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世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

2006/9/15 プラハ⇒ウィーン 再会

2006年09月17日 23時04分23秒 | ヨーロッパ

なんとこの日もプラハは快晴です
この旅初めて二日酔いになり、重たい頭と胃を抱えてなんとかバスに乗りました。
そして、この旅初めて移動でのちょんぼをやらかしました。乗ったバスが直接ウィーンに行くものだと思っていたのですが、チェコの国境近くの町でバスを乗り換えなければならなかったみたいなのです。そんなことは知らずにバスを降りてブラブラしてると、どうも様子がおかしいことに気づきました。なんかウィーンっぽくないなあと。それでチケット屋に確認して、バスを乗り換え損ねた事実に気づいたのです。しかも「今日のウィーン行きのバスはもうないよ。さっさとどっかいきな!」みたいな感じで追い払われました。しかたなく駅を探すと徒歩3分のところにちょうど駅があり、しかもウィーン行きの電車が45分後にあるという幸運なことに!この良くわからない町に一泊することを覚悟していたのでこれはかなりうれしかったです。電車のチケット2600円は勉強代ということで。
宿にチェックインして部屋に入ると白人がいたのであいさつをしたら、なんと無視されました。こんなことこの旅行初めてです。ちょっと凹んでいると、「こんばんは」と言う声が。なんとその白人の向かいの席で元会計士のTさんが、インスタントラーメンを食ってるじゃないですか!プラハ以来2回目の再会なのですが、同じ部屋で再会っていうのは、心底びっくりしました。同じ宿とか駅でばったりとかは、東欧旅行者同士結構あるのですが、この同じ部屋っていうのには本当にびっくりです。この出会いのおかげで、バス乗り損ねも無礼な白人のことも、吹っ飛びました。二人で旅の話をしながら夜の街を観光して夕食を食べました。旅の話をしていると、どんどん行きたい所が増えるので、困ってしまいます。Tさん、是非また会いましょう!!!今度はギリシャかアフリカか南米か・・・


2006/9/14 プラハ3日目 フィーバー

2006年09月15日 18時23分13秒 | ヨーロッパ

今日も快晴ですプラハに2泊するか3泊するか迷ってたのですが、ブログの引越しを片付けるのと今後の予定が全然決まってないのでそれを考えるということをするためにもう1泊延泊することに。
9月23日(土)にハンブルグでお世話になった大学時代の友人なおくんとミュンヘンで遊ぶことになっていて、そのためにどういうルートを通るか考えて、プラハ⇒ウィーン⇒ザルツブルグ⇒フュッセン⇒ミュンヘンのような感じで行こうかなと漠然と決めました。
バスステーションへ向かったのですが迷いに迷って徒歩10分のところを2時間かかりました。いろんな人に道を聞いても、みんな知らないか適当に嘘を教えるんだもんなあ。
ネットカフェで4時間かけて(2000円もかけて)ブログの引越しと今後の予定の調査をいろいろしました。
夕食はこの旅初の日本料理屋に行くことに。昨日店の前を通ったときから、親子丼やとんかつなどのメニューにすごい魅かれててがまんできなくなっていたのです。親子丼と緑茶を頼みました。1500円くらいしたけど、大満足です!味噌汁も親子丼も完全に日本の味!うまい!うますぎる!バンザイ!ビバ親子丼!そこのシェフが日本人の方だったので1時間ほどいろいろと話しました。ユニークな人生を送ってる人で「本業は画家なんだけどね」と言ってご自身の絵葉書を頂きました。色がきれいで印象的な絵でした。
↓親子丼


夜の街をぶらぶらして(手足を掻きむしりながら)12時くらいに宿に帰ると例のアイリッシュ達に飲みに誘われました。宿でウォッカを2杯飲んでから、前日のリベンジということで今日は一緒に外に繰り出しました。バーを2件はしごして、ヨーロッパ版カラオケに行って(バーカウンターにカラオケ機が1台あるというスタイル)、昨日行けなかったクラブへ。10年前に戻った気分で踊りまくりました。そもそも彼らには僕は23歳だということにしておきました。今まで31歳というと、白人たちはいつもちょっとびっくりして変な空気になる(え?21歳の言い間違いじゃないの!?みたいな)ので、これからは白人に対してはサバを読むことにしたのです。結局朝の5時までくたくたになるまで遊びました。プラハ最後の夜は最高の夜になりました。アイリッシュたち、ありがとう!!!


2006/9/13 プラハで芸術な一日

2006年09月15日 02時22分33秒 | ヨーロッパ

なんとこの日も快晴!気分良く二日目の観光です。とはいえ虫刺されは悪化してきてかなり痒いです。
ミュシャ博物館に行きました。実は僕はここに来るまではミュシャは知らなかったので入場するかかどうか迷っていたのですが、併設されているみやげ物屋で作品を見て、とても魅かれたので金を払って入場することに。彼はポスター絵画で有名になり、その後は絵画だけにとどまらず、家具や装飾品なども手がけたアーティストです。独創的で繊細な装飾が素晴らしく作品全体としてとても調和がありインパクトの強い作品が多いです。


夕方は教会内のパイプオルガンを使ったオルガンとトランペットのコンサートへ。モーツアルトも演奏したという由緒ある教会だそうです。トランペットとオルガンの熱のこもったハーモニーが胸に突き刺さり、震えました。


その後カレル橋で大道芸を見ていたら同宿のアイリッシュ軍団と遭遇しました。彼らは宿に戻ってからクラブ(ディスコ)に行くと言って、僕を誘ってくれました。夕食を食べたら合流するよと答えていったん別れました。プラハでクラブかあ。刺激的。夕食は中華料理。やっぱり中華はおいしいですね。せっかくなので違う道を通って帰ろうとしたところ道に迷いオープン写真展の場所へたまたまたどり着きました。ここはある写真家が世界中を周って撮った航空写真を環境問題などの社会問題とからめて展示してあるところでした。写真がすごいものばかりだったし、コメントも興味深いものばかりだったので辞書を引きながら、夢中になって見入っていました。

↑あるアフリカの風景の写真。こんな面白い写真が100点くらいありました。

全部見終わったら12時半になっていました。そこからクラブへ向かったのですが、水のペットボトル持ち込み禁止だと言われたので宿に置きに行ったのですが、いったん宿に帰るとどっと疲れが出たので、せっかくのアイルランド人の誘いをほって寝てしまいました。今思えば行っとけば良かったなあ。後で聞いたら4時半まで彼らは遊んでいたそうです。


2006/9/12 プラハ1日目 美しさに感激

2006年09月15日 01時36分06秒 | ヨーロッパ

朝7時に列車が到着。今日も快晴!今回も宿をとっていなかったのでiを探してぶらぶらしました。ここで、世界一周中の元会計士さんと再会!同じ電車だったんですね。アメリカ人が騒いで寝れなかったとのこと。僕の車両のアイルランド人といい白人はほんとにパーティー好きですなあ。
彼は別の町にすぐに移動するということですぐにお別れしました。本当にまたどこかで会えたらいいですね。
余談ですが、銀行のカードは見つかったのはいいですが、例のJTBトラベルデスクとの途中までの電話で止められていたのです。名前を言ったところでぷっつり切れたのに・・・まあ、日本人は良い仕事をするということで。なので、クレジットカードでキャッシングしてお金を下ろすつもりが、これも限度額を過ぎたということで使えない!なんとびっくり!確かにクレジットカード使いまくっていますがこんな事態になるとは・・・仕方ないのでこの旅行始めてトラベラーズチェックを駅の両替屋でチェコ・クラウンにしました。予想通りすさまじいレートの悪さです。手数料も高い。(キャッシュカードはこの後宿で電話して再利用できるようにしてもらいました。電話代700円。)
そして、肝心のiが駅にたくさんある!つまりどれも公共のものではなくて旅行代理店みたいな存在っぽいです。本当は公共のところで公正な宿の紹介をしてもらいたいところですが、仕方なくそこで宿を紹介してもらいました。
宿へ向かう途中で例のアイリッシュ軍団13人と遭遇しました。なんと彼らも同じ宿だそうです。奇遇ですねえ。
宿の設備はけっこう悪いです。直前のクラコフが良かっただけにその落差が大きいです。シャワーは湯はちゃんと出るのですが常にボタンをおしておかなくてはいけなくて洗いにくいし、全てのトイレに鍵がついてないし、トイレットペーパーは切れまくってるし、そこらじゅうが壊れているし。朝食がただなのと、切れまくりのワイヤレスがあるのでまあいいとします。
肝心のプラハ観光なのですが、これがかなりすごいです。噂以上でした。ヨーロッパ的町並みには飽きてきてたのですが、ここは完全に別格です。町を歩いてるだけでテンションが上がりまくりです。観光客が休日のディズニーランド並に多いです。なんだか中世ヨーロッパテーマパークのような感じです。いや、そのもっとスケールはでかいですね。僕は特にカレル橋が気に入りました。観光客がごった返す中露店や大道芸人達もたくさんいてそれを見てるだけでも楽しいですが、そこからの景色が筆舌に尽くしがたい美しさです。なんといってもプラハ城がそびえたつ姿が先に見えるのが素晴らしかったです。
↓カレル橋



↓プラハ城

プラハ城自体もすごく良かったし、そこから見下ろす景色も良かったです。

夜のプラハも素晴らしいです。プラハ城から見下ろす夜景も、カレル橋から見上げるライトアップされたプラハ城も、橋の架かっている川辺からみる夜景も、どれも素晴らしいです。カレル橋付近には水鳥がたくさん飛んでいるのですが、その鳥もライトアップされてまるで火の鳥が飛んでいるように見えたのも印象的でした。
↓夜のプラハ城


2006/9/10-11 クラコフ・アウシュヴィッツ

2006年09月14日 18時37分10秒 | ヨーロッパ

ブログ引越後の初投稿です。
がんばって書きますので今後ともよろしくお願いします。

「2006/9/10 クラコフ 快適な安宿でだらだら」
この日も前日のワルシャワに続き快晴です!
ワルシャワからクラコフまで約3時間の列車の旅。
のどかな田園風景になごみます。
ただし、全身100箇所以上の虫刺されにより常にどこかを掻いていますが・・・
↓しょっぱなからきたない画像ですいません・・・

クラコフに到着してホームに降りたとたん、なんと宿の客引き(老人)がやってきました!
これはヨーロッパの旅で初めてのことなのでびっくりしました。
その老人以外にも宿の客引き達がホームや駅の周辺にうようよしています。
重い荷物を背負ってさまようのが嫌だったので、結局その客引き達の中から最もホテルの設備がよさそうなところを選びチェックイン。
(受付の女性が日本語ペラペラというのにも魅かれたのですが、結局その女性はお休みで会えませんでした。)

で、その宿が今までの安宿の中では最高のサービスと設備でした。
部屋が清潔で、シャワーもきれいで、バーやラウンジもあり、スタッフもとても親切でフレンドリー、キッチンがありパンやシリアルが食べ放題、しかもワイヤレスネットワークが使い放題、その上チェックアウト後もそれら全ての施設が使えるという素晴らしい宿です。
客引きが「ホステルズワールド」というサイトで世界4位の評価を受けてるんだぜ!といってたのも納得です。
夕方までごろごろしてクラコフ観光へ。クラコフはポーランドでは一番の典型的な観光地みたいです。日本で言えば京都みたいな存在でしょうか。ワルシャワがびっくりするような大都会だったことからすると随分とこじんまりしていていい感じの町です。中世の町並みそのままといった感じで。でも、さすがにそういうものには飽きてきていますが。

中央広場。ものすごい広さ。観光客がいっぱいです。

「2006/9/11 アウシュヴィッツ見学、プラハへ移動」
この日も快晴です!
アウシュヴィッツへはガイドツアーでいくか個人でいくかかなり迷いましたが、英語の勉強もかねてツアーでいくことにしました。料金的にも個人で行くのとそんなにかわらなかったし。
ツアーの内容の一つバスでのフィルム上映50分は思いっきり寝てしまい、気がついたらアウシュヴィッツ到着です。あまりの晴天で屋外にいる間は全然暗い雰囲気はないです。

でも、屋内に入ってガイドの説明を聞いているとそのすさまじさにぞくっとします。(ちなみにガイドの英語は早くは無かったけどなまっていたので50%くらいしか理解できていません)
建物は当時の物なのですが、中を博物館として利用するために一部改装してあります。そこで当時ナチスによって何が行われたかという事実を示す展示が行われています。当時の写真や、殺された人の靴や鞄や服などの大量の遺品、毛髪によって作られた大量の生地、1m四方の密閉された部屋で4人が立って寝るという懲罰室、銃による処刑が行われた「死の壁」、ガス室、死体の焼却炉(そのすぐ隣にヘス所長の住居があったそう。ヘス所長の死刑はこの焼却炉の前で行われたという)。最も印象に残ったのは3歳~5歳児くらいの子供の服や靴などの遺品です。子供も大人と全く同じ扱いを受けて死んでいったそうです。そこにはいくつもの献花が供えてありました。
バスで第二アウシュヴィッツ・ビルケナウへ移動。ここはアウシュヴィッツの処理能力がオーバーしたので主に大量虐殺を目的として作られた広大な施設です。ドイツ軍が撤退時に証拠隠滅のために大部分を破壊したらしいのですが、いくつかの住居やガス室・焼却炉の残骸などは今も残っています。そのドイツ軍の「証拠隠滅」という考え方と、その中途半端な行為に驚きを覚えます。

↑ナチス・メンゲレ医師により強制労働とガス室送りの判定が行われた場所。メンゲレ医師は女性や双子を使った非人道的な人体実験も行っていました。彼は戦後南米に隠れ住んで最後まで逃げとおしたそうです・・・

そのほかにもここには書ききれないすさまじい事実がたくさんありました。
この日もし天気が悪ければ一日鬱に過ごさなければならなかったと思います。

アウシュヴィッツ見学の後はプラハへと夜行電車で移動です。
夜行列車ではヴィリニュスでバックギャモンで遊んだアメリカ人と再会したり、陽気なアイルランド学生の大群とビールを飲んだり、スイス在住ペルー人にフジモリ賞賛の話を聞かされたりで、なんだか面白い移動になりました。