報道で示されたようにこのほど最高裁判所は、「旧優生保護法」によって強制不妊手術などを受けさせられた人々の訴えを全面的に認め、違法であったとして国の誤りを認め、さらに賠償をするように判決を下した。
行政裁判において原告の国民側が違憲判決として勝利する判決というのは、少なくとも 最高裁においては十数件目だという。それほど厳しく高いハードルだったのだ。
この優生保護法の問題点については、当ブログにおいて 2018年2月に取り上げている。あれから6年も経ったのだ。もちろん被害者側にとってみればこの件は、人権無視の 国家権力による強制手術が同意なく行われたということも含めて、一人一人の一生が台無しにされたという訴えが、ずっと以前からなされていた。日本各地で一斉に第一審の地方裁判所で行われたものの、全てが被害者側の敗訴となっていた。その最大の問題は「除斥」事項の、20年を過ぎているというものだった。該当の旧優生保護法にはそのことが明記されている。地方裁判所の裁判官はその部分を根拠に、国民一人一人の実情も何も理解することなく、はっきり言って機械的に判断し訴えを退け続けてきたのだ。
同時に被害者たちが声を上げる前に、一部の宗教団体が優先保護法が違憲であるとの訴えをしながら活動を続けていた。しかしそれは日本の中のごく一部の動きであり、国が動くほどのことではなかったのだ。
◆ 優生保護法の内容については以下に最初の部分だけを掲載しておく。
『優生保護法(1948/07/13法律第156号)
第一章 総則
(この法律の目的)
第一条 この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性
の生命健康を保護することを目的とする。
(定義)
第二条 この法律で優生手術とは、生殖腺を除去することなしに、生殖を不能にする
手術で命令をもつて定めるものをいう。
(2)この法律で人工妊娠中絶とは、胎児が、母体外において、生命を保続するこ
とのできない時期に、人工的に、胎児及びその附属物を母体外に排出すること
をいう。
第二章 優生手術
(医師の認定による優生手術)
第三条 医師は、左の各号の一に該当する者に対して、本人の同意並びに配偶者(届
出をしないが事実上婚姻関係と同様な事情にある者を含む。以下同じ。)がある
ときはその同意を得て、優生手術を行うことができる。但し、未成年者、精神病
者又は精神薄弱者については、この限りでない。
一 本人若しくは配偶者が遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患若しくは遺伝性奇型
を有し、又は配偶者が精神病若しくは精神薄弱を有しているもの
二 本人又は配偶者の四親等以内の血族関係にある者が、遺伝性精神病、遺伝性
精神薄弱、遺伝性精神病質、遺伝性身体疾患又は遺伝性畸形を有しているも
の
三 本人又は配偶者が、癩疾患に罹り、且つ子孫にこれが伝染する虞れのあるも
の
四 妊娠又は分娩が、母体の生命に危険を及ぼす虞れのあるもの
五 現に数人の子を有し、且つ、分娩ごとに、母体の健康度を著しく低下する虞
れのあるもの
(2)前項第四号及び第五号に掲げる場合には、その配偶者についても同項の規定
による優生手術を行うことができる。
(3)第一項の同意は、配偶者が知れないとき又はその意思を表示することができ
ないときは本人の同意だけで足りる。
(以下、略)
別表
第一号 遺伝性精神病 精神分裂病、そううつ病、てんかん
第二号 遺伝性精神薄弱
第三号 顕著な遺伝性精神病質 顕著な性慾異常、顕著な犯罪傾向
第四号 顕著な遺伝性身体疾患 ハンチントン氏舞踏病、遺伝性脊髄性運動失調症、遺伝性小脳性運動失調症、神経性進行性筋い縮症、進行性筋性筋栄養障がい症、筋緊張病、先天性筋緊張消失症、先天性軟骨発育障がい、臼児、魚りんせん、多発性軟性神経繊維しゆ、結節性硬化症、先天性表皮水ほう症、先天性ポルフイリン尿症、先天性手掌足しよ角化症、遺伝性視神経い縮、網膜色素変性、全色盲、先天性眼球震とう、青色きよう膜、遺伝性の難聴又はろう、血友病
第五号 強度な遺伝性奇形 裂手、裂足 、先天性骨欠損症』
上記の治療はあくまでも優生保護法が、本質的にどのようなものであったかを示すだけの資料であり、この法律の中に示された人権無視の、すなわち日本国憲法違反の内容が生々しく示されている。しかも国会において論議された時にも、当時の与党も野党も全会一致で賛成された法案なのだ。
1945年に終戦を迎え、日本国内は何もかもがこれから復興しようという時期であったと同時に、主に中国大陸に渡っていた多くの日本人たちが引き上げ者として日本に戻ってきていた。こうして戦争で失われた200 数十万人の犠牲者があったものの、海外からの引き上げが同じくらいにあって、日本では各個々人の生活そのものが厳しい状態にあった。つまり 一人一人が食べていくのがやっとという実態であり、そんな中この法律の中には人口抑制の意味合いもあったと言われている。引き上げ者にも若者も多く、日本に戻って新たに結婚し子供が生まれ人口が一気に回復していく。その中で農業を含む各産業が十分に体制が整っていない中で、どのように生活を組み立てていくのかというのが、極めて大きな問題であった。
だからと言ってそのような社会的な理由を根拠に、個人の尊厳を叩き潰すような法律が認められていいはずはない。しかし残念ながら当時の日本においては、国会でも人権という観点はほとんど無視され、戦後日本の復興と国民生活をどのように保障していくのかというところに焦点が合わさり、このようなゆがんだ法律が通されてしまったということなのだ。
上記資料の下の方にある「別表」というのは、優生保護法に該当する病気や障害等の例としてあげられたものだ。無論これ以外にも優生手術医師が判断すれば、この中に含まれてしまうことになる。これを見れば 先天性であれ後天性であれ、病気、精神的肉体的障害を中心としたいわゆる五体満足でないケースがほとんど含まれている。どこからどう見ても病気 及び障害者差別と言わざるを得ない実態なのだ。
そしてこの法律に基づいて該当するケースの人たちが、子供を作らないように避妊手術が男性女性ともに行われた。「本人や親族の同意」などと言っても実質的には半強制的に説得されて事実上は、「強制的に避妊手術を実施」という状態になったのだ。
この法律が施行されたことによって、 1950年代には盛んに強制的な避妊手術が毎年毎年多数行われることになる。1960年代から1970年代にかけては、日本は高度経済成長の華々しい時代に入り、国民たちにとっては働けば働くほど個々人の生活が豊かになっていくとの思いで、日本中で各産業活動が極めて活発になる。そのような時代に「人権」と言った感覚はあまりなかったのだろう。
しかし 1970年代から80年代にかけて、少しずつ障害者への差別的な強制不妊手術があちこちで問題視され始め、優生手術そのものも次第に減少傾向となる。 90年代までには手術はほぼなされなくなった。
そして少し余裕の出た日本社会においても、「人権」感覚が様々な場面で取り上げられるようになり、特に障害者における人権問題が先行して語られるようになった。時間はかかったものの 1996年にようやく優生保護法は改正され、 この法律に内在されている優生思想というものは、障害者を差別するものの内容であるとして、このような部分が削除され法律の名称も「母体保護法」と変更され今現在に至っている。法律制定から実に40年間、この差別法が日本に存在していたのだ。
ところが法律そのものは改定されたものの、最終的に強制避妊手術を受けさせられた 16,250人の人たちに対する扱いは何もなかった。つまり政府の立場としては優生保護法という法律があってその元に実施されたものであり、その意味では問題はなかったとの立場と言える。つまり体良く逃げ場を作っていたわけだ。もちろん国会においても法律名を改定してことは終わり、との姿勢であったのは言うまでもない。
しかしその2年後、国連人権委員会が日本国政府に対して、法律による強制不妊手術に対する対応をしなければならないとの勧告をする。しかし勧告は勧告で強制権はなく、日本政府はそれを聞いただけで特に何もしなかった。しかし 90年代以降2000年代に入ると、人権意識の高まりは優生保護法による強制手術の被害者に対する、人権無視の扱いにも影響を与えることになった。一向に知らぬ顔の政府に対し、 2018年、強制不妊手術をさせられた一人の女性が宮城県において国家賠償請求訴訟を起こすことになる。
これをきっかけに各地で被害者が声を上げ始め、該当者の居住地域における裁判所にて 同様の国家賠償請求訴訟が提起されることになった。当初裁判においては裁判官が口を揃えたように20年の除斥条項を理由に、原告敗訴の判決を出した。しかしことはそれだけでは済まず、各地で第2審高等裁判所における訴訟が続くことになる。
政府はこの間被害者に一時金支給とお詫びの談話を出すことによって、お茶を濁そうとした。何万人といる被害者全員に国家賠償請求に基づく保証額を認めることになれば、莫大な 保証金を払わなければならない。政府がお詫びのコメントを出すことによって、これで被害者たちも納得するだろうという甘い考えを持っていたということになる。つまり政府には、一人一人の一生を台無しにされた苦しみ悲しみといったものを共有して問題解決を果たそうという思いは皆無だったと言えるのだ。
2審では各地で原告の勝訴が相次いだが、原告側被告側ともに内容に不服があり、ともに最高裁への上告審が行われることになった。
そしてこのほど、 2024年7月4日に最高裁第一 法廷は原告側全面勝訴の判決を下した。国側には損害賠償を命じるということになった。
私が 6年前にこのブログで取り上げた時には、最初の訴訟があった時だ。ある意味控訴審 上告審としてきて 6年間で最後の審判が下ったというのは異例の速さなのかもしれない。だがしかし、いくら勝訴しても強制不妊手術を受けさせられた一人一人の尊厳と人権は潰されたことに間違いはない。取り返しのつかないことが行われたのだ。従って彼ら彼女たちは 残りの生涯を、この事実を携えたまま 送らなければならない。
判決後すぐに総理大臣は謝罪の談話を出したが、本来ならば裁判自体も最高裁まで持ち越されることなく、せめて高等裁判所において違憲判決が出され、国家賠償請求が実施されるような判決が出されるべきであったのだ。勝訴とはいうものの原告側にとっても、勝訴内容の判決文が納得のいかないものであり、政府は政府として敗訴そのものに納得がいかないということで、結局両者ともに上告ということになった。
結果的には優生思想に基づく法律そのものでの存在が「悪」だったのであり、裁判によって被害者一人一人の尊厳と人権が認められたという内容であったと言える。無論だからと言って、これで全部が全部、納得できるというものではないかもしれない。おそらく被害者たちはここで一区切りついたのだとの意識なんだろうと思われる。あと国が国家賠償として何をどうするのかということが焦点になる。従って今後もずっと注視しなければならない。 大きな国家的犯罪であったのだ。
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