切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

和気清麻呂流着地の碑・光福寺(市田)・永福寺・・・京都府久世郡久御山町和気    2024.5.18 訪問

2024-06-16 22:31:29 | 撮影
和気清麻呂流着地の碑



 府道宇治八幡線と第二京阪高速の交差点近くに石碑が建っている。そこには「流着地」と彫られていた。彼は最終的にこの地に骨を埋めたのだろうか。この地の住所は、久御山町市田和気となっている。もちろん和気清麻呂の和気 が地名として残されているようだ。
 彼は備前国、今の岡山県の和気郡和気町の生まれで、地方豪族の出身だ。奈良時代から平安時代初期にかけての人物で、当時は出世のために平城京の方に上がって活躍するのが必要とされた時代だった。彼は桓武天皇の信頼を獲得し、周辺の河川改修や様々な開発工事に力を発揮し、平城京のみならず周辺の整備に大いに活躍した。このような業績のもとに出世を成し遂げ、様々な重要な役職を任されるに至る。彼が亡くなる前に都を京都に移す、つまり 平安京遷都を提案したことはよく知られている。


光福寺(市田)

  

 府道宇治八幡線沿いにある。浄土真宗本願寺派の寺院で、山門や本堂などは比較的新しいように思える。少し広めの境内には花を含む植生が豊かで、綺麗な緑が広がっている。寺の由緒については何もわからなかった。本堂の扉に、一部窓ガラスがあり、そこからおそらく本尊であると思われる仏像が見えた。像が小さめでよくわからないが、おそらく阿弥陀如来像だと思われる。
 寺と府道との間には民家があるので、音はやや静か目だ。少し離れた隣に永福寺がある。

    


永福寺



 幸福寺と同様、府道宇治八幡線沿いにあって、こちらの方は府道沿いに山門が開いている。こちらも建物等は少し新しさを感じさせる。真宗大谷派のお寺で、その他の創建、由緒等については不明。こちらの境内は少しすっきりした感じで、お寺全体があまり目立たない 感じがした。境内などは綺麗に整備されていて、お寺らしい雰囲気を醸し出している。

 
コメント
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