今日のころころこころ

2014・10・28おばさんの道かながわの古道50選・滝山街道と矢倉沢往還との交差部付近・矢倉沢往還

そろそろジャック・オ・ランタン作んなきゃ。今日は近場にしよう。

かながわの古道50選・滝山街道と矢倉沢往還との交差部付近の矢倉沢往還。

滝山街道は、小田原城の重要な支城であった鎌倉の玉縄城と八王子の滝山城とを連絡し、後北条氏が領国を支配する上で重要な道の一つとされました。江戸時代になると人の往来も盛んになり、街道が整えられました。中でも下鶴間の鶴林寺前を東西に走る街道は、矢倉沢往還と呼ばれ人馬継立場がありました。また、この道には旅籠や商家が並んでいたそうで、天保2年(1831)9月には、蘭学者で画家でもあった渡辺崋山がこの角屋で一泊し、その時の様子を『遊相日記』に書いています。滝山街道と矢倉沢往還との交差部の山王社に道標が残っています。
ふむふむ( ..)φ

この間は、滝山街道を歩いた。
今日は、矢倉沢往還。
滝山街道の時は東急・つきみ野駅から歩いたが、なんだかヘタれていて、バスにする。
小田急・鶴間駅東口下車。

え~とバス停は・・・お!あそこか。

ふたつ並んでるがどちらでもOKのようだ。

なぞの手形・・・

ま。すぐに来た方に乗る。

観音寺バス停下車。

これはオーバーなのではなくて、本当に道幅が狭い。バスとバス停に挟まれて降りた感じ。
お!あれが観音寺様。

工事中。

ってえええ!『金剛組』って、確か日本最古の会社だったよな。創業は飛鳥時代だったかな?初めて見た。わお♡
ここからスタート。

歩きだして気がついた。金剛組の養生シート拝んでなんのご利益あるんよ。なにやってんだ私。
ま。歩き出す。

車の途切れを狙ってあらためて撮る。
観音寺バス停。

バス停の後は、大山阿夫利神社様が分祀されてる。

ほう!新田軍の鎌倉進撃路。

道標。

すごいお屋敷が見えてきたな。

交差点の先のあれなんだろう?

そうか。高札場があったのか。ここが村の中心だったのね。

建物の方は、商家だった旧小倉家。今は大和市下鶴間ふるさと館となっている。

面白そうだったけど、残念ながら火曜日は休館日でした。

歩く。

うわ!またすごいお屋敷。

お不動様があるのか。

階段を登る。

横を見たら、鶴林寺様だ!

浄土宗のお寺はやはりイチョウ様が素晴らしい。

鶴林寺様の階段を降りる。

お向いもすごいお屋敷!

そうか。ほんとうにたいそうに栄えた街道だったんだな。

歩く。

おや!辻の神様。

渡辺崋山ゆかりのお宿らしい。

歩く。

またまたお屋敷!

その先の辻にも神様。

軒下に柿♡

すごいお屋敷ばかりである。

諏訪神社様に寄り道。

養蚕が盛んだったのかな?

諏訪神社様。

トイレを拝借する。

あれなんだろう?土俵のように見えるが・・・

ま。また元の道に戻る。
お!!!あそこは見おぼえがある。滝山街道との交差部だ。

日枝神社様。

石の神様。

あっちは滝山街道。

こっちが矢倉沢往還。

歩く。

柿は売り切れでした。

交差点を渡る。

蕎麦屋さんはふつー。

鶴間駅を通過。

ここからは、今の大山街道。ライラック通りの延長。

そろそろ終点かな。

西鶴寺様。

無論、街道は続く。

さてさて帰ろう。

といっても・・・
バスは謎の路線。

鶴間駅まで歩くしかないが、もう排ガスは嫌だな・・・
ん?なんか森の中行けそう。

泉の森。

宿場を抜ければこんな感じだったのかもしれないなぁ・・・
出口だ。

ここからは住宅地を歩く。

おお!!!なんだあれ♡素敵な集合住宅だ。

県のマークが見える。県営住宅なのか?!
県がねぇ・・・誰が設計したのだろうか?こういう意匠好きだな♡♡♡

ま。帰ろう。
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