近代短歌データベースを検索するだけのブログ 

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検索ワード「飛行機」

2022-10-03 21:23:17 | 検索するだけの人

ヒットした短歌: 128件

斎藤茂吉(48)
若山牧水(26)
釈迢空(19)
太田水穂(9)
与謝野晶子(6)
北原白秋(6)
中村憲吉(5)
土屋文明(4)
前田夕暮(3)
島木赤彦(1)
窪田空穂(1)

飛行機の上より遠き眼下に黄河の堤破れつつあり : 斎藤茂吉 『寒雲』, 1938, 1940

炭坑のうへをしづかにめぐりたり張学良の飛行機一機 : 斎藤茂吉 『連山』, 1930, 1950

ソビエツトロシアの国の境にて飛行機ひとつ堕ちゐたるのみ : 斎藤茂吉 『曉紅』, 1936, 1940

山沢の荒き木叢に 飛行機のおちにしあとも、古墓となりぬ : 釈迢空 『遠やまひこ』, 1938, 1948

飛行機のはっと落っるとおもひしはブロペラの響極まりしなり : 北原白秋 『大正4年3月1日「地上巡礼」2巻2号』, 1915, [1915]

飛行機のひくく飛ぶこと稀ならぬここの海べに二夜ねにけり : 斎藤茂吉 『小園』, 1943, 1949

まふらあを空に靡けし 飛行機のをみなをぞ思ふ―。たたかひののち : 釈迢空 『倭をぐな』, 1946, 1955

屋上すれすれに飛ぶ夜なかの飛行機、いかついドラモンドの顔がちらりと見える : 前田夕暮 『山嶽』, 1930-1937, 1940

ぶうげんびるの海をおほへる飛行機はわがいくさびとの魂ぞ たたかふ : 釈迢空 『短歌拾遺』, 1943, [1943]


飛行機は死ととなりあわせ。墜落の短歌も少なくない。
若山、与謝野晶子はじめ多くは飛行機を遠景で捉えている。大同小異。北原はプロペラ、釈、前田、斎藤は機上の人をだして実感を持たせようとしている。

後年の、斎藤、土岐、前田らの空中競詠が革新的であったことも改めてよくわかる。


検索ワード「カレー」

2022-10-03 20:00:43 | 検索するだけの人
検索ワード:  カレー or カリー or CURRY or カレイ
ヒットした短歌: 2件


トド松の強い匂ひがカリーライスにまみれて、七月の空が皿のやうに光る
前田夕暮 『水源地帯』, 1930, 1932

蕚のいろ雨に浮きたり。呼びそめぬ、ラヂオのニユース、フラン落ち、巴里暴動す、ポアンカレーまた世に出でむ。子らよよし、冷麦食べむ、実山椒は奴につけむ、月待ちがてら。
北原白秋 『白南風』, 1926-1933, 1934


北原のポアンカレーは、フランス大統領だった人物。カレー違い。対独逸政策を失敗して、北原がこの作品を発表する以前に政界を引退している。

前田は唯一カレーを短歌にしている。亜寒帯気候に分布しているトド松との取り合わせが絶妙。

かつての帝国海軍は、脚気の原因は栄養不足にあると考え、麦飯と、野菜と肉が豊富なカレーライスを推奨したが、陸軍は細菌原因説を取っていたので相手にしなかった。その張本人が、あの、軍医総監森鴎外先生。

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検索ワード「森鷗外」

2022-10-03 12:18:37 | 検索するだけの人
検索ワード: 鴎外 軍医総監 
ヒットした短歌: 12件

軍医総監の軍服にて胡座をかきゐ給ひしおもかげわれのまなかひにあり : 斎藤茂吉 『曉紅』, 1935, 1940

辛うじて部屋あたためしけふの午後鴎外先生の臨終記よむ : 斎藤茂吉 『遠遊』, 1922, 1947

春いまだ寒き小倉をわれは行く鴎外先生おもひ出して : 斎藤茂吉 『つゆじも』, 1921, 1946  

あひともに裸になりて語りつつ森鷗外にはがき書きしか : 古泉千樫 『靑牛集』, 1926, 1933

軍服のまま寂しげに立ち沙羅の花見あげてましたり鷗外先生 : 北原白秋 『大正5年5月1日「アララギ」9巻5号』, 1916, [1916]  

新しくいでし鴎外全集をかい撫でて居り師のごと親のごと : 斎藤茂吉 『曉紅』, 1936, 1940

山鳩をわが身ぢかくに聞きて居り鴎外先生のよはひを過ぎて : 斎藤茂吉 『霜』, 1942, 1951

かたくなに 森鷗外を蔑みしつつありしあひだに、おとろへにけり : 釈迢空 『倭をぐな』, 1953, 1955

年の碁におしせまりて思ひまうけず森鴎外の書簡を買へり : 斎藤茂吉 『たかはら』, 1929, 1950

うつせみの吾も老ゆれば日をつぎて森鴎外先生をしきりに思ふ : 斎藤茂吉 『曉紅』, 1935, 1940

栗の花香にたちて咲くひるさがり森鷗外先生のおくつきどころ : 斎藤茂吉 『白桃』, 1933, 1942

伯林にやうやく著けば森鴎外先生の死を知りて寂しさ堪へがたし : 斎藤茂吉 『遠遊』, 1922, 1947


斎藤「年の碁」は「年の暮」の誤り。
斎藤の短歌は、森への敬慕に満ちている。ひとつの歌集ということなく、継続的に森を思う歌を作っている。
森が主催する観潮楼歌会に招かれたとき、斎藤はまだ医大生。ドイツ留学も長崎医専教授になるのもずっと後のこと。このころの若き日の思いが、斎藤のなかでつづいていたようだ。

古泉が、あひともに裸になったのは伊藤。この歌は、伊藤への追悼歌のひとつであって、森に捧げられたものではない。近代短歌検索は、小題も頁もでてこないので原典にあたるのが大変。

部外者で森の短歌を作っているのは釈のみ。こんなアホにつきあって年老いてしまったと言わんばかりの口ぶり(釈は観潮楼には招かれていない)。

観潮楼歌会のメンバーでは、アララギが、斎藤(9)、古泉(1)。新詩社は北原(1)。



斎藤茂吉と森鴎外 観潮楼歌会を開いた理由

好惡の論 折口信夫
文學上に問題になる生活の價値は、「將來欲」を表現する痛感性の強弱によつてきまるのだと思ひます。概念や主義にも望めず、哲學や標榜などからも出ては參りません。まして、唯紳士としての體面を崩さぬ樣、とり紊さぬ賢者として名聲に溺れて一生を終つた人などは、文學者としては、殊にいたましく感じられます。のみか、生活を態度とすべき文學や哲學を態度とした増上慢の樣な氣がして、いやになります。鴎外博士なども、こんな意味で、いやと言へさうな人です。






検索ワード「物価」

2022-10-03 08:07:03 | 検索するだけの人
ヒットした短歌: 2件

ひた押しに崩落する物価指数の下、一面麦の青んだ断層地帯がある : 前田夕暮 『水源地帯』, 1931, 1932

物価指数は、市民のカロリーを低めた。深夜の都会は大きな溜息をした : 前田夕暮 『靑樫は歌ふ』, 1933,


ここでも前田。ひた押しの歌は、昭和恐慌に突入するタイミング。物価指数の歌はちょっと違うんではないかと思う。賃金収入が下がったまま、物価が回復するので市民が大変になったということだと思う。

尚、欠食、身売ではヒットする短歌なし