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『法住寺
天台宗の寺で、永祚元年(989)右大臣藤原為光が、その夫人と娘・忯子(花山天皇女御)の菩提を弔うため建てた。当時は、北は七条通、南は八条通、 東は東山山麓、西は大和大路に及ぶ広大な地域を占めていた。しかし、のち火災にかかり荒廃した。
保元三年(一一五八)後白河天皇は、法住寺の地を院の御所と定められ、上皇となって住まわれた。その後、当寺の寺域内に蓮華王院(三十三間堂を本堂とする)や長講堂を造営された。
明治維新後、後白河天皇陵が宮内庁所管となったので、御陵と寺域を別にして大興徳院と改め、渋谷より親鸞上人自作の阿弥陀如来像と自刻影像 (そば喰い木像)を移したが昭和三十年に法住寺の旧号に復した。
本尊の不動明王像(身代り不動尊像)は、方除 けの像として朝野の信仰を集めたが、後白河天皇は守護仏として崇められ、法住寺を復興されたのもこの像の霊験を体験されたからという。赤穂浪士の大石良雄も義挙の成就を祈願しており、当寺四十七士木像を安置する。
京都市』 (駒札より)
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法住寺は三十三間堂の東向かいにあり、養源院のすぐ隣の寺院だ。今までに何回か訪れている。特に桜の季節は規模は小さいながらも、枝垂れ桜が満開となると、境内に華やかさが満ちる。今回は初秋の花々を求めて訪れた。芙蓉の花などが知られるが、お寺の規模そのものは決して大きくはない。また山門をくぐると目の前の境内もさほど広くもない。その境内はよく整備されていて、様々な緑の木々が綺麗に配置されている。
ぱっと見たところ、花らしきものが見当たらない。各木々に近づいてよく見てみると、そこには芙蓉の花が僅かに花開いている。見逃してしまいそうだ。その横にこれもまた小さな萩の花が咲いていた。数が少ないのでこれも意識して見てみないと分からない。このようにしてクローズアップで撮影しながら、数少ない花々が咲く境内を回る。無論本堂や地蔵堂などもおさめていく。
これだけかな。ネットにも紹介されているのに、あまりにも少ないのではないかと思い始めた。地蔵堂の辺りから振り返って境内を見ると、何とサルスベリの木が赤い花を咲かせている。小さな花ばかりを探していたので、少し上にこのように咲いているのに気が付かなかった。わずか一本の木ではあるが、割と大きく花開いていて、そのようにして見てみると案外目立つ。うっかりそのまま山門を出てしまうところだった。
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他にも数名の人が単独で訪れており、やはりスマホやカメラを花に近づけて撮影している。このお寺はハスの名所でもあり、その時期に来たのだが遅かったようで、僅か1輪だけ残っていた。今回はその花も完全に無くなっていた。
法住寺は平安時代に創建されており、ずいぶん長い歴史を持つ。今現在の建物や境内などは再建されたものだが、駒札の説明にも簡単な歴史が紹介されており、かつては壮大な寺領を有していた大きなお寺であったということが窺える。
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