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世界一周の記録

2006年8月から2008年9月まで2年1ヶ月の世界一周放浪の旅をしていました。その旅の記録です。

2007/1/14-1/19 リアルアフリカへ(スーダン)

2007年01月20日 23時22分45秒 | アフリカ

ついにアフリカ南下の旅が始まりました。
スーダン国境の町ワディハルファは、その始まりにふさわしい場所でした。砂漠の上にぽつぽつと建物がたつ町。
長い船旅の末スーダンに着いた日の夜、ホテルへ向かうピックアップトラックの荷台に他の旅行者達8人と詰められ座り、そこから見た風景は、この旅で最も「旅をしている」という非日常の実感を感じさせるものでした。街灯など全く無いただの砂漠の上を砂煙を上げてガタガタ揺れながら走り、後ろから追い越そうとして迫る他の車のヘッドライトが砂煙を照らして浮かび上がる。思わず「アフリカに来たんだ」と口にしました。隣に座っていた白人旅行者がそれに応えて、「This is Real Africa!」と叫びました。
いよいよアフリカ南下の旅が始まりました。

今はスーダンの首都ハルツームです。さすがにそれなりに都会です。相変わらず街灯がほとんどなく夜は真っ暗ですが、高いビルがあり、道は舗装されており、昼間見ると町としての体裁は整っています。久しぶりのネットカフェもあります。物も溢れています。フレッシュジュースは相変わらずとても安くておいしいです。

エジプトのアスワンからここまでの道のりは、これまでで最もハードなものでした。

<アスワン>
エジプト最南端の町アスワンにはスーダン行きの船が出る前日の昼に到着しました。ここで、日本語の情報ノートがあるマルワホテルという宿にチェックイン。同部屋に日本人男性のOさんという人がいました。同年代のOさんとはアフリカをケープタウンまで南下した後、南米に飛ぶと言うルートが同じでした。もちろん明日のスーダン行きの船も同じです。(5年前に一回エジプトに来ているというところまで同じでした。)
荷物を置いて「切りかけのオベリスク」という観光地に徒歩で行きました。割と地味な観光場所なのですが、アスワンの主なところは5年前に行っているので残っているのはこれくらいなのです。なんでも大昔に遺跡を作るのための石を切り出している途中で作業がストップしたみたいで、そのまま作業途中の状態で残っているのだそうです。
徒歩で20分くらいで行けるそうなのですが、歩いても歩いてもなかなか着かないので不安になってきて、その辺のエジプト人に道を尋ねてみました。すると、その若いエジプト人の二人組みは自分達と逆方向なのにわざわざそこまで連れて行ってくれました。バクシーシの要求も無く。ただメールアドレスを交換して写真を撮って別れました。なんとも爽やかな別れ。エジプト人は、うざいとか、ぼってくるとか言われていて割と旅行者に評判が悪く、その中でも特にアスワンは評判が悪かったのですが、こういう良いことがあって、とても爽やかにエジプトを去れそうです。と思ったら、宿への帰り道に、ガキンチョの集団(10人くらい)に「ジャッキーチェン!アチョー!」とかやられてもみくちゃにされて、全然爽やかではなくなりましたが・・・

切りかけのオベリスク(結局閉館で入れなかった)をバックにナイスガイエジプト人学生と。

<スーダン行きの船>
翌朝港へ行きました。船の出航時間は夕方らしいのですが、場所取りが必要なので早めに行くのが良いという情報があったので9時には港に着きました。ここで、カイロで船のチケット取りなどでいろいろとお世話になったSさんカップルと合流しました。どうやらスーダンまではOさんを含めて日本人4人で向かうことになりそうです。

10時に乗り込んで早速2等船室(ベンチがならんでいる広い部屋)で場所を確保しました。

2等船室。時間が経つにつれ、ここは人と荷物で溢れかえって行きます。

しかし、ここがガソリン臭いのです。かなり気分が悪いです。Sさんカップルは1等船室で2段ベッドの個室だったのですが、部屋の床なら使っても良いと言うありがたいオファーがあったので、そちらへ移らせてもらいました。たとえ床にシートを敷いて寝袋で寝るだけとはいえ、2等船室や甲板の上に比べると遥かに快適でした。

甲板の上。2等船室に入れなかった人達と荷物で溢れかえっています。しかも夜は凍えます。

船はなんと夜の9時まで出港しませんでした。船の中で11時間待ち。
夜11時頃、甲板の上に出てみると完全な暗闇で、毛布や寝袋にくるまった人達で足の踏み場もないくらいでした。知らずに踏んづけてしまいそうです。しかし、空を見上げてみると満点の星空でした。今まで見た中でも最も星が綺麗に見えた星空でした。長く尾を引く流れ星も見れました。ナセル湖を渡る船なので波が無く、船に乗っているとは思えないほど揺れませんでした。そんな穏やかな航海の中、満点の星空を一人眺めていると、旅情に溢れていて、なんともいえないうっとりした気分になりました。

翌朝船からアブシンベル大神殿が見えました。

スーダンには昼の1時半くらいに着きました。しかし、荷物を降ろしたり、入国手続きをしたりで、結局船を降りたのは夕方の4時くらいでした。前日午前10時に乗船してからなんと30時間も船に乗っていたことに。

ついにスーダンが見えてきたところ。

<ワディハルファ>

砂の町ワディハルファだけあってこの日泊まったホテルも砂上のホテルです。部屋の床も砂です。砂の上にベッドが置いてあります。さすが砂漠の国。すげえ。水道も無いので、水は全て汲み置きです。そして、その水は全て濁っています。飲むと少し口の中がじゃりっとします。初めは抵抗がありましたが、川で泳いで水を飲んだと考えたら、同じようなものか、、、と思って自分を納得させています。

ワディハルファのホテル

ホテル唯一の水道。しかし汲み置き。

メインストリート。この町では道は一切舗装されていません。(多分)

なので、主な交通手段は4駆の車か、ロバです。ロバはかわいいです。

町から電車の駅へ向かう道。っていうか道はありません。砂漠です。ここを駅に向かってテクテク歩きました。

スーダン人は、旅行者達から噂で聞いていたとおりとても優しいです。あいさつをすると、みんなとびっきりの笑顔で応えてくれます。ぶらぶらしているとレストランやお茶屋にいるスーダン人達が食事や飲み物をおごってくれます。しかも、席を譲って自分は立ってまで僕達をもてなしてくれます。なんていい人達なんだ・・・。色は黒くて完全に黒人の国なのですが、アラブ系の血がだいぶん混ざっているのか顔はエジプト人と似ています。しかし、その国民性はエジプトとはえらい違いです。

お茶屋にて。お茶をおごってくれた親切なスーダン人達。

<アトバラ行きの電車>
ワディハルファに一泊した後、首都ハルツームへ向かうのですが、一旦アトバラという町を経由することにしました。一挙にハルツームまで行くと電車代が高かったので(しかし、後で考えるとハルツームまで行った方が楽だしコストもあまり変わらなかったと思われる)推定所要時間は24時間。夏場は車内は砂だらけで、しかも灼熱地獄だそうですが、幸い今は真冬なので気候は快適です。車内は砂だらけですが。1等チケットなのですが、コンパートメントはベッド無しで椅子のみです。しかもリクライニングなし。幸い6人の部屋に3人だけだったので1人で椅子を二つ使いなんとか縮こまって寝転べました。満席の部屋などでは床に寝転がったり、通路に寝転がったりしています。
アトバラへは結局出発してから25時間後に到着しました。

車窓の風景。基本的に砂漠なのですが、たまに町なのか遺跡なのか微妙なものが出てきます。

電車内で出会ったスーダン人一家


<アトバラ~ハルツーム>
アトバラは久しぶりに道が舗装されている町でした。(もちろん未舗装部分も多い)ホットシャワーがあるホテルなので4日ぶりにシャワーを浴びました。(シャワーを浴びない最長記録更新してしまいました。)一泊してバスで4時間、ハルツームへ。バスで4時間。なんて短い移動なんでしょう!これまで船で30時間とか電車で25時間とか超長時間移動が続いたので、すごくあっという間に感じます。

途中車窓から見えたピラミッド群

ハルツームはさすがに首都だけあって都会です。しかし、空いているホテルはどこも水シャワーばかりです。最初に書きましたが、夜は街灯がほとんどないので真っ暗です。その真っ暗の中、怒り狂う黒人にからまれました。夜10時ごろ一人で宿へ歩いていると、何か言ってくる人がいたのですが、言葉が判らないのでそういうジェスチャーをしてその場を離れました。そこから50mくらい歩いたところでいきなりつかみかかられて、どこかへ連れて行こうとされました。こっちは、もう、なんのこっちゃわかりません。何かが気に障ったのでしょうか。抵抗しながら「ヘルプ!ヘルプ!」と叫びました。幸い、その場所は人通りが多かったので、助けてもらうことができ、盗難も怪我もなんともなかったけど、かなりびびりました。黒いので表情がわからないですし。。。
ということもあったハルツームですが、これから観光でもして楽しみたいと思います。


2007/1/6~1/13 まだエジプト。もうすぐスーダン。

2007年01月14日 02時23分32秒 | アフリカ

あいかわらずエジプトにいます。来週月曜日の船でエジプトの南の観光地アスワンから、船でスーダンの国境の町ワディハルファへと向かいます。結局エジプトにはビザの期限ぎりぎり一杯のちょうど1ヶ月間もいることになりました。(無事スーダン行きの船に乗れてエジプトを出国できれば、ですが。)5年前に1度来ていてその時に1週間滞在しているのにもかかわらず。どれだけエジプト好きやねんって感じですね。その上、今回はダハブとシナイ山以外はまともに観光していません。日本人宿の居心地の良さ、ダハブの居心地の良さ、カイロサファリホテルの階段がしんどいことによる外出のめんどくささ、などが長期滞在の原因なのでしょう。

最近は、特に観光していないので、今回はエジプトの宿や食事について書きたいと思います。

<宿>
カイロではサファリホテル、イスマイリアホテル、スルタンホテル、という有名な安宿3つにそれぞれ泊まりました。ダハブではセブンヘブンという日本人の溜まり場宿に泊まりました。どこもそれぞれ個性があり、おすすめです。

・サファリホテル
ドミ:230円
立地:ホテルの前がスークだし、地下鉄の駅が近いし、かなり良い。ただし、階段で6階まで上がらなければならないことはマイナス。
設備:ドミの部屋はそこそこ広いが、共同シャワーが一つしかなく、全体的にあまり清潔ではない。しかし、キッチンがあり、情報ノート、日本語書籍、漫画、が膨大な量あり、バックギャモンをはじめとする数々の遊びもあり、どちらかというと設備はプラスイメージ。
所感:サファリホテルでの宿泊が、今回のエジプト訪問の3大目的の一つ。(後二つは、ダハブでのダイビングとシナイ山登山)期待を裏切らない沈没宿っぷりに大満足。毎日のシェア飯は本当においしく、かなり癒された。個性的な長期旅行者達との出会いがあり、忘れられない場所になりそう。

・イスマイリアホテル
シングル:740円、ドミ:420円。朝食つき。
立地:タハリール広場というカイロ観光の中心地に面していて快適至便。日本大使館やスーダン大使館にも近く何かと便利だった。
設備:サファリホテルと比べると、バスルームの広さと清潔さにちょっと感動する。ただし、ビルの9階にありエレベーターがぼろいのはマイナスかなあ。シングルの部屋は広かった。ドミはかなり狭く不便そうだった。インターネットが使える。
所感:サファリに泊まるとついつい怠惰になってしまうので、ビザ取りや情報集めなどを頑張るためにこのホテルに泊まった。立地の良さと清潔さは○。韓国人が多い。

・スルタンホテル
ドミ:230円
立地:サファリと同じビルだが2階なので、サファリよりもかなり良く感じる。
設備:サファリよりも共同シャワーの数が多い。キッチンあり。
所感:2階にあるので気軽に外出できるところが良い。サファリのような広い共有スペースがないので、だらだら遊ぶには向いていない。行動的に過ごしたい人向けな気がする。ここも韓国人が多い。

・セブンヘブン
トリプルのシングル利用:630円
立地:ダイビングやシュノーケルのポイント(ライトハウス)から少し遠いので、海から出て宿に帰るまでが凄く寒かったというイメージがある。その他は便利。ダハブ自体が小さい町なので、どこに泊まっても立地条件はあまり関係ないが。
設備:超リラックスできる共有スペースがある。シャワーがぬるかった。
所感:日本人インストラクターのいるダイビングショップのある宿。陽気なエジプト人の従業員がたくさんいて、楽しかった。とてもリラックスできる雰囲気。もちろんダハブという町自体がそういう雰囲気に満ちている。

<食事>
アフリカに来てからは、ヨーロッパであれほどお世話になったマクドナルドにあまり行かなくなりました。コシャリなどの安いエジプトの食事と比べて凄く割高なので。マクドだと400円くらいかかるのが、エジプトの食べ物を食べると50円~100円でお腹いっぱいになります。味のバリエーションがあまりないのですが、コストパフォーマンスは異常に高いと言う感じです。
お気に入りは、タジン(タジニ?)とフルーツジュースです。タジンは、マカロニの上にミートソースがかかっている食べ物で、僕はコシャリよりも好きです。コシャリは、米とパスタと豆をトマトソースでごちゃまぜにした食べ物です。僕はコシャリを食べているうちに飽きてしまう傾向にあります。
フルーツのフレッシュジューススタンドは町に一杯あります。一杯20円~60円くらいで、超美味しいオレンジ、ストロベリー、マンゴー、グァバ、メロン、などのジュースを飲めます。コクテールというフルーツがコップに入っているデザートも安くて美味しいです。

タジン。サラダとコーラがついて150円。


2006/12/19-2007/1/5 エジプト満喫

2007年01月06日 04時45分02秒 | アフリカ

明けましておめでとうございます!
昨年は大変お世話になりました。みなさまからのコメントやメールのおかげでブログを続けることができましたし、このブログを続けること自体が旅への活力にもなりました。
今年はアフリカや南米を旅する予定です。それはまさにこの旅のメインパートです。これまで以上に頑張っていきます。どうぞ今年もよろしくお願いします。

それにしても、久しぶりのブログ更新になってしまいました。原因は、カイロで風邪を引いてしまい、何をする気力も湧いてこなかったこと、ダハブ(シナイ半島にある紅海リゾート地)でスキューバダイビングのライセンス取得とシナイ山の登山という屋外アクティビティに熱中していたため、です。(今年は最低週一回の更新目指して頑張ります!)

前述したとおりカイロでは風邪を引いてしまいました。原因は明らかにカイロの常軌を逸した大気汚染です。4日間くらい宿からあまり出ずに様子を見ても、あまり治らなかったので、思い切ってシナイ半島にある紅海リゾートのダハブへ移動してしまったのですが、なんと移動中のバスの中で風邪が治りました。あのしつこかった風邪が。よほどカイロの空気が僕の健康を害していたのでしょう。エジプト人達はなぜあの空気の中で平気なのだろう・・・。ある日僕がマスクをして町を歩いていたら、かなりの数のエジプト人達が僕のマスクに注目し、そのうちのかなりの数の人が「それはなんだ?」みたいに訝しげに聞いてきました。「風邪だ」と答えると納得してくれますが。でも、そういえばエジプト人は誰もマスクなんかしてないですねえ。よっぽど珍しかったみたいです。

サファリホテルの前の通りのスーク。深夜2時でも果物屋が営業しています。

サファリホテルでの風邪療養中には、宿に置いてある「風の谷のナウシカ」漫画版を読みました。これにははまりました。映画とは全然違うストーリーでとても面白かったです。完全な悪のキャラクターは出てこず、人間が人間としてエゴを全うしたら世界は滅びに向かうというお話だったと思います。主人公のナウシカですらその滅びに加担しているという。(後日、スキューバダイビング中に見た、サンゴの周りを色んな姿の魚が悠々と泳いでいる世界は、腐海に見えて仕方なかったです。)エジプトのカイロという混沌の町で、風邪に苦しみながら見るには最適な漫画でした。心に突き刺さりました。

そして、カイロからバスで10時間近くかけてダハブへ行きました。途中パスポートチェックが7回くらいあってゆっくり寝れませんでしたが、空気汚染から解放されて、風邪がすっかり治りました。セブンヘブンというダイビングの日本人インストラクターがいて、しかも日本人の溜まり場になっている宿にチェックインしました。幸い僕の着いた次の日にダイビングライセンス取得したいという日本人男性が二人追加でやってきたので、3人で楽しくライセンス取得コースがスタートしました。一人は世界一周中の旅人Mくん、もう一人は大学生バックパッカーBくん。

1日目:DVD鑑賞会。レギュレーターとかパワーインフレーターとか中性浮力とかいろいろ言われてもぴんとこず。

ダハブではビーチエントリーでダイビングします。

2日目:ついに海へ。マスククリアという技を練習。これは、海中で水中マスクに水をわざといれて、これを鼻息で排出するという技です。僕はこれが下手くそで、毎回水を飲んでしまいます。水を飲んでしまうと喉や鼻に不快感を感じて正常な精神状態では無くなってしまいます。ダイビングをされたことがある人なら判ってもらえると思いますが、ダイビング中に精神が不安定になると、かなりつらいです。「早く海面に出たい!」という欲求が突き上げてきます。
しかも、この日の午後からの講習では直前に昼ごはんを食べ過ぎてしまい、胸が気持ち悪くなり、食べ物が食道を逆流してくるという異常事態に。マスククリア時に水を飲んだことと相まって、大パニックに。気分は「死ぬ!死ぬ!早く海面に上がりたい!ああ、息が、息が、苦しい~!!!」という感じです。しかし、S先生(日本人の若い女性の先生。明るくて良い人でした。)に異常事態のサインを出そうにも、先に行ってしまってこっちの異常事態には気づいてくれていません。この時は、半分死を覚悟しました。しかし、隣に一緒に講習を受けているMがいてくれて、「落ち着け」のジェスチャーをしてくれて、気分的に助かりました。ナイスバディ!(ええからだ、っていう意味ではないですよ)先生がようやく気づいて来てくれたので「浮上したい」とジェスチャーしても、「ダメだ。水底でじっとしろ。」と言われてしまいます。「なんで!?死ぬ!」と思いながらも、渋々おとなしく従いました。この時先生の持っているホワイトボードに「食べ過ぎて苦しい」と書いたのですが、なんか笑われてしまいました。こっちは死ぬほど怖いのに・・・。でも、水底でじっとしているとなんだか落ち着くことができました。やはり先生は偉大です。

3日目:サウスという国立公園でダイビングと水泳試験。何事も無く終了。

4日目:オープンウォーター最後の講習+アドバンスの1本目ナイトダイビング。無事オープンウォーターの筆記試験合格し、最初のライセンス取得!相変わらずマスククリアは苦手だけど。ここでバディのMが終了して、Bと二人でアドバンスコースへ。ナイトダイビングは、すごい寒かったけど、腐海の底という雰囲気が最高でした。

4日目からは先生の水中カメラをみんなで使って写真をとりまくりました。

マスククリアに苦戦する

5日目:アドバンス講習2本目、3本目。アドバンスからはマスククリアとか無しで、ただ潜るだけになるので楽チンになりました。でも、この日は天気が雨で砂嵐という楽園ダハブとは思えない悪天候。水の中は暖かいのですが、外に出たときの寒さが凄かった。。。

魚まみれで魚の絵を描く講習

6日目:アドバンス講習4本目、5本目。ダハブのダイビング名所ブルーホールとキャニオンへ。ブルーホールとは浅瀬からすぐの場所に100m近い深い穴が開いていて、海面から見るとそこだけが深い青色に見えているという場所です。ただ、この日は、相変わらずの寒さと連続ダイビングの疲れによりヘトヘトになってしまい、楽しむ余裕はあまりなかったです。残念。

キャニオン名物泡のカーテンの中で


ブルーホール近くにて。右側は珊瑚の壁、左側は底の見えない深い海。


ダイビングでは、心の平静を保つことがとても重要でした。何か心に動揺が起こると呼吸が苦しくなり、ダイビングを続けることが困難になりました。常に落ち着いた精神状態でいることが大事ということで、良い精神修養になったのかなと思います。もちろん、遊びとしてもとても楽しかったので、今後の旅の中で後2、3回は最低ダイビングをしたいと思います。せっかく高いお金を払ってライセンスを取ったことですしね。

ところで、ダイビング講習中にダハブでクリスマスを迎えました。宿でエジプト人達が太鼓と焚き火で即席クリスマスパーティーを実施してました。まったくクリスマスを感じさせないパーティーでしたが、まあ、これも、たまにはありでしょう。少なくとも日本にいる時のような一人で寂しくケンタッキーを齧りながらTVを見るクリスマスよりは、マシだと思われます。

ダイビング後はダイビング講習仲間達とシナイ山登山に行きました。シナイ山はかのモーゼが十戒を開いたと言う聖なる山です。夜中に出発して頂上で御来光を見るというプランです。頂上には約2時間ほどで到着しました。夜空は満天の星空で、いくつも流れ星が落ちていきます。
しかし、寒い!めちゃくちゃ寒いです。数日前に降った雪が全く解けずにサラサラ状態で残っているほど寒い。頂上には日の出時刻の2時間前くらいに着くのですが、この待ち時間が特に寒かった。頂上のお茶屋で休憩していると、店員が早く客を追い出して新規客を入れたいみたいで、「ここはホテルじゃない」と言われ追い出されそうになるので、何度もお茶を頼みギリギリまで粘りました。(このお茶屋の中も風はしのげるが、暖房設備などはないのでかなり寒い)しかし、お茶屋の店員がいい加減に切れてきて「出て行け!」と実力行使に出られる直前になったので、外へ出て行くと、ちょうど日の出前の空が明るみ始める瞬間でした。

頂上で日の出が見えやすい場所に陣取り、その時を待ちます。しかし、あまりの寒さとさっきのお茶屋で水分を取り過ぎたためにすさまじい尿意が・・・我慢、我慢。。。しかし、日の出までは後15分以上はかかりそう。もう限界だ・・・しかし、さっきのお茶屋の裏のトイレ(といってもただの物陰)までは人の行列が続いていてとても戻れない。。。ということで仕方なく聖なる山の頂上で御小水を放出させてもらいました。もちろん岩の陰で人に見られないようにですよ。。。

頂上で寒さに耐えながら日の出を待つ

夜明け前、赤く染まるシナイ山

そして、ついにご来光

そして、雪で滑る岩道でころんっころんっと滑ってこけながら下山しました。一緒に登った仲間たちと聖なる話ならぬ性なる話に花を咲かせて・・・

そら滑るわ、という雪まみれの下りの道。

このようにしてダハブでの日々は過ぎていきました。予想以上に寒くて期待していた楽園ムードっていうわけでは無かったのですが、充実して楽しくて忘れられない滞在になりました。また暖かい(または暑い)時に再訪したいです。ぜひとも。

今もしつこくエジプトにいます。今更ながらアフリカ南下に向けた準備中です。1月中旬くらいのスーダン行きの船のチケットが取れればいいな、と思っています。でも、それはエチオピア情勢(ソマリアとの関係悪化)を睨みながらということになりそうですが。。。

最後に。繰り返しになりますが、昨年は本当に皆様にお世話になりました。
旅の出発に当たって快く送り出してくださった日本にいる皆様、旅先で出会った素晴らしい旅仲間の皆様、海外において無償の親切で僕の旅を助けてくれた現地の皆様、本当にありがとうございました!

今年もよろしくお願いします!


2006/12/13-18 モロッコからエジプトへ

2006年12月19日 06時46分27秒 | アフリカ

ヨーロッパでは経験できないボロいバスで数時間、マラケシュからモロッコ最大の町カサブランカへやってきました。お約束のように途中バスは故障で停車しました。そしてしばらくしたら復旧して動き出しました。

カサブランカにあるモロッコで最も美しい建築物ハッサン2世モスク。海辺に建ち、その大きさと美しさは、圧巻です。


カサブランカでも相変わらずモロッコ人は、みな気さくで優しいです。町を歩いていると子供からお年寄りまでが、「モロッコへようこそ」「(日本語で)こんにちは。ありがとう。」「ジャッキーチェン!アチョー!」などと声をかけてくれて、全く退屈しません。残念なのは、彼らの多くが英語を話せない(フランス語はいける)ので、あまり会話が続かないことです。でも、カタコトの英語と、アラビア語とフランス語を使って必死にコミュニケーションをとろうとしてくれます。旅人と話すこと(またはおちょくること)が本当に好きな国民性なんでしょう。モロッコ滞在は、途中お腹を壊したりしましたが、とても素晴らしい滞在となりました。

モロッコの次の目的地はチュニジアにするかエジプトにするかかなり迷いましたが、チュニジア行きの航空券の高さ(4万円以上)にびっくりしたので、今回はチュニジアは断念して一気にエジプトまで飛ぶことにしました。チュニジアには、将来アルジェリアとリビアが簡単に旅行できるようになった時に3国まとめて行くことにしたいと思います。

モロッコの喫茶店。みんな外に向かって座ります。


カサブランカからエジプト・カイロへの飛行機は夜行でした。カサブランカを深夜12時半に出発してカイロに朝の6時半に到着するのですが、時差が2時間あるので実質は4時間しか飛行機に乗っていないのです。もっと寝させてくれ・・・。しかも、僕がウトウトしかけた時に、なんと機内食のサービスが始まりました。時計を見ると深夜の1時半です。夕食は済ませたし、次の日の朝食もちゃんと用意していたので、スルーするつもり寝ているふりをしていたら、となりの親切なエジプト人が気を利かして、起こしてくれました。余計なことを・・・。ということで、ほぼ寝ずにカイロへ到着しました。(ちなみにこの機内食はとてもおいしかったです)

エジプトは5年前に1度来て大体観光してしまっています。(ピラミッド、砂漠、アブシンベル、ルクソールなど)しかし、今回はアフリカ南下に向けた情報収集と、前回行けなかったシナイ半島の観光、そして世界で最も有名な日本人宿「サファリホテル」への宿泊、という3つの大きな目的があります。そして、サファリホテルへ行けば、アフリカ南下に向けた情報も豊富らしいので一挙に目的の二つが果たせるわけです。

ということで、寝てなくてぼーっとした頭を抱えてサファリホテルへ到着しました。ちなみに、今回初めてその国のガイドブック無しで入国しました。モロッコで英語のガイドブックを探したけど見つからなくて。でも、インターネットでサファリホテルの住所と行き方が検索できたので、辿り着けました。ネットって偉大!

このホテルでは、二つの再会がありました。一つはブダペストとアテネで同宿だったAさん。もう一つはソフィアで同宿だった神戸出身の世界一周二人組YちゃんとEちゃん。再会の喜びで眠気も一気に吹き飛びました。他にもさすがサファリホテルという素晴らしいキャラの人達が揃っていて、出会いの喜びに胸が躍ります。久しぶりのシェア飯(みんな本当に料理が上手くて、毎晩のシェア飯がかなりの娯楽タイムです。)、バックギャモンや四つ並べ、トランプの七並べなどのゲーム、大量の日本語の本・漫画、旅人同士の語らい、、、ホテルのボロさや汚さ、蚊の多さなどが気にならなくなるくらい居心地が良いです。

サファリホテルの入り口。ここから6階まで息を切らして階段を登れば、そこがサファリホテルです。ホテルのある通りはスーク(市場)で、夜中までにぎやかです。




現在の主な活動は、エチオピアとスーダンのビザ取りです。ビザを取るために他国の大使館へ行ったり、レター(この人は危険を承知ですという証明のようなもの)をもらいに日本大使館に行ったりするのは初めてなので、どぎまぎしながらなんとかやっています。僕は地下鉄を使うのは景色が見れないので好きじゃないので、4、5kmの距離ならいつも歩いているのですが、カイロではそれはかなりの苦痛を伴います。なぜならカイロは超大気汚染されていて、そのうえ交通ルールがめちゃめちゃだからです。排気ガスが充満していて、しばらく外にいるとのどが痛くなってくるし、車道は交通量が多い上に、信号はほとんどないし、あっても守られておらず、ドライバーは通行人がいても全くブレーキを踏もうとしないので、交差点を渡る度に大きく精神力を使います。反射神経と勇気をかなり使います。なので、最近は徒歩10分以上なら確実に地下鉄使っています。

大都会カイロ。ドライバーの目にはおそらく通行人は入っていない。


しかし、カイロは大都会です。ヨーロッパでもカイロほどの大都市はそうはないでしょう。地下鉄もあるし。少なくともモロッコのどの町よりも都会です。(モロッコの首都ラバトは行ってないけど)それなのに、物価がモロッコの3分の1くらいなのです。宿は1泊200円、水のペットボトルは20円、地下鉄の運賃も20円、ネットカフェも1時間60円。うーん、、、不思議だ。でも、素晴らしい!

ビザが取れたらシナイ半島へ移動して山登りやダイビングに挑戦する予定です。


2006/12/03-12 モロッコでお腹を壊す

2006年12月12日 18時10分49秒 | アフリカ

※食事中の方はご注意ください。
※2006/12/16 汚いトイレ画像追加

マラケシュでお腹を壊しました。昨日は10回以上もトイレに行きました。そんなに激しくやられている訳ではないですが、何かを食べる毎にその2時間後には必ず腹痛が襲ってきます。そして、その後何度かトイレに駆け込むことになります。なのでこの3日間くらいはずっと宿にこもっています。パソコンで懐かしいスーファミゲーム・クロノトリガーをして遊んでいます。(面白すぎる)なのでお腹も痛いし、その上、目も疲れて痛くなってきました。
それにしても、下痢の時ってアラブ式(インド式)トイレってお尻に優しくて良いですね。紙で拭くと痛くなりますもんね。



アラブ式トイレ(モロッコで初日に泊まったホテルにて。ここまで綺麗なとこは珍しい)



実は、アラブ式トイレはこのモロッコが初体験だったのです。(過去エジプトに行った時はどこも水噴射ホースみたいなのがついていて日本のウォシュレットと変わらなかった。)今回の旅でも東ヨーロッパでは、たまにこのアラブ式を見かけましたが、そこでは大をする機会には恵まれませんでした。しかし、ここモロッコでのトイレの選択肢は、このアラブ式か、洋式だが紙が備え付けられていない(しかも紙を流せない、便器も汚い)、の2タイプが主流なので、前者を選ばざるを得ないのです。



しかし、このトイレで大をした後の正しいお尻の拭き方って、どんな感じなのでしょうねえ。旅仲間に見せてもらった地球の歩き方モロッコ編では、「水桶を使って左手で処理する」という簡単な記述しかありません。僕の持ってるロンリープラネットヨーロッパ編(なぜかモロッコが載っている)には一切トイレの記述はありません。昔ネットで見たある人のインド旅行記のやり方を参考にしてトライしてみました。それによると、右手で水桶を持ち、それを動かして尻に水をかけながら、タイミングよく左手で拭き取るというものです。しかし、実際にやってみると水桶を動かしてお尻に水をかけるという動作が僕にはどうもできません。水がお尻の下を素通りしたり、全然関係の無いところにかけてしまったり・・・。仕方なく僕なりに別の方法でトライしてみることに。それは、水桶の水を少量左手のひらに貯めて、それをお尻に向かってべちゃっとかけながら同時にそのままの勢いで左手で拭き取るというものです。いくら水をかけながらとはいえ、物の感触は確実に左手に伝わ・・・ああっ、もうこれ以上は書けません。
過去インドやアラブ地域を旅された皆様は、いったいどうやってお尻を拭いていますか?後、濡れたお尻はどうしてますか?僕は濡れたままパンツを履いています。それでいいのですか?その辺りについて是非教えてください。



※あるネットカフェでそこに一つしかないトイレでは、肝心の穴に2Lペットボトルが刺さっていました。いったいどうすればいいのでしょうか?画像をアップしようかどうか迷いましたが、もの凄く汚い写真だったのでやめました。
※しかし、あるマニアックな方から画像が見たいというリクエストがあったので、やっぱりアップします。(2006/12/16)


ふう。さて。下痢の原因は色々考えられますが、このモロッコらしからぬ雨と寒さが最大の原因と思われます。後は、ヨーロッパからの劇的な環境変化による疲れ、衛生環境の悪化、食事の変化、などが追い討ちをかけたのだと思います。モロッコ人曰く、昔は冬もこんなに寒くなかったらしいです。雨も降らなかったらしいし。なので、モロッコの宿には雨や寒さをしのぐ設備が貧弱なのです。どちらかというと夏の暑さ(50度を超える)をしのぐための工夫が凝らされている感じ。当然暖房が無いし、すきま風はばっちり入るし、雨漏りも当然のようにあります。一泊800円程度で泊まっているので文句も言えませんが。
特に朝方の冷え込みはかなりのものなので、寝る時は朝に備えて、外出時と変わらぬ厚着と寝袋と毛布3枚重ねでしのいでいます。油断して寝袋を出さなかった日は何度も寒さで目が覚めました。しかも、朝食つきのホテルの場合、その朝食を中庭で食べさせられるのです。(モロッコの宿は大体中庭がついている)寒い。寒いです。



しかし、もし雨や寒さがなかったらモロッコは大変良い国だと思います。ここに来る前にモロッコについては良い噂も悪い噂も色々聞いてきましたが、どちらも全て本当でした。そしてその悪い面を受け入れると、とても楽しいです。
その悪い部分とは、旅行者から金をふんだくろうとする輩と、町や宿の汚さ、の2点かなあと思います。治安はそんなに悪くなさそうですし、僕は男なのでセクハラ系の嫌がらせは受けていないです。過去エジプトやペルーを旅したことがあり免疫ができていたのか、思っていたよりは全然快適に過ごせています。町の埃や排気ガスや小便の臭さには疲れますが。



タンジェ⇒フェズ⇒マラケシュと移動してきましたが、どの町も個性があり観光が楽しいです。物価も半分くらいになったし。タンジェは、スペインと地中海を挟んで20kmくらいしか離れていない港町ですが、そのメディナ(モロッコでの旧市街のこと)は、今まで旅してきたヨーロッパからがらっと雰囲気が変わりました。迷路のような埃っぽい細い路地、小さい商店、露店、独特な町の匂い(香辛料の匂い?)、アラブ人ばかりの雑踏、押し売りガイド(初日にいきなりつきまとってきた)、ハシシの売人(「葉っぱ好き?」と声かけてくる)などなど。仕事もせずにぶらぶらハシシを吸ってすごしてそうなモロッコ人が街中にいっぱいいて、かなり妖しい雰囲気です。

タンジェのひたすら広いビーチ



次の町フェズは、世界最大旧のメディナがある観光地です。

メディナにはスークと言われる商店街があり、細い路地に人が溢れ、そこをロバが荷物を背負って人波をかきわけて歩いていたり、バイクが人にぶつかりながら走っているのには、びっくりしました。メディナがとにかく広くて、そこにいるモロッコ人も親切で面白くて(商人はもちろん基本ぼってくるが)、町をぶらぶら歩いているだけで最高に楽しかったです。フェズ大好きです。



猫の多いフェズのネットカフェでは受付の椅子をネコが占領。



マラケシュのメディナはフナ広場での毎日のお祭り騒ぎが特徴的です。ただ、雨と寒さのせいでそんなには盛り上がってなかったかも。昼は、蛇使い、猿回し、賭博屋など、が広場に陣取り、夕方からは大量の屋台が店を出します。(蛇使いは、本気で怖かったので、とても近寄れなかったです)音楽を演奏する人たちもたくさんいて、まさにお祭りのような雰囲気です。



ここで、モロッコ人男性ハッサンと日本人女性Sさんの二人組みと知り合いました。ハッサンは日本に数年住んでいたらしく日本語がペラペラです。28歳ですがかなり人生経験豊富な感じです。Sさんは、日本社会が嫌いでイギリスに移住して、でもイギリスも物価高などで嫌になり、モロッコで暮らすためにやってきて今1ヶ月という人です。昔モロッコに旅したときにモロッコ人の彼氏ができて、その彼にお金やipodを盗られたりしても、やっぱりモロッコが好きで戻ってきてしまったそうです。二人とも、今は職が無くマラケシュでぷらぷらして暮らしているらしいです。でも、全然困っている感じはせず、僕に対してもとても親切だったし、モロッコが本当に好きなんだなという感じです。モロッコでは昼間から仕事もせずにぶらぶらしている人が多くて、みんな無職でまずしいらしいのですが、明るく感情豊かに、楽しく暮らているみたいです。特にSさんいとっては、感情を剥き出しにして生きているところが、とてもうらやましいみたいです。僕は、日本のことも、日本社会のことも好きなので、Sさんのようにモロッコに住みたいとは思いません。でも、確かに、モロッコ人のことは、たまにうらやましく思います。



次の目的地を迷っています。もう少しモロッコで観光するか、チュニジアに行くか、エジプトまで飛んでしまうか。チュニジア行きが第一希望なのですが、飛行機代が思ったよりも高くて・・・