幸川に架かる関東大震災復興は、内海橋と南幸橋。
手元にある資料によれば、南幸橋は架け替えられて、内海橋は廃止橋梁となっている。

この廃止橋梁とは、文字通り今は無い橋である。一番多いのが横浜市営地下鉄建設で運河が埋め立てられて無くなった橋。他は暗渠。
しかし、新田間川も幸川もあるし内海橋もある。
あれ?これなんでだろ(?_?)なんで資料作成氏は廃止橋梁としたのであろうか(?_?)
なんだかモヤモヤとするから、中央図書館で地図を調べてみることにした。
4階の館員さまありがとうございましたm(__)m
今の内海橋が架けられたのは、昭和29年。
明治や大正までさかのぼることは必要ないが、昭和29年前の地図を探した。
まずは、昭和31年の住宅地図。

今とはだいぶ違うといえば違うが、川も橋も基本は今と同じだ。
昭和29年以前の地図。

思わずおお(@_@;)
そうだったんだ!!!
烏帽子田橋から帷子川と分かれた新田間川。


かつては新田間橋から更に派新田間川が分かれていたんだ!

派新田間川は二之橋をくぐって、鶴屋橋へとむかう。
新田間川は途中で今の幸川と直角に分かれながら、内海橋へと向かう。
そして、鶴屋橋と内海橋の先で新田間川と派新田間川は再び合流し横浜港へと向かっていたんだ!

新田間橋から分かれた派新田間川は、今は暗渠となり、二之橋から再び光を浴びる。

そして、新田間川は直角に行き止まり、幸川へと流れる。




なるほど。
確かに、昭和29年に内海橋はまったく新しい橋として誕生したのであった!




廃止橋梁は、市施工・市單獨負擔橋梁18橋のひとつ。横浜震災復興誌によれば。
位置・神奈川區鶴屋町南幸町地先(市道)
橋種・木桁及工形鋼桁
斜度・右51.20.00
橋長・35.80m
有效幅員・10.909m
面積・390.54㎡
施工期は鶴屋橋・南幸橋・内海橋まとめて、著手昭和二年六月二十九日:竣功昭和三年九月二十日
總工費も3橋まとめて、63.757.73円とある。
そして、新横濱驛裏線街路の内字名を取る同町字内海とある。
つくづくと、図書館とは大事な大事な役割を持つものなんだと再認識したしだいです!
私が一番好きな紫陽花は、中央図書館の白い紫陽花(^^♪
