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検索ワード「 かぼちゃ 」

2022-10-26 06:22:32 | 検索するだけの人
検索ワード: 南瓜 唐茄子 南京 カボチャ カボチヤ かぼちや かぼちゃ
ヒットした短歌: 85件

 
部屋いでて朝な夕なに目守るものかぼちや畑のその黄のみのり
斎藤茂吉 『短歌拾遺』, 1945, [1945]


月夜あはれ畑の敷藁すがしみとかぼちゃの花はすかし見にけり
北原白秋 『昭和7年8月1日「香蘭」10巻8号』, 1932, [1932]


唐茄子は廣葉もむなし雜草の蚊帳釣草も末枯にして
長塚節 『[長塚節全集]』, 1905, [1905]


暗しくらしかの唐茄子の花底に蜜吸ふ虻もくさり居るらん
島木赤彦 『馬鈴薯の花』, 1912, 1913


神鳴のわつかに鳴れば唐茄子の臍とられじと葉隠れて居り
正岡子規 『竹乃里歌』, 1898, [1904]


めづらしき蝦夷の唐茄子蔓ながらとらずとぞおきし母の我がため
長塚節 『[長塚節全集]』, 1905, [1905]  


机は荒木の机つむ本は赤しかぼちやの花來んとする
島木赤彦 『短歌拾遺』, 1912, [1912]


南京の羹を我に食はしめし夏汀が嬬は美しきかな
斎藤茂吉 『短歌拾遺』, 1920, [1920]


砂畑に青き南瓜まろびゐてコンクリート電柱白白たてり
前田夕暮 『南風』, 1928, [1928]


荒繩に南瓜吊れる梁をけぶりはこもるあめふらむとや
長塚節 『[長塚節全集]』, 1908, [1908]


瓜作り南瓜作ると忝な今日も馬糞を拾はせもらふ
前田夕暮 『耕土』, 0000, 1946


鄕愁も老ゆるに淡し幼日の小豆まぜたる冬至の南瓜
窪田空穂 『丘陵地』, 1956, 1957


南瓜のあたらしき花を白粥に炊き込みて食す七月の朝を
前田夕暮 『耕土』, 0000, 1946


南瓜の花はことばがつまりつつ黄いろ日照りに苦しめるかも
島木赤彦 『短歌拾遺』, 1912, [1912]


草村にさける南瓜の花共に疲れてたゆきこほろぎの聲
長塚節 『[長塚節全集]』, 1914, [1914]


奥秩父山沢人の夏作は南瓜と甘藷ともろこしのたぐひ
前田夕暮 『耕土』, 0000, 1946


横笛は子らが手づくり南瓜の花かかるあたり月夜吹きつつ
北原白秋 『夢殿』, 1927-1939, 1939


単純にして幼き粗放栽培の南瓜作りは吾にふさはし
前田夕暮 『耕土』, 0000, 1946


南瓜の茂りがなかに抜きいでし莠そよぎて秋立ちぬらし
長塚節 『[長塚節全集]』, 1906, [1906]


南瓜の花見てあれば啞娘いくたうも來て窓に竝びぬ
島木赤彦 『馬鈴薯の花』, 1912, 1913


敷藁や月夜清きに南瓜の黄なる花さへ照り白く見ゆ
北原白秋 『白南風』, 1926-1933, 1934


娘が、工女となりて行きしかば南瓜の花に家を任せぬ
島木赤彦 『馬鈴薯の花』, 1912, 1913


むらむらと南瓜はな咲く畑來つつ靑きかまきり踏みにじりたり
古泉千樫 『屋上の土』, 1915, 1928


そこここにギッチョむきむき鳴きかはしまひるあかるき南瓜畑
若山牧水 『白梅集』, 1916-1917, 1917


暑き日の降り掛け雨は南瓜の花にたまりてこぼれざる程
長塚節 『[長塚節全集]』, 1906, [1906]  


唯ひとり南瓜畑の花みつつこころなく我は鼻ほりて居つ
長塚節 『[長塚節全集]』, 1914, [1914]


朱のいろの大き南瓜が十あまり秋のひかりに並べられけり
斎藤茂吉 『短歌拾遺』, 1945, [1945]


うらなりの南瓜の尻ぞ曲けるものの終りはあはれなりけり
島木赤彦 『太虗集』, 1923, 1924


この年はいかなる年ぞ瓜トマト南瓜にさへや蛆わきにけり
前田夕暮 『耕土』, 0000, 1946


あかあかと南瓜ころがりゐたりけりむかうの道を農夫はかへる
斎藤茂吉 『あらたま』, 1914, 1921


灰色雲凝りて動かぬ日のつづき冬至の南瓜さみしく食ひけり
窪田空穂 『靑朽葉』, 1926, 1929


瓜南瓜もろこしの種子播きしかば野鼠いでて食ひあらしけり
前田夕暮 『耕土』, 0000, 1946


南瓜を猫の食ふこそあはれなれ大きたたかひここに及びつ
斎藤茂吉 『小園』, 1944, 1949


うつくしき啞娘らがあはれげに南瓜の花にかへりゆくかな
島木赤彦 『馬鈴薯の花』, 1912, 1913


路の上に這ひいでて咲く南瓜の蕋太き花をわがまたぎたり
前田夕暮 『虹』, 1923, 1928


ゆふづくと南瓜ばたけに漂へるあかき遊光に礙あらずも
斎藤茂吉 『あらたま』, 1914, 1921


南瓜の花の散るとき昨日の花の腐りて落つる姿さへ見ゆ
島木赤彦 『短歌拾遺』, 1912, [1912]


雪隱を出で來りたる子どもの眼朗らかに南瓜の黄の花の盛り
島木赤彦 『氷魚』, 1915, 1920


かひこが、皆死にしかば南瓜きる早きおそきをいさかひにけり
島木赤彦 『馬鈴薯の花』, 1912, 1913


弓張りの月の出おそくなりにけり南瓜畑のくつわ虫のこゑ
北原白秋 『風隠集』, 1924, 1944


風ふけば廣葉のかひにあらはれて朝眼に淸し南瓜の花は
太田水穂 『雲鳥』, 1918, 1922


明かあかと雪隱の屋根に南瓜咲き中に子どもの唄のこゑおこる
島木赤彦 『氷魚』, 1915, 1920


いとはしき我がかしらよりをとぬけて蚊は南瓜の花を食ふかな
島木赤彦 『短歌拾遺』, 1912, [1912]


葉がくりになる南瓜のおぼろには目にみえぬごとおくが知らずも
長塚節 『[長塚節全集]』, 1904, [1904]


田のなかに小屋ひとつありて山ちかし朝なさな見れば南瓜咲きつも
中村憲吉 『中村憲吉集(改造社版現代短歌全集)』, 1915, 1930


向ひ家の南瓜の花は屋根をこえて延び來るかな黃の花を向けて
島木赤彦 『馬鈴薯の花』, 1912, 1913


田のなかに小一屋ひとつありて山ちかし朝なさな屋根に南瓜咲きつも
中村憲吉 『林泉集』, 1915, 1916


十歩の小畑せまけれど 培へば生ひ立つはたの物 莢もみのりて豌豆の 丸葉ははやく枯れたれど 勢よしゃゆふがほの 夜つゆに浴みし花の笑 かたへにふとき唐茄子の 廣葉がくれに咲く花の 黄なるは胡瓜其の陰に ありとしもなきなすび哉 葉守の神のみ手の中に ひめし小琴を夕ぐれの 風の一吹なでゆけば なるか細緒のさやさやと さこそはつらき身ならまし 思ひをかたれつる草の われもすぐせは悲しきに 薔薇の花と咲かざれば やさしき姫の手に摘まれ よるの腕に抱かれて 口に親しむ術もなく 山路の蘭のしだりばの 清き姿もなければか汝はとこしへの脊戸の畑 土に生れてっちに枯る 同じく人と生れても 幸は變れるこれとかれ 夕暮杖を外にひきて われも思ひを草にやるかな : 太田水穂 『つゆ草』, 1897-1901, 1902



カボチャの短歌は名作揃い。表現が自由自在。とても面白い。作者それぞれの個性、生活感もでている。

島木赤彦は「短歌拾遺」が楽しい。歌集に入っていない短歌のほうがむしろよい。「馬鈴薯の花」もとてもいい。島木赤彦らしくない。島木赤彦じゃない。
「南瓜の花はことばがつまりつつ黄いろ日照りに苦しめるかも 」「いとはしき我がかしらよりをとぬけて蚊は南瓜の花を食ふかな」「娘が、工女となりて行きしかば南瓜の花に家を任せぬ」

前田夕暮「南瓜のあたらしき花を白粥に炊き込みて食す七月の朝を 」なんとステキな朝ごはん!

斎藤茂吉「南瓜を猫の食ふこそあはれなれ大きたたかひここに及びつ」猫も大変