かつて存在した桜川(今は新横浜通り)に架かるのは、現存は浅山橋1橋(今の区分では石崎川)。架替は紅葉橋1橋。廃止橋梁は錦橋・綠橋・瓦斯橋・雪見橋・花咲橋・櫻橋・戸部橋の7橋。
大岡川に架かる橋の親柱が素敵♡♡♡
で、深くも考えずに始めた横浜の関東大震災復興めぐり。
親柱だけと思って始めたのであるが、めぐるうちに様々に。。
廃止橋梁なんてどーでもいいじゃないかと思っていたが、かつてあった桜川という川に架かる紅葉橋という橋が架け替えられたとはいえ現存していた(^^;
そういえば、浅山橋も今は石崎川だが手元にある資料では桜川になっている(^^;
その、桜川ってなんだよ(?_?)
お天気最悪だったけど橋は後にして資料漁りにでかけたつもりが成り行きで錦橋。
今の内陸流通の主役は車や列車であるが、かつては船であった。
横浜もいくつもの川や運河が縦横に走り船が港へと人や荷物を運んだ。
桜川もそんな運河のひとつであったが、内陸流通の主役が車や列車となるにつれ、他の運河同様に埋め立てられて道路となった。
かつての桜川は今は新横浜通りとなっている。


桜川であるが・・・
埋め立てが完了したのは昭和29年とわかっているが、いつからそこに流れていたのかは、私の能力ではわからなかったのです(^^;
明治24年の尾崎冨五郎出版の地図。

すでにある。

昭和11年の大日本職業別明細図にもある。

中央図書館にあった年表には。
明治4年桜木川よりガス製造所まで運河拓くとあり、明治5年桜木町より花咲町へ2橋を架し東を錦橋・西を緑橋と命名と書かれている程度。
桜木川という川があってガス製造の関係で運河として整備されたのが始まりということなんかなぁ(?_?)(?_?)
ま(^^;
かつて、大岡川と桜川・派大岡川が交差するところには、桜川側には錦橋・派大岡川側には柳橋が架かっていた。



今は、錦橋も柳橋も無くなり桜川橋が架かる。





ここにあったんかなぁ?


復興事業で架けられた錦橋は、市施工・復興費道路橋梁費支辨橋梁52橋のひとつ。
横浜震災復興誌によれば。
位置・櫻木町花咲町地先(市道)
橋種・鋼板桁
斜度・左78.00.00
橋長・15.39m
有效幅員・9.55m
面積・147.00㎡
施工期・大正十四年五月十三日:竣功大正十五年三月四日
總工費・36.860.70円
とある。
親橋。

なんだか大岡川が変わってないのが奇跡のように思えた。。

