最初に訂正です。拙は今回の九州は2回目でした。20歳台に一度長崎を旅したことがあります。
そのときは夜行列車でしたが、今回は飛行機です。しかし、出発日に「バルボンディアDHC-800」の胴体着陸事故があり、九州到着時刻と事故の時刻が偶然に一致したせいで、その内容がはっきりするまで心配をかけたようです。この場を借りてお詫びです。
さて、ようやく帰ってきましたが、とても疲れています。身体は「ボロボロ」気分は「最高」。身体と精神のギャップを感じています。
○本では、すでに一部の桜が満開状態でした。まだ3月半ばだというのに桜が満開。嬉しいような、困惑するような・・。これもCO2による地球温暖化の影響かもしれませんが。
地球温暖化といえば、京都議定書でCO2抑制を決定しましたが、すでに排出してしまったCO2+今後発生するCO2=<450ppmするという約束です。従って、今後もCO2濃度は上昇していくこととなり、CO2が地球温暖化の原因であるなら、今後とも温暖化は進んでいきます。要は、CO2発生量を少なくすることで、温暖化による影響を出来るだけ先延ばしさせると言う意味があります。間違ってもCO2発生量の削減が温暖化防止にならないことを肝に銘じるべきです。
今週は「ほくほく線」はくたか号に乗りました。たぶん、在来線を走る特急で2番目に速い電車。一番目は青函トンネルを走る特急で時速160km/h。はくたかは150km/h。ほんとにトンネルでは150km/hがでてました。とにかく速い速い。揺れも少なく快適です。難点はトンネルが多く景色を眺めることが出来ないことです。また、ほくほく線の特徴として、トンネル内に駅があることかな。トンネルを通過中、トンネル内が突然明るくなります。「トンネルを出たかな?」と思いましたが、列車は依然トンネルの中です。「そうだ、思いだした。駅だ!」(小生は、以前「電車でGO! ほくほく線はくたか号」の運転手をしておりました)。
仕事で新潟まで行くことになり、上越新幹線長岡駅経由○崎の切符を買い求めました。でも、胸のポケットには駅ナビで検索した越後湯沢下車ほくほく線乗り換え、直江津経由○崎の工程表があったのです。長岡経由の方が値段は安くそして一般的なルートです。まず、後者のルートを選択する人はそう多くないはずです。しかし、かつてはほくほく線の運転手をしていた小生です。実際のほくほく線に乗ってみたくなり、その思いはどんどん高まります。上越新幹線車内で車掌さんにルート変更を無理かとは思いましたが頼み込みました。車掌さんも、車内でこんなルート変更のお願いは初めてだったのでしょう。
切符と目の前にしばし沈黙。そして切符を預かり姿を消すこと15分。15分後ようやく念願かない六日町経由の切符に変更されました。このため、当初長岡まで行く予定だった旅程は、越後湯沢下車、六日町・直江津経由○崎となりました。追加の料金は越後湯沢・直江津勘の自由席特急券760円也。
直江津で快速くびき野号に乗り換え、信越線を下り、海岸線と平行して列車は走ります。日本海に沈もうとする夕日が海を
照らします。
海に沈む夕日を実ながら、「初日の出はどこで眺めるのだろう?」 ふっとそんな疑問が頭を過ぎりました。
昨年末に引き続き再度年始の福島を訪問した。
今回の宿泊地は大○町の駅前のホテル。聞けば5年前にオープンしたとのこと。町の第三セクターによる経営らしい。ホテルは週末のため宿泊客もちらほら、割合閑散としている。
今回は仕事で福島訪問であるが、もう一つの目的は旧来の友人に会うこと。この地を離れて早くも丸8年になろうとしている。ここは小生が20-30代を過ごした大事な大事な土地である。友人T君はホテルまで迎えにきてくれた。T君の車で浪江に向かう。行き先は真煮え最大の繁華街?朝田衣装ビルの飲み屋さんである。このビルには飲み屋さんが10件ほど軒を連ねている。その1軒に入り、旧交を温めた。T君は小生の玄米供給人なのである。
昨年も玄米を分けていただいた。ここ数年T君の作った米をいただいている訳である。
T君は小生よりも趣味の幅が大幅に広い。蕎麦打ち、獅子舞そして自然所の栽培等多趣味である。正直、定年になったとき小生には仕事の他に何が残るかと、不安になるぐらいの多趣味である。
小生、読書の他に実用的な趣味を持とうと密かに決意したのであった。
○江の夜の帳は瞬く間に深くなり、時間はすでに午前2時を過ぎている。このまま過ごせば明日(当日)の予定をこなすことはおぼつかなくなる。タクシーをお願いし、宿までまっしぐらに帰ることとする。T君を1人残して申し訳ないような気がするが、明日は仕事も
あるため・・・、申し訳ない。タクシーの中では熟睡でした。
翌7日、6:30起床。ゆっくりと湯船につかり昨夜の疲れを癒す。今日は土曜日、私的な用事2軒をこなし、車で帰る。常磐高速を平均120kmで南下する。事務所に戻って昨日のレポートを作成しメールで関係者に送って今日の仕事は終わりである。結局、午後2時までかかってしまった。ポケットの中には福島で預かった娘のお年玉が入っている。
さあ、仕事を終え家に帰ろう。家には嫁が待っている。
小生と家人は、大晦日と新年を沖縄・本部町にあるリゾートホテルで迎えました。ホテルは築15年ほど経過した?結構古い感じでした。子供のいない二人だけの空間と時間、そしてリゾートホテルとくれば一年の疲れをいたわる儀式が必要というのは誰でも思いつきますよね。でも、紅白とレコ大を交互に見ながら何事もなく夜の帳は更けていったのでした。就寝21:00。
沖縄の朝は、茨城と比較しおよそ30分程度遅いかな!?という感じ。5:00起床。隣のベットでは家人がかわいい寝息を立てています。カーテンを開けても夜の帳はなかなか明けません。暇つぶしにテレビを点けると時間稼ぎのような番組ばかり流しています。沖縄の民放は3局、NHKそして米軍放送。米軍放送は沖縄全県で6chで見ることが出来ました。正直驚きました。「ここはどこの国・・・」その内容も業務紹介から、対円レートの紹介、そしてお上りさんのための公共交通機関の使い方まで多種・多用なものが24時間放送されています。
6:30からホテルのご厚意によりフロント前ロビーで「新年餅つき大会」が執り行われました。宿泊客が持ちをつき、その持ちのご相伴に預かるというもので二升の餅がつかれました。出来たての餅をあんこ・きなこで頂くわけですが、大根下ろしがありません。餅には大根下ろしが合うよと言えば、ホテルのご厚意で大根下ろしが用意されます。ウマァ~。
残念ながら元旦の朝は雨模様でした。このため、初日の出を拝むことは出来ませんでしたが、家人の顔を拝んで昨年一年間の苦労と新しい年への抱負など述べさせて頂き、無事に新年の挨拶を終えました。
ホテルで朝食を頂きましたが、毎日のおさんどんを行っている家人には頭が下がる思いでした。
○◎子さん、いつもありがとう。
新年あけましておめでとうございます。
本年も、宜しくご愛顧のほどお願い申しあげます。
さて、年末から新年にかけて茨城を留守にしておりました。家人と共に沖縄周遊3日間の旅にでておりました。旅については折々紹介したいと考えていますが、実はこの旅で恥の上塗り?のようなことをしでかしました。なんと沖縄県立中部病院の診察券をいただいてきてしまったのです。恩納村のムーンビーチから車で20分ほどの距離にある、沖縄県中部地区の中核となっている救急センターに行って来ました。
12/30(金)恩納村・ムーンビーチにあるリゾートホテルに夕方到着しました。観光地(といってもお土産やさん)
巡りを十二分にいった後の身体は慣れない土地巡りということもあり、精神的・肉体的疲労が蓄積していたものと
思われます。前日、那覇の国際通りで買った寝酒用の泡盛をいただいて身体をほぐしていました。夜の帳が落ちていくのと同時におなかも空き始め、何か夕食をと思い、ホテル周辺の散策を兼ねて外へでた。夕食は、「ダパンプ」のようなお兄ちゃん達が采配しているちょっと気取った無国籍風沖縄料理の「うら庭」でお酒と食事をしたのでした。家人は、「この店の料理おいしいわねぇ」と満足下の様子。思わず「オリオンビール」がはかいきます(料理の写真は後ほど紹介)。ちょっといい気持ちになったところでお茶を買おうということになり、道路を横断し、まもなく渡りきろうとしたとき不幸は起こったのです。横断歩道の縁石に左足をかけた際、バランスを崩しその場に転倒してしまったのです。そのとき左足首をひどく捻った?のです。家人曰く「いつも縁石を跨ぐ人がこの日に限って足をかけるから、注意しなさい、と声を掛けたでしょう!全く4lkjhgfっdfghj・・・」と、あきれていました。しかし、すでに遅し。左足首はひどく腫れ、激痛が襲っていたことを家人は知りません。
いい気持ちは一瞬で吹き飛んだのはいうまでもありません。応急措置をして寝たのですが、翌31日5:00に起床した時は更に腫れ、痛みも増していたのでした。
少し酔いました。この続きはまた後日。