切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

城陽市の桜 荒見神社・・・1本だけの枝垂れ桜

2019-05-02 22:46:11 | 撮影

荒見神社



『荒見神社
 一棟 重要文化財 荒見神社本殿
 1棟、京都府登録文化財 境内社御霊社
 荒見神社文化財環境保全地区

 旧富野村の産土神。社伝によれば、もと五社ケ谷にあったが、室町時代(十五世紀ころ)に現在地に移ったという。当社は、祭神が多い (五柱)のが特徴。社叢は水田の中に立つ森で、アラカシ・シイ・クスが繁茂している。
 周囲には堀割がめぐる。南面の鳥居をくぐると薬医門があって神社としてはめずらしい、神仏習合時代のおもかげを残している。
 境内に入ると西面して本殿が立つ。富野の有力大工の手になるもので、桃山期建築の特徴をよく示す。本殿は慶長九年(一六〇四)の棟札をもつ三問社流造、檜皮葺。本殿右側の境内社御霊社は、一問社流造、檜皮葺の小規模な建物。建立時期について、蟇股は本殿のものより古い室町後期頃の特徴をもつが、組物、木鼻は近世のもので本殿と共通する。
  城陽市教育委員会



『御由緒
御祭神
 天火明尊 アメホアカリノミコト
 天香語山尊 アメノカグヤマノミコト
 天衬雲尊 アメノムラクモノミコト
 阿比良依姫尊 アヒラヨリヒメノミコト
 木花開耶姫尊 コノハナサクヤヒメノミコト
攝社御祭神 天兒屋根尊 アメノゴヤネノミコト
例大祭 十月一日~五日(おいで祭)

おやしろは皇紀一三〇七年即ち大化三年に五社谷の淨地に創建され寛正二年三月に今の神地に
御遷宮 御社殿は慶長九年九月三日再建 明治中期まで安羅見天神宮の御社号なり 三間社流
造で元国宝学業達成子守の神様、緣結、安産、育児、延命宝寿、子孫繁栄、事業隆盛、交通、航空安全、建築業に豊運の御加護を垂れ給ふ神々をまつる信仰社
神井の湧水は諸禍退散生命根源の神水なり
古くより宮座あり古儀を伝えて西富野宮座現存す
 昭和五十年五月吉日
 奉 大阪(有)越野看板店
 (境内説明看板より)

    
 前回の続き。城陽市の桜ということで、この日は荒見神社へ行く。
 すぐ横が大型ショッピングセンター、アルプラザ城陽が構えており、休日平日ともに多くの買い物客で賑わっている。周辺は住宅密集地だが、神社の北側にサントリーの大工場がある。またJR奈良線の駅からも比較的近い。
 荒見神社については、詳しいことをこのブログでも紹介しているので、そちらを参照してもらえればと思う。今回はあくまでも桜がメイン。
 この神社の桜については、ネット上の写真で初めて知った。前回の水度神社や久世神社などにしても同様だ。その意味ではネットの便利さを改めて思い知った。散ってしまわないうちにということで、家から20分もあれば着くので行ってきた。
 鳥居を入り境内のすぐ右側に枝垂れ桜が満開の花を咲かせていた。実のところ桜はこの一本だけ。ところがこの由緒のある荒見神社の境内の中で、逆に一際目立った存在になっている。
 本殿は国の重要文化財に指定されている。西暦1604年の再建だから400年以上の歴史を持つ。鮮やかな本殿だ。シーズンを若干過ぎたということか、人はやや少なめだった。それでも便利な場所にあるということで、相応に人が来ている。
   
 どこの神社でもそうだが、福祉施設の利用者が指導員さんと一緒に来ているケースがとても多い。この日も近くの高齢者施設から車で何人かの利用者さんが来ていた。自分自身もいつの日かこのように利用者さんの立場になるんだろうか、そんなことを考えながら写真だけはしっかりと撮影させていただいた。神主さんも常駐しており、御朱印やお守りなども販売されている。是非とも訪れたい神社の一つである。
 
 ちなみに荒見神社は、「式内社」ということで論社扱いながら今まで言われてきたが、比較的最近の調査研究によって、となりの久御山町にある同じ名前の、荒見神社の方が、延喜式神名帳に記載されているものだとほぼ確定されたようだ。専門的なことはわからないが、様々な見地から判断されたものだろう。
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