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今日のころころこころ

2024・9・29 渋谷区立松濤美術館「空の発見」

一日曇り予報だったけどいつの間にか小雨がぱらつく。
渋谷駅から渋谷区立松濤美術館へ。




東急百貨店本店はもう無い。



時代の流れ。
それだけのこと。
でもやはりどこか淋しいものだったんだな。





渋谷区立松濤美術館。
「空の発見」開催中。
会期は9月14日~11月10日。
展示室の撮影は禁止。






「空」。
日本の美術の中では、近世になるまで「空」を現実的に描こうとする意識は希薄だったという。
近世になって西洋絵画などの影響を受けるようになって、洋風画や泥絵や浮世絵などに「空」が広がるようになったという。
明治以降、本格的な西洋画教育や、気象観測の導入を受けて、刻々と変化する雲や陽光を写し取ろうする画家たちがあらわれたものの、表現主義やシュールレアリスムなどの新潮流の影響のなかで、自らの心情などを「空」に託すようになったという。
そして現代では、「空」を中心に据えることで展開させていくアーティストも多くなったという。
そうか?
と思いつつも、展示室へ。




6章で構成されている。
1章:日本美術に空はあったのか?-青空の輸入
2章:開いた窓から空を見る-西洋美術における空の表現
3章:近代日本にはさまざまな空が広がる
4章:宇宙への意識、夜空を見上げる
5章:カタストロフィーと空の発見
6章:私たちはこの空間に何を見るのか






確かに江戸時代の絵には「空」が無い。
金雲なんぞで彩られる空間はあるけど。
ただ、江戸時代でも、司馬江漢(1747~1818)は蘭学から地動説を学び、科学的空間認識をもっていたことは、「駿河湾富士遠望図」などからうかがえる。
鎖国していた時代でも徐々に徐々に西洋の様子は入ってきてはいたから開国すると怒濤のように「空」が日本に入ってきた様子が展示からわかるようになっていた。
ユニークなのは、雲の伯爵(父は備後福山藩十代藩主・阿部正桓)と呼ばれた気象学者の阿部正直(1891~1966)の気象観察記録資料。
AKI INOMATA の2024年の映像作品でしめくくる。






陰陽師は今で言うところの気象庁の職員であった。
江戸時代にも天文台があって観測していた。
そういう職業の人たちでなくても、今のように誰でも天気予報の恩恵を受けることのできない時代は、空を見て判断していたようにも思う。
今のようにゲームで遊ぶこともない時代は、空を見上げる時間が今よりもあったようにも思う。
その「空」を江戸時代のアーティストたちが意識していなかったとはとても思えないけど。
それとも江戸時代には気象情報はすでに国家機密であったのだろうか。
なかなかに興味深い切り口だったなと美術館を出た。




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