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風と光と空の詩(うた)

~色々あるけれど、人生はケ・セラ・セラ~

継続は力なり…😁

2021年05月18日 | 日記
私が「赤毛のアン」を原書で呼んでいることを知った次女が電話してきて、挨拶が英語だった。

娘よ、母は英会話が出来るようになろうとは思っていないのだよ。「赤毛のアン」が読みたいだけで。

私の意図を理解した彼女はすぐ日本語に戻した。

彼女は17歳の時に1ヶ月半イギリスにホームステイをした。
日本に戻って来た時、彼女の英語の発音が私と長女が習ったそれとは全く違っていて、ビックリしたのだった。

彼女は耳が良くて、知らない曲でも、一度聞けばすぐにエレクトーンで弾くことが出来た。
子供の頃、ドラゴンクエストのテーマなど良く弾いていた。

専門学校に通った時は、韓国人の同級生と会話をするため、韓国語も聞いて覚えたようだ。

「この間も外国人に道を聞かれたから、教えてあげたわ(英語で)」

彼女曰く、話せてもスペルは分からないんだそう😆

ところで…
「赤毛のアン」は毎日数行ずつ辞書を片手に読んでいる。

不思議なもので、続けていると、短文なら何となく意味が分かるようになってくる。

ただ…まだアンには会えてはいない😆









知らない道を走ったら過去の思い出に出会えました

2021年05月17日 | 日記
コロナ禍の外出自粛と退職をしたことで、車を運転するのは通院と週イチの買い物位になってしまった。

運転のスキルも低下する。
なので時々あてもなくドライブをする。

ナビを使わずに勘と道路標識を頼りに走る。
それでもちゃんと家に帰って来られる。

先日、知らない道を走っていて何となく左折して、少し走ってからふっと思い出した。

それは35年ぶりに走る道だった。

一度だけ夫と通った道だ。
夫亡き後、何度か探してみたが見つからなかったのだ。

じきに橋が現れ、右に大きくカーブしながら昇っていく…。

私はあの日、助手席に座ってこの景色を見ていたのだ。

ヒルザキキキョウというのですね。
我が家の周辺にはありません。
ちょっと離れた場所にある橋の付近の道端に群生していました。








「私の車は大丈夫?」😆30年位前の話

2021年05月15日 | 日記
昨日、金曜ロードショーで「タイタニック」を放送していた。
何回観たか忘れた位観ているのに、毎回泣けてしまうわ😢

実際のタイタニック号に乗り合わせて、助かった日本人の方の手記を読んだ。

命の危機に直面しているときは、ただ助かりたいと思っていたのに、助かって安心したら、諸々の貴重な私物を船に忘れて来てしまったことを惜しいと思ったと…。

それで昔、職場で同僚から聞いた話を唐突に思い出した。46年位前ね。

戦争中の話で、その日は雨模様で、外出するご主人に傘を持たせて送り出した。

外出先で空襲があったことを知って、家で大変心配して待っていたところに、ご主人が無事に帰って来た。

顔を見てほっとした瞬間、「お父さん、傘は!」と言う言葉が口をついて出た。

「お前は俺の命より傘が大事か」と揉めたそうだ。

彼女にしてみれば、戦時中傘は貴重で、夫が無事に戻ったから、ついホッとして傘の心配をしてしまったと言うことだった。
「まずは旦那さんの無事を喜んであげるのが大切よ」

夫はもういないが、彼は何度か交通事故を起こしたり、まきこまれたりした。私は必ず電話口で「お父さんは大丈夫?」って聞いた。
たいがい大丈夫だったけど…。

でも…

私の車を使って、飛び出してきた犬を避けて、縁石に派手にぶつけた時は思わず「わたしの車は大丈夫?」って聞いちゃったわよー😆

まだローンが残っていましたの!
夫は全然大丈夫だったけど、私の車は大丈夫じゃなかったわ😆

当時のカリーナED。
スポーツタイプで、とてもいい走りをしてくれました。



世の中は色々大変ですが、今日も粛々と…

2021年05月13日 | 日記
昔からよその家を見るのが好きな私。

※怪しまれるような行動はしませんよ。外観やお庭をさらりと眺めて通り過ぎるだけ。

最近新築される家は、平屋が増えているようです。東日本大震災以降の傾向らしいですが。

煙突がある家もボチボチ増えてきて、ストーブ?暖炉?

サンタクロースは、ちょっと入れなそうなサイズですけど…。
そういうお宅はバックヤードに薪が積まれていたりします。

以前は整った庭だったのに、樹木が繁って、ジャングルになっていたり、ゴミが大量に置いてあったりというお宅も散見されます。

人が住んでおられる様子なので、どうしたのかしら?と、本当に大きなお世話ですが、心配になったりします。

でも、明日は我が身のような気もします。
家も庭も綺麗に整えておくというのは、エネルギーがいります。

家の維持は大変ですが、どこに住もうとも、一定のお金はかかるので、致し方ありません。

ひとりで住むには広過ぎ、娘家族が来ると狭くなる我が家に、孫達の声がしなくなって随分経ちました。

早く気軽に会える日が来ますように。
色々世の中大変ですが、時は流れて行きます。
私は今日も自分のやれることを粛々とこなします。










ご近所の方に戦争中の話を伺う

2021年05月11日 | 日記
昨日、滅多にお会いしないご近所の方とお話しした。

私よりも20歳年上のその方は、東京で暮らしていたが、戦争が激しくなった頃、山陰地方の親戚の家に子供達だけで疎開したそうだ。

「京都も大阪も危ないって言うんだもの。10人以上いとこ達が集まってしまったわ」

「竹槍持って訓練したでしょ。今思うと馬鹿みたいよねえ。あんなんで勝てっこないじゃない」

住んでいた地域には、空襲はなかったそうだ。

「防空壕は掘ってあったわ。夏は暑くてねぇ」

色々と大変な事を乗り越えて来られたであろう、その方の強さに感服した。
クサイチゴ。春先に道端に咲いていたのはこのイチゴの花だったのだ。