『奈良時代の僧「行基(ぎょうき)」が開いた阿弥陀寺の由来
阿弥陀寺(御陵天徳町)は、天智天皇陵の南東、東海道の北に位置し、山号を「吉祥山」と呼ぶ。浄土宗知恩寺の末寺である。
「阿弥陀堂、在同所北方南向、本尊阿弥陀仏、作行基・開基同僧」(「山洲名跡志」)とあるように、開祖は奈良時代の僧行基と伝える。後に天台宗の別院となっていたが、1357年( 正平12年)知恩寺の住寺となった円智が浄土宗に改宗したと言われている。寺蔵の阿弥陀如来像は源信の作とも伝えられ、平重盛(たいらのしげもり)の念持仏と言われる。』
(説明板より)
山科区の阿弥陀寺は、東海道本線山科駅から西側へ 約500m の線路沿いにある。元々は 奈良時代の層である行基によって開基されたと言われる。行基が墓地を探してこの地に堂を建てたのがその始まりとされている。当時は天台宗に属していたが、後に浄土宗に移り、知恩寺の末寺となっている。
寺の山門は 格式ある造りで小規模ながらもなかなか立派なものだ。境内も十分に整備されており、お寺として非常に気持ちのいい整然とした趣が伝わってくる。緑も豊かで本堂の撮影等もいい絵になった。
平安時代の終わり頃に平重盛が阿弥陀寺の本尊であった阿弥陀如来坐像を祈念し、後に 念持仏となったという。この阿弥陀如来坐像は恵心僧都源信の作と言われる。この日は公開日でもなかったので本堂の外から拝観しただけで、阿弥陀如来を拝見はしていない。本来なら800年以上も経つ貴重な仏像であり、少なくとも国の重要文化財に指定されていてもおかしくはないが、調べた限りでは特に指定はされていないようだ。理由はわからない。
15世紀の応仁の乱においては、このお寺も炎上したが、本尊の阿弥陀如来は無事に運び出され、後に再建された本堂に祀られ今現在に至る。開基から1300年近くも経つ非常に由緒のあるお寺であり、拝観する価値は十二分にあると言える。
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