今日のころころこころ

2017・7・7 テキトーに渡るおばさんの橋 横浜の廃橋関東大震災復興・瓦斯橋 ここが日本国ガス発祥の地

関東大震災で壊滅状態になった横浜の橋。復興事業で国施工37橋・市施工141橋が新築・改築・修築された。
かつて存在した桜川に架かるのは、現存は浅山橋1橋。架替は紅葉橋1橋。廃止橋梁は錦橋・綠橋・瓦斯橋・雪見橋・花咲橋・櫻橋・戸部橋の7橋。
かつて存在した桜川は今は新横浜通り。水ではなく車が流れる。

廃止橋梁となった橋がどこに架かっていたかの表示は無い(^^;
ただ、なんとなくここかなぁという感じ(^^;


緑橋は、たぶん花咲町2丁目交差点だったんじゃないだろうか???

先の赤い橋は紅葉橋。
明治5年に錦橋と綠橋と紅葉橋が架けられ、綠橋と紅葉橋の間に明治7年に瓦斯橋が架けられた。
ということは、瓦斯橋は本町小学校入口交差点だったのかなぁ???

たぶん緑橋が架かっていた花咲町2丁目交差点を渡る。





本町小学校入口交差点。

瓦斯橋はここにあったんかなぁ???

横浜市立本町小学校。





ここには、日本ガス事業発祥の地の碑がある!







そう。日本国のガス事業も明治5年に横浜から始まった。
だだしここで注意しなければならないのは、この明治のガス事業とは「燈火用」。今のような熱用ではなかったという点。電気に燈火を譲った後に熱用として活用されるようになったのである。
西洋のように街燈がある都市を目指していたところに、明治3年に具体的に事業者が立候補してきた。
ドイツのシキルス・ライス商会。がここで政府の外資に対する憂慮が出てきて、市内の有志8人で日本社中を組み紆余曲折のなか高島嘉右衛門率いる日本社中(別資料によれば、8人中7人が脱落して結局高島嘉右衛門だけだったようだが)に建設免許がおりた。
高島嘉右衛門はフランスよりぺルグレンを招き資材はイギリスより調達して明治5年に瓦斯工場が完成。







明治5年9月29日に日本国初のガス灯が大江橋通り・馬車道・本町通りに点った。
当時の瓦斯橋。

雪が多かったのかな?後ろの鳥居は伊勢山皇大神宮さま。
その後、明治8年に高島嘉右衛門個人事業から第一大區町會所に移管され公有事業となり明治25年より横濱市營となった。
今は、東ガス!
関東大震災復興としての瓦斯橋は市施工・復興費道路橋梁費支辨橋梁52橋のひとつ。
横浜震災復興誌によれば。
位置・中區櫻木町二~三丁目花咲町二~三丁目地先(市道)
橋種・鋼構桁
斜度・直角
橋長・15.25m
有效幅員・7.30m
面積・111.33㎡
施工期・昭和元年十二月二十五日竣功昭和二年九月三日
總工費・30.505.82円
とある。
親橋。

伊勢山皇大神宮さまはそのままに。

私はこの神社さまの境内が好きだ。





今現在工事で裏参道が使えない通り抜けできないのはおばさんぽ的には辛いけど(^^;

コメント一覧

うさぎ
tonnkoさま(^^♪
さすが!!
やはりバス停の名前に気付かれてましたか!!
私も気になっていました。
なんで雪見橋とか花咲橋なんだよ?川なんかどこにもねーだろが(?_?)
昭和29年埋め立て完成ということは、あのあたりで生まれ育った昭和20年生まれ以上くらいの世代の方々しか記憶にない桜川ということですかね???
バス停の名前といえば、大磯の月京(がっきょう)とかが気になっています( ;∀;)

tonnko
わたしも歩きたくなりました。
横浜に住み始め、横浜駅から戸塚行きのバスに乗ったとき、
バス停の名前が”とても素敵”と思いました。
川が流れ、その名の橋が現存していたのですね。
地図を片手に歩きたくなりました。
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