切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

信楽寺~天王神社~西教寺~正覚寺~和泉式部墓~住吉大明神 京都府木津川市・・・6ヶ所も廻った

2020-02-07 23:06:37 | 撮影
信楽寺



 JR 木津川駅から西へ約500mの住宅街の中にある。浄土真宗本願寺派のお寺で比較的小さい方のお寺になる。色々調べてみたが全く情報がなく何一つ分からなかった。昔からこの地域に密着していたお寺何だろう。本堂や境内はきれいに整備されていた。
   


天王神社



『天王神社由绪
 当社の創建は應永年中と伝へうれ京都八坂神社を観請して祭神は牛頭天王(スサノオノミコト)なり。
一般にギオンと云われるのは貞観十一年下河原に済む僧の円如が播磨国の広峰社から牛頭天王を観請し祇園荒町に精舍を建て祇園天神堂と名づけ後ギオン八坂神社と云われるようになった。神話では英雄の神、農業の神、山地の神、勇知にたけた神、悪病払いの神と伝へられる。
每年七月の夏祭には貞観十一年都にはやった悪病払いのため宮中神泉苑で御霊会を行われたのが始りと云われ、この祭の形式が中世以降全国各地に祇園会天王祭として流れ行き夏祭りの祇園祭には無病息災、平安祈願、家内安全を祈願のため当社天王神社も近郷より多数の参拜人があり賑わう。
本社の建物は室町時代後期のものと推定される。
  東大教授 森島亥治郎氏に依る』  (説明板より)


 天王神社は上記の信楽寺からさらに西へ街道沿いを走ったところにある。比較的狭い境内に小さな本殿がどの角度からもよく見える。狭いとはいえどもやはり神社であり、結構大きな木が何本か突っ立っている。
  由緒は上記の通り。創建は応永年間と言うから室町幕府が誕生して間もない頃になると思われる。祭神が牛頭天皇であるということで、この神社の名前も天王神社となっている。このブログでも牛頭天王については何度か取り上げているが、仏教が伝来してから、日本古来の神話に基づく独自の信仰対象である祠が、時を経て神道という日本独自の宗教形態となり、中心に本殿が据えられるようになったその早い段階で、朝廷の方から神仏習合の令が出され、牛頭天王というのはその神仏習合の神とされる。
 これはインドからの祇園精舎に基づく神というもので、日本においては祇園は八坂神社の勧請されたものとして、各地に八坂社や天王神社というものが建てられていく。その関係もあってこれらの各地に建てられた神社の御祭神は何も、牛頭天王であり、スサノオノミコトとなっているケースがほとんどだ。したがって木津川市のこの地にある天王神社についても祇園八坂神社から勧請されて、この地域に建てられたものだろう。その中で祇園信仰の広がりがあったものだと考えられる。
 現在の天王神社の境内はかなり狭く、本殿も小さい。本来ならば相当な由緒のある神社なので、かつてはもう少し広い敷地と拝殿や本殿を備えた大きなものであった可能性がある。本殿は赤い色に塗られて新しく見えるが、実際には室町時代後期のものと考えられており、京都府の登録指定文化財になっている。一度参拝しておく価値はあると思う。
       


西教寺



 JR 木津駅から北西数百メートルのところにある。境内は本堂・鐘楼などを配置し一通り形の整った典型的なお寺。綺麗に整備されており、地域の人々の拠り所になっているようなお寺だと思われる。やはり情報は少なく唯一見つけたのが下の記述だ。そのまま転載させていただいた。

『大永3(1523)年の創立と伝え、近世作の阿弥陀三尊像を本尊としています。本堂には古様な地蔵菩薩坐像を安置しています。平安時代後期の作とされ、木津町最古の像といわています。』(HPの記述より)
 応仁の乱の後とはいえ戦国時代の一時期に創立されたお寺だ。地蔵菩薩坐像というのは平安時代後期の作と言われているが、そうであれば何らかの文化財指定がされていてもおかしくはない。 約1000年も経つものなら是非見てみたいものだと思う。
    


正覚寺



 上記の西教寺の比較的近くにあり、木津川にもかなり近い位置にある。
 境内へ入ると正面に立派な本堂と観音堂があり、境内全体には多くの植物が植えられ花も咲いていた。石造十三重塔があり鐘楼もあって本格的なお寺という雰囲気だ。お寺の由緒書きはどこにも見られなかったが、その代わり金属製の駒札が目に付いた。見てみるとお寺の由緒ではなく、この駒札のすぐ横にある石像の阿弥陀如来坐像がある。 この像に関する駒札ということだ。
 お寺そのものは先ほどの西教寺同様、戦国時代の辺りに創建されている。その後場所柄、木津川の近くということで何度も洪水氾濫の憂き目にあったと思われる。そんな中、正徳2年(1712)に大洪水が起こり、 何千人もの死者を出したと言う。もちろんこの近辺だけでそれだけの死者が出たわけではなく、この上流から下流にかけてその一帯で大災害をもたらしたわけだ。お寺近辺でも数百名の死者を出している。
 お寺では亡くなった人のことを弔うためにその2年後、この石像阿弥陀如来坐像を立て、その台座にこの洪水の様子を記している。建てられてからまだ300年あまり。文字もはっきり読める。駒札にはその内容も紹介されているので写真として掲載しておく。
 そういった意味ではこのお寺は、歴史の一つの証人であり大勢の亡くなった人々の憂いを末永く弔うという大きな役割を担っているということになる。
 なお、本堂と観音堂については、京都府の暫定文化財に指定されている。いずれ将来的には正式な登録有形文化財になるだろう。
     


和泉式部墓



『和泉式部墓
 和泉式部は、越前守大江雅到、清少納言・紫式部とともに平安時代中期を代表する女流歌人である。生没年は不明。おおむね十世紀末に生まれ、十一世紀初めに六十歳前後で没したものと思われる。
 彼女は始め和泉守橘道貞の妻となる。そのため和泉式部と呼ばれる。子供がやはり歌人として有名な小式部内侍である。その後道貞とも別れ、冷泉天皇の泉子、為尊親王・敦道親王と恋愛する。このときの恋愛体験を告白的に物語ったものが「和泉式部日記」である。両親王と死別した後、藤原保昌の妻となる。晩年は、歌作がなく、全く判っていない。式部二十歳前後から五十歳頃までの歌数千首を集めたものが「和泉式部集」である。
 墓は高さ約一・三メートルの五輪塔で、中世に建立されたものであろう。伝承によれば、式部は木津の生まれであり、宮仕えの後再び木津に戻り余生を過ごしたといわれているが、この伝承を裏付ける資料がなくて残念である。
   いづみがは 水のみわたの 松のうへに
   山かげ涼し 秋のはつかぜ      〔歌集〕
 和泉式部の墓と称するものは全国各地にあり、なかでも京都市中京区誠心院のものが著名であるが、いずれも極め手を欠いている。
   昭和六十一年三月
    木津市教育委員会』  (説明書きより)

 正覚寺の撮影を終えて近くに何かないかと見ていると、すぐ近くのところに和泉式部のお墓とされる場所があった。JR片町線がすぐ横を走り結構騒々しい。この墓地だけが単独であるのか、あるいは何やらお寺の建物らしきものが横にあったので、そこに作られたものかよくわからない。少なくとも建物には誰もいないような状態。
 これが和泉式部のお墓だという矢印があって、それを見てみたが、そうなのかな、というくらいにしか感じなかった。和泉式部に限らず歴史上の著名人のお墓というものは、あちこち多数あって、これが本人のお墓に間違いないと言われるものは結構少ない。和泉式部のお墓もおあちこちに主張するところがあって、どれが本当なのかは未だによくわかっていないらしい。まぁ一応可能性なきにしもあらずということで撮影だけしておいた。周囲の五輪塔などの古さから見て、確かに相当な年数は経っているだろう。何しろ平安時代の人だから、お墓と言っても約千年も経っていることになる。それなりの風化状態も見ておく必要があるだろう。
  


住吉大明神



 和泉式部の墓といわれるところから木津川沿いの道を少し西へ走ったところに、この住吉大明神がある。
 名前の迫力からどんなすごい神社かと思ってしまうが、実際に現地に着いてみると十数畳位の敷地。鳥居が立ち小さな小さな本殿と言うか、祠があるだけ。もちろん謂われも何も説明がないのでわからない。帰宅後に様々調べてみたが資料は皆無。
 したがって「住吉」という名前から類推するしかない。
 住吉神というのは古くは日本書紀に登場する。ヤマト王権の正式なお墨付きを得た神であり、当時朝鮮との交流や中国への遣唐使派遣にあたって、住吉神が祀られた。そういった意味では、航海の神、あるいは海上交通の神、といった位置づけにされたようだ。
 最も有名なものは大阪の住吉大社ということになる。この住吉神が古代から中世近世にかけて、やはり様々な場面で歴史上の著名な人物がここに訪れて、住吉神に祈っているような話が数多く残っている。同時にまた詳しい事情は知らないが、和歌の神でもあるとされているようだ。
 ちょうど木津川沿いにこの住吉大明神があるということは、かつてこの場に船着き場があり、船による交易の大事な場であったのではないかと考えられる。特に住吉大社から分祈された神であるのかどうかは分からないが、このように住吉を名乗る神社は、今全国に約2000カ所あるとされている。したがって大半の住吉社は 沿岸沿いや島、あるいは川沿いに建てられているケースが多いようだ。

   
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