切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

東寺 大師堂・・・これも国宝    京都市南区

2024-01-05 22:05:04 | 撮影
  

 桓武天皇は794年、都を長岡京から平安京へと遷す。その際新たな都である平安京を守るために、正門となる羅城門を挟んで東側に東寺、西側に西寺を建立する。(796年)長い年月を通して東寺は現在にいたり、西寺は壊滅し今では西寺跡が残る。名前を受け継いだ今の西寺はその西寺跡から北側に小さなお寺として残っているが、かつての西寺との関連があるかどうかは分からない。

  京都でも有数の規模を誇る東寺へは何度も訪れているが、実際いつ訪れてもあちこち見応えが十分であり、様々な角度から見る伽藍は見事の一言に尽きる。金堂や講堂の中に安置される数多くの仏像にも思わず心を奪われるほどの威光を感じざるを得ない。年に1~2回は訪れその壮大な光景を堪能し満足を得ている。

  しかしよく考えてみると、広い境内の西側にある「太子堂」 へはまだ一度も行ってないことを思い出した。東寺の境内は金堂や五重塔、あるいは広い庭園を柵で囲って有料拝観場所となっている。それ以外は無料で自由に出入りできるところだ。そして太子堂もその無料場所に当たる。今回初めて太子堂だけを目的に東寺を訪れた。

   

  とりあえず礼儀として南大門から入る。重要文化財だ。門を通して真正面に金堂が控える。国宝建造物。境内に入ると東側に国宝の五重塔がそびえる。そして柵の外側の境内を北へ進むと行動が現れる。重要文化財だ。無論建物の内部には入れない。そして向かい側に 太子堂の入り口となる門がある。人はやや少なめだ。入るとすぐ目の前に見事な 横長の建物が目に入る。これが国宝の太子堂となる。

 太子堂は御影堂とも呼ばれる。東寺そのものが建立後弘法大師空海に渡され、この大師堂は当時、空海の住まいでもあった。従って太子堂はその当時からの建造物ということになるが、鎌倉末期の南北朝時代に火災で消失。すぐに再建され室町時代を迎える。そういった意味ではやはりかなり長い歴史を持つ建物ということになる。内部には弘法大師像が安置され、これも国宝に指定されている。また堂内には念持仏とされる不動明王像があるが、秘仏であり非公開のものだ。これも国宝に指定されている。
  
   (大日堂)
 

 太子堂は一見したところ、非常に真新しい状態に見える。近づいてみると木の壁などは塗装し直されたり、あるいは金属の留め金部分なども新しいものに交換されているようだ。そういった意味では再建された1400年頃の雰囲気というのはあまり感じさせずに、つい最近建造されたのではないかといった感覚になる。一方の金堂や講堂の方は五重塔も含め、むき出しになった木材の部分的な劣化などが見えて、やはり長い年月のものだということが歴然だ。太子堂の方は非常に開放的で、普段から毎朝一般の方も含めてお勤めができ、誰もが自由に堂内に入ることもできる。どのような庶民の人でも気楽に訪れることができて、そういった意味では極めておおらかな雰囲気を持った場でもある。

 もちろん太子堂も含めて30年前に東寺そのものが世界遺産に認定された。

   
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 法性寺・・・国宝・千手観音... | トップ | 赤間薬師堂・・・木造薬師如... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

撮影」カテゴリの最新記事