切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

西方寺~長福寺~摂取院 京都市右京区・・・西京極界隈

2022-01-08 23:24:16 | 撮影
西方寺 (京都市右京区西京極北裏町)

 

 西方寺は全国的にもよくある名前で、京都市内だけでも10ヶ寺以上はある。そのうちこちらは右京区西京極にある西方寺となる。阪急京都線西京極駅から南東へ数百メートルのところだ。周囲は幹線通りと住宅地となる。
 「浄土宗 紫雲山 西方寺」というのが正式な名称で、本尊は阿弥陀如来となる。紫雲山というのは浄土宗の七大本山の一つである「金戒光明寺」の山号であり、黒谷浄土宗という宗派に属するものだった。金戒光明寺となる土地は宗祖である法然が譲り受けた土地だと言われる。そこに順次伽藍が整備され現在の金戒光明寺となっている。
 浄土宗というのは法然によって開創された宗派のことであり、念仏を唱えることによって往生極楽ができると説いたものだ。それまでの難しい経典の内容や意味を全部理解するという方法では困難であり、当寺文字の読み書きができない一般庶民においても、ひたすら念仏を唱えることによって日々の生活の安心感を得ることができるということで、全国的に広まった。そういった意味では各地域ごとに次々と浄土宗のお寺が建立され、いわば地域のお寺として近隣住民の信仰を得ていたと言える。
 境内は決して広くはないが豊かな緑に囲まれており、非常によく整備されている。本堂もことの外立派な構えであり、人々が集まって念仏を唱えるにも適した建築となっているように見えた。

 


長福寺  (京都市右京区西京極中町)

 

 長福寺は阪急京都線西京極駅から南東へ数百メートルのところにある。正式な名称は「真言宗泉涌寺派 密乘山 長福寺」であり本尊は釈迦如来となる。
 真言宗泉涌寺派とは東山区にある泉涌寺が天台や禅、律などの教義を学ぶ道場として開かれたものだと言われる。泉涌寺は皇室との関係が深く、いわば経済的な後ろ盾でもあったが、明治維新後はそれが途切れ次第に衰えることになる。明治新政府は複雑に分派している仏教各宗派を整理するために、泉涌寺派も真言宗として一本化することになった。ただしそれでも真言宗には別の宗派があり、いくつかの変遷を経て戦後に現在の真言宗泉涌寺派としてまとまることになった。
 長福寺は境内に入ることができず、少し離れたところから見ることができただけであり、境内だけでなく建物等の様子などもよくわからなかった。


摂取院

 

 摂取院は阪急京都線西京極駅から南へ約1 km ほどのところにある。浄土宗の寺院だが浄土宗の中の一派である西山浄土宗に属している。
 西山浄土宗は総本山を長岡京市の光明寺とする浄土宗の範疇に入るものだ。浄土宗を開祖した法然上人の弟子である西山上人が、自らが唱える教義の内容を広めたことから始まると言われる。したがって鎌倉時代のあたりから少しずつ広まっていったものだということになる。後に浄土宗の中でもこの西山派はかなり大きな流派となっていく。その後少しの変遷はあるものの今現在では、西山浄土宗の中から光明寺派が出てきたと言う。
 今では京都市内の様々なお寺を回っていると、西山浄土宗を名乗るところは比較的多くみられる。本尊は浄土宗と同じく阿弥陀如来となる。


  
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