてきました。椅子に座って休憩しているといつの間にか寝てしまっていました。気を取り直して再観光。この日最も素晴らしいと感じたのは、ジェリコーの「メデューズ号の筏」です。

まず、絵がでかい!そして、筏の存在感、人の生命のはかなさ、にしびれました。なんとドラマチックな絵なのでしょう。ドラクロワの民衆を導く自由の女神もすごく良かったのですが、この絵の近くだったので少し迫力不足に感じるくらいでした。

パリは今まで旅した国の中ではダントツに日本人が多くて、宿も日本人だらけです。食堂でも英語やフランス語以上に日本語会話が飛び交っています。いろんな日本人の人たちと話せて楽しい滞在になりました。パリ自体は二度目なので、あまり感動はなかったかなぁ。日本食やラーメンが食べれて良かったです。

↑ネットカフェではいつもこんな感じでPCつないでアップしています。


2006/9/23-24 ミュンヘン ブンデスリーガとオクトーバーフェスト

2006年09月25日 18時40分12秒 | ヨーロッパ

ミュンヘンは今オクトーバーフェストというお祭りの期間中です。この祭は、ただ集まってビールを飲むというだけなのですが、全世界から、のべ700万人もの人が集まるそうです。そのため、ホテルも安宿もどこもかしこも人で溢れ返っていてとても予約ができるよな状態じゃありませんでした。でも、なおくん(Kくん改め。ハンブルグでお世話になった大学時代の友人。)が、金曜日から家に泊めてくれるという、ありがたいメールが!遠慮なくお世話になることにしました。彼は9月に、ハンブルグからミュンヘンに転勤して来ていたのです。金曜の夜は奥さんの美味しい手料理(豚のしょうが焼き!)をいただきました。次の日の朝、なおくん夫妻とオクトーバーフェストへ出陣しました。

上の写真の通り朝からすごい人手です。会場にはなんとかなり本格的な遊園地が設置してあり、観覧車、ジェットコースター、フリーフォールなどなどかなりの数の乗り物があります。そのどれも結構大きくて迫力あります。なおくんたちが言うには、その作りは結構ちゃちくて、毎年事故が起きてるそうです。でも、ドイツ人は適当だから、特に問題にもならずに毎年同じように営業してるらしい・・・。
食べ物の売店はそこらじゅうあるのですが、ビールは醸造所直営のテントに入らないと飲めないみたいです。そういった巨大テントがかなりの数設置されていて、そのどれもが大行列です。とても1時間やそこらでは入れなさそうです。仕方なく売店で鳥の丸焼きとコーラを買いました。客層は噂どおりイタリア人の団体客はかなりの数いましたが、日本人はほとんど見かけませんでした。半ズボンや民族衣装のドイツ人達もいっぱいいます。


午後からは、サッカー・ブンデスリーガでバイエルン・ミュンヘンの試合を見るためにスタジアムへ移動しました。チケットは先の先まで予約で埋まっているので、ダフ屋狙いでいきました。

買ったチケットの値段は、なんと、100ユーロ!(1万5千円!)なかなか2枚連番のチケットは無くて、泣く泣くおっさんの言い値で買いました。席はメインスタンド(もしかしたらバックスタンド)の中央で、すごく見やすかったです。
(マスコットのくまと)

<しばらくサッカーの話が続きます。興味の無い方、すいません>
相手チームはアーヘンとかいう聞いたこと無いチームで、一方的にバイエルンが攻め立てる展開。特にボランチに入っているオトルという新鋭選手が抜群のテクニックで中盤を組み立てていました。彼は、そのうちきっと世界的な選手になるでしょう。しかし、アウェーのアーヘンがFKからラッキーなゴールで先制しました。これで、面白くなるなと思ったら、すぐにバイエルンがCKからピサロのヘッドで同点に。この日彼は終始鋭い動きで、攻撃を活性化していました。そして、後半この日攻撃的な位置で起用されていたファンボメルのミドルシュートが炸裂してバイエルンが逆転!この時のスタジアムの盛り上がりは凄かったです。結局2-1でバイエルン勝利でした。試合内容の方は、かなりハイレベル。バイエルンはDFからのロングボールは一切使わずに全てボランチのオトルを経由したすばやいパスワークで攻撃しています。サイドからも中央からもバリエーション豊かに攻めて、ほとんどがシュートかラストパスで攻撃を終えていました。ストライカーのマカーイやサンタクルスが不調で2点しか入りませんでしたが。イラン代表のカリミは残り10分ほどで登場。でも、周りと全くかみあわず。。。

夕方から再度オクトーバーフェスト会場へ。テントには結局入れなかったので、屋外のテーブル席へ。ここでも席は無いのですが、親切な外人が僕らのためにビールを注文してくれました。(テーブルに座っていないと注文できないシステム)バイエルンのユニフォームを着ている東洋人が珍しいのか、次から次へと外人が話しかけてきます。おかげで楽しい夜を過ごしました。

↑昔アーセナルのユースチームにいて、今はアーセナルの会計の仕事をしているというモロッコ人と。(アーセナルというのはイギリスの有名サッカーチーム)


↑最後にフリーフォールに乗りました。

次の日は3人でイングリッシュガーデンへ。緑溢れる巨大な公園です。下の写真では判りにくいですが、裸の白人がたくさんねっころがってます。中には本当に素っ裸の人もいて、びっくりです。

この日も昼から屋外のビアガーデンでビールを飲んで贅沢な時間を過ごしました。

この日もなおくんの家に泊めてもらい、都合3泊もしてしまいました。食事も美味しい日本料理を作ってくれて、何回感動の涙を流したか。本当にありがとう~!!!


2006/9/21-22 フュッセン・ノイシュヴァンシュタイン城

2006年09月22日 05時35分53秒 | ヨーロッパ


結局インスブルックからフュッセンへは電車を1回乗り換えて、最後はバスを使えばショートカットできて、しかも値段も3分の1くらいで行けることが分かったので、めんどくさいけどその方法で行くことにしました。車窓からの風景は相変わらずきれいです。

途中の乗換駅。すごく空気が美味しくてびっくりしました。つまりめちゃくちゃ田舎です。

フュッセンでは、予約していたユースホステルに「予約されてないし、FULLだから帰れ」という怒り狂わされる出来事があったけど、文句を言いまくって近くの個人経営ペンションを予約してもらいそこへ。ツインを一人でつかって4000円というそこそこの安さと宿のきれいさに大満足。そこで、ブラジル人カップルと出会って一緒に夕食。帰りに宿を探している感じの日本人を見かけたので、僕たちのペンションを紹介してあげて、僕のツインの部屋のもう一つのベッドで泊まることに。彼は元カナダのツアーガイドで、会社を辞めてヨーロッパ旅行中だそう。

翌日は朝からノイシュヴァンシュタイン城へ。天気は快晴で、めちゃくちゃ爽やかな朝です!ノイシュヴァンシュタイン城は近くで見た外観はそんなにすごくありませんでした。昨日出会った元ガイドさんと日本語のオーディオツアーで内部を観光。中はかなり贅沢なつくりになっていました。贅沢王が作っただけのことはあります。途中廊下が鍾乳洞(のリアルな模型)になっていたのにはびっくりしました。その後、少し裏山を登ってマリエン橋から城を見下ろしました。
天気が良く、緑あふれる山にそびえたつ白い城はすばらしく綺麗でした。ノイシュヴァンシュタイン城の観光地としての最も素晴らしいところは、この立地だと思います。山の上に立ち、周りを美しい森と湖や滝に囲まれていて。その後、ここにあるもう一つの城であるホーエンシュヴァンガウに行き、湖にも行きました。


湖の白鳥は異常に人懐っこくて30センチくらいの距離まで近づいてきました。


天気に恵まれて、なかなか良いフュッセン滞在になりました。


2006/9/20 インスブルック プチハイキングとプチ文化論

2006年09月21日 16時28分05秒 | ヨーロッパ

やっと晴れましたなんだかすごい長い間雨に降られていたような気がします。(たった二日だけど)後で聞いた話だとザルツブルグ周辺はすごく天気の悪い地域なんだそうです。
今後の予定を20日インスブルック⇒21日フュッセン⇒22日ミュンヘンという風に考えて、駅へ宿の手配と交通手段の確認をしに行ったのですが、目論見どおりには行きそうにないです。まずは、インスブルック⇒フュッセンは電車では直接行けないみたいなのです。地図の赤のルートで行きたかったのに、緑のルートを取っていったんミュンヘンを経由しなければ行けないという、なんとも非効率なルートしかないそうです。(結局電車とバスを乗り継げば、赤のルートで行けることが後日わかりました。)


約2時間の電車の旅で、車窓の風景が低い山や丘のある平地から、高い山々が連なる景色へと変わってきました。インスブルックはアルプスの麓の町なのです。


インスブルックで泊まろうと思った宿は、電話で予約しようとしても「いいから、こい!」としか言わない変な宿で、実際行ってみると、受付のおっさんが、家族連れの一団とビールを飲みながらダーツをして遊んでいました。対応もめんどくさそう。息もビール臭い。「ダーツのじゃますんなや」みたいな感じ。宿にも部屋にも鍵が無く、自由に出入りしていいみたいで、西欧としては、かなりざっくばらんな宿です。こういう方が居心地はよかったりするんですが。
ガイドブックを見ると裏にある山の一つにケーブルカーで登れてアルプスのパノラマを楽しめるとあったので、そのケーブルカーに乗るために、えっちらおっちら山を登りました。45分ほど登って、そろそろケーブルカーがあるはずなんだけど・・・と思って歩いてみると、なんか線路らしきものの跡が。


いつの間にか廃線になってたみたいです。仕方ないので下山しましたが、プチハイキングのような感じで、これはこれで気持ちよかったです。


町はとても小さくて、観光の中心となるオールドタウンは15分もあれば全て回れるくらいの規模です。アルプスの山々の美しい姿を楽しんだり、ハイキングしたり、スキーしたり、というのが最大の娯楽なのでしょう。同部屋のオーストラリア人学生は、スキーをするためにここへ来たとか言ってました。まだ雪ないのになあ。


夜は宿でドイツ人の学生(哲学を学んでいる)と、日本とドイツの文化についてまじめに語り合いました。(もちろん、僕の方はカタコト英語なので、正確には伝わっていないはず。)この旅では、ヨーロッパだけにヨーロッパの学生(特にドイツ人)と同じ宿になることがかなり多いのですが、彼らは結構日本のことが好きで、日本文化に興味を持っている人が多いです。サムライとかカラテドウとか仏教とか。僕はそのどれについても専門知識がないので、本などで知った情報をカタコト英語で語っています。誤解がないように伝わってればいいなあ。この日印象に残ったのは、「ドイツの若者は今、キリスト教にはほとんど興味が無く、自分の利益を追求することしか考えていない」と彼が嘆いていたことです。

2006/9/19 オーストリアで停滞

2006年09月20日 15時27分52秒 | ヨーロッパ


天気の回復を期待したのですが、今日も雨・・・宿は4人部屋に一人だけでシングル状態です。寂しいながらも満喫してチェックアウト時間の11時までぐだぐだしてから、渋々観光へ。岩塩の採掘場は、雨の中坂道を20分以上歩かなければいけないし、4時間くらい時間を取られるので結局却下して、昨日言ってない町の北側ゾーンをぶらぶら歩きました。第二の観光スポットのボーン・ハウスへ。


1200個もの頭蓋骨が装飾を施されて設置してあります。
↓バラの絵とか名前、没年などが書かれています。

ここは、墓場の敷地が限られているので、お墓に10年くらい入った後にそこから取り出して、装飾した後、ここに安置するということだそうです。今までエジプトやペルーでミイラや骨を見ましたが、それらと比べるとあまり暗さが無くて、逆にかわいらしい感じでした。
↓周辺のお墓もかわいらしい


これで、ハルシュタット観光は完了です。
本当はすぐにでもノイシュバーンシュタイン城を見にフュッセンに行きたかったのですが、バックパックをザルツブルグの駅のロッカーに置きっぱなしなので、昨日来た道を引き返してザルツブルグへ。
駅でフュッセン行きの電車を調べると22:45着がありました。そこから宿を探すのは無理なので事前にガイドブックに書いてある宿を予約することに。しかし、その宿が言うには、22:30に閉まるのでそれまでに来なさい、と。ガイドブックにはその宿しか書いてないので今日中にフュッセンに行くことは却下しました。それならばとフュッセン行きの拠点になるミュンヘンで宿を探したのですが、オクトーバーフェストがすでに始まっているからなのか、どこも満室です。それならばと、趣向を変えてフュッセンに近いオーストリアの町インスブルックを検討したのですが、なぜかインスブルック行きの電車の便が少なくて、到着が23:00近くになってしまい、これも宿が閉まってしまい、無理ということが判明。ここまで行き先を閉ざされるとは・・・。仕方なくザルツブルグでもう一泊することにしたのですが、今ここは自転車レースのワールドチャンピオンシップが開催されているみたいで、宿が見つかるかどうかかなり不安でしたが(最悪24時間営業のどこかの店で徹夜か)、かろうじて4500円のシングルが見つかり、ホッと一息です。そういえば、これで3日連続でシングル(うち1日はドミに一人)に泊まっていることに。ここまでずっとドミトリーで誰かしらと同部屋だったので何か会話をしていたのですが、この3日間ほとんど誰とも会話をしていません。宿や駅での事務的会話や、道を聞いたり聞かれたりを除いて。ヨーロッパを旅していると、同じ部屋の人とくらいしか会話することがないので、シングルに泊まると誰とも会話することなく一日が終わることになりかねないのです。それが3日も続くなんて・・・

精神的に疲れた一日でした。


2006/9/18 ハルシュタット 寒い・・・

2006年09月19日 17時45分58秒 | ヨーロッパ
観光パンフレットの写真にも使われたりする世界遺産の景観を持つ湖の町ハルシュタットにやってきました。ザルツブルグからバスで2時間、電車で30分、ボートで15分、かけてやってきました。ところが、あいにくの雨!湖も黒く濁っています。美しいはずの山々も霧で隠れ気味です。これはこれで味があるよね、と自分を納得させましたが、山の中の町でしかも雨に濡れているのでかなり寒いです。ひえひえです。1ヶ月ぶりにお腹の調子も悪くなってきました。
↓ボートから見た町

↓霧のかかった町

ハルシュタットの町はすごく小さく(マクドがないくらい)湖に沿って細長い形です。後ろは山に挟まれています。どの家もおしゃれでかわいらしく、花を飾ってたりして良い感じです。でも、木造の家が多いし、道が細くて階段が多いので、日本の田舎の港町に似てるなあと僕は思いました。(岡山県の日生とか(僕の本籍地))
↓ちょっと日本っぽくないですか?1281


この町の最大の見所は岩塩の採掘場なのですが、のんびりランチを食べてると、3時で閉まってしまっていました。なんと寒い・・・あまりにもがっかりしたのでこの後ザルツブルグに戻ってそこから移動する気力が無くなり、ここで一泊することにしました。ほとんどの荷物はザルツブルグの駅のロッカーですが、まあ、一泊くらい大丈夫でしょう。
この宿はなんと滝のすぐそばにあり滝に面した僕の部屋はものすごい轟音に包まれていました。窓をしめると多少ましになるのですが、常にゴーッという音が聞こえています。やっぱり夜中3時に目が覚めて、なかなか寝付けないし、寒いしでつらい夜を過ごしました。とにかくいろいろと寒い一日でした。

2006/9/17 ザルツブルグ

2006年09月18日 19時40分49秒 | ヨーロッパ

今日は晴れてます
ウィーンから電車で3時間少しでザルツブルグへやってきました。ここの町は見所はそんなにないのですが、ここを拠点にザルツカンマーグートという映画サウンドオブミュージックの舞台にもなった湖の町へいくことができるのです。

観光の中心となるオールドタウンはとても小さいです。しかし、ここは物価が高い!ペットボトルの水は300円、外食も1500円以上、ネットカフェは1時間で1800円です。観光の中心地から外れると多少安くなるので、食事やネットは全部そこでしました。
フェスタング・ホーヘンザルツブルグという丘の上の要塞からの眺めは良かったです。


2006/9/16 ウィーン 芸術の都

2006年09月17日 23時27分41秒 | ヨーロッパ
久しぶりに曇りです。
ランドリーがある宿だったので、午前中は洗濯をして午後から観光へ出かけました。昼食はプラハで日本食に目覚めたので、この日も宿の近くの日本食屋に言って巻き寿司を食べました。涙が出そうなほどおいしかったです。
↓すし


ウィーンと言えば芸術の都。モーツァルトやベートーベンなどの音楽家や、クリムトやシーレといった画家などが活躍した場所です。美術好きな人には見所はかなり多いのですが、僕はクリムトとシーレに的を絞って観光することに。ベルベドーレでクリムトとシーレの絵画を堪能し、セセッションハウスでクリムトのベートーベンフリーズを見学しました。クリムトは日本でも写真でその絵画を見ることが多いのであまりインパクトは受けなかったのですが、シーレの暗く悲観的な世界観がキャンパスいっぱいに広がった絵画は印象に残りました。期待のベートーベンフリーズは、空白部分が思ったより多くてびっくりしました。でも、残っている部分は、かなりすごかったです。
↓セセッションハウス(分離派会館)


夜はせっかくなのでオペラ鑑賞に行くことに。立ち見だと500円くらいで見れるのです。1時間ならんでチケットを買い、立見席の場所取りへ。すごく小さいスペースにものすごい人数が押し込まれています。なんとか手すりにウィンドブレーカーをくくりつけて外へ脱出しました。夕食を取って戻ってきてオペラの開幕です。とにかく人口密度が高い立見席は、暑くてしんどいです。なかなかオペラに集中できません。休憩を入れて2時間半の劇なのですが、30分ほどすると次々とギブアップした観客が帰っていきました。おかげで空いてきて楽になりました。オペラ自体も言葉がわからないので、いまいちぴんと来ないです。(半分以上終わってから手すりに英語かドイツ語の字幕がでていることに気づきました。)ただし、悲劇の女王(と思われる)役の主演女優(リサという名前みたいです)の声は、めちゃくちゃすごかったです。これは心に突き刺さりました。劇中はあまり感動しなかったのですが、終幕後、鳴り止まないカーテンコールに、「すごいものをみたのかも」とちょっと的外れな感動をしました。
↓一番下の小さいスペースに200人近く押し込まれました。

↓鳴り止まないカーテンコールに応える主役級の人たち。左から二人目がリサ(すごい声の持ち主)。