ヒットした短歌: 9件
深淵に燦らきららと尻動く彼は鮑取る三郎が息子 : 北原白秋 『大正4年8月1日「新日本」5巻8号』, 1915, [1915]
母一人息子一人の家思へば幸多し死にてのちにも : 島木赤彦 『氷魚』, 1917, 1920
父親と一人の息子ひと日赤く胡椒刈り干し物言はずけり : 北原白秋 『大正元年9月1日「朱欒」2巻9号』, 1912, [1912]
十年前まだすなほなる風俗のわが里に來し獅子の息子よ : 与謝野晶子 『青海波』, 0000, 1912
白烏の裔とおもへる少女子と獅子の息子とねよげにぞ寝る : 与謝野晶子 『佐保姫』, 0000, 1909
わが指が彈きし木の實三つ上の寺の息子がこぢきし木の實 : 与謝野晶子 『朱葉集』, 0000, 1916
ああロダンいみじき石の御娘も石の息子もまた生む日無し : 与謝野晶子 『火の鳥』, 0000, 1919
歌麿の上の息子とわれを見てまた相したべ晶子おんもと : 北原白秋 『大正5年9月1日「三田文学」7巻9号』, 1916, [1916]
吾が借りて住みたる[※結果の一部のみ表示] : 土屋文明 『山谷集』, 1931, 1935
意外と少く9件ヒット。北原は親子の仕事の上でのつながりが強くでている。
島木は母子家庭についての短歌だが、当人の気持ちの深さをよく汲み取れている。さすが学校の先生。
与謝野さんは、文学かくあるべし、明星かくあるべしで、極めて平板。北原と同じところを狙おうとしているところもあるが、自身が持っている理想が邪魔をしている。
「一首独立」を理念としている人たちは、見ての通り与謝野さんのような人たちが当時活躍していて、手がつけられなくなって、こういうことを言い出したのだと思う。
本来、消極的な意見なのに、あたかも文芸上の信念のように語る人がいるのは、不思議なところ。