もしかしたら
目の前の感覚が
自身のなかの投影なら
目の前に、何らかの問題や闇をもし、感じたのなら
そのすべては、周りのすべてに問題や闇があるわけではなくて
自身のなかで闇と思い込んでる思考や、問題や闇は元来ないのに
あると
思い込んで、信じていたり、認めてしまっている投影に
すぎない
自身のなかでの闇を問題をもナンにもない…と思っていたら
目の前に映りゆくものさえ
闇も問題もなんにもない
どこにもみあたらなきもの…
すべてを赦したことは
私自身すべてをまるごと、認め赦したことのあかし
私自身のすべてをまるごとに認め赦したら
周りのすべてを赦して、受け入れたことになる
ような
そんな、気がしてならなき今があった
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