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きなやんの独り言

原発事故で価値観が一変した中年の独り言。

本が読めない

2005-06-02 21:02:06 | 本と雑誌
衣替えの季節を迎えました。月初めは、月刊誌が一度に発売されるため、それを読んでいると図書館から借りた本がなかなか読めません。月頭発売の月刊誌を2誌平行読破中。それに本日木曜日のため、週間新潮を併せて読んでいると、いくら時間があっても足りない状況です。

ハードカバー本については、5~8冊/2週間で市立図書館から借りています。平均6冊/2週間というところか。50週/年ですから、年間の読書数は以下で求めることが出来ます。
  ・平均6冊/2週間=3冊/週
  ・3冊/週×50週/年=150冊/年
となります。小生も若干ながら住民税を納めていますが、図書館を利用することで元を取り返そうと頑張っているのかもしれません。また、車で10分程度のところに県立図書館もありますが駐車場の問題頭もあり、余り利用していません。やはり、小さくとも近場の図書館になってしまいます。


現在、読み途中の本は「鉄道事故 なぜ起こる」(山之内秀一郎著)ですが、これもJR西日本福知山線で起こった脱線事故を契機に読み始めたものです。要約すると、鉄道の歴史は事故殿戦いであり、事故をいかに防止するかと言うことに力点が置かれていたそうです。しかし、読み途中のため詳細は後日いたします。

明日、明後日は不在となるため、お休みとします。




我、拗ね者として生涯を閉ず 本田靖春著

2005-05-26 18:47:04 | 本と雑誌
読売新聞 社会部記者からノンフィクション作家に転じた本田氏の自伝。氏は、すでに糖尿病でお亡くなりになったが、糖尿病からくる壊死で両足切断しても「ペンを執る右手と頭があればいい。」と、最後までペンを離さなかった「ペンの豪傑」の話である。
物語は、生を受けてから、絶筆までの12部+編集者が追記した「編集付記」の構成。


今日は時間が無いので、後日際記載。


ネアンデルタール人の正体 赤澤 威著

2005-05-25 21:20:53 | 本と雑誌
昨日とは全く趣の違う本。軽く読めて、知らないことがたくさん書いてある良本。
例えば、人類の先祖が現れて600万年が経過したが、そのほとんどは他の動物に狩りをされる立場であった、とか。
小生、二本足歩行をするようになったため、両手が自由に使えるようになり、ハントする立場にあるものと勝手に考えていた。しかし、二本足歩行を得る代わりに走行力、瞬発力などが失われ、結果的に肉食獣に怯えていたそうな。食料の確保についても、ハイエナ的方法をしていたとのこと。ちょっと、ショック。
人類の先祖が狩りをするのは数万年前からとのこと。ネアンデルタール人は狩りの名人でした。
仲間と石槍で肉食獣に立ち向かい、時には怪我をしたり命を失うこともあったろう。そして獲物を獲得し、これも多大な犠牲を払ったであろう「火」を使って調理(ただ焼くだけだが)して、己の胃袋を満たす。皮は己の歯を使ってなめし、寒さを防ぐための衣類となった。ネアンデルタール人は我々の直接の先祖ではないが、我々の持つDNAの一部は紛れもなく彼らから受け継いでいるものである。
何から何まで自給自足の生活をしていた彼らに、ほんのりとした親近感を覚える。

さて、散歩の際に撮った写真でもお披露目。川面に移るマリーゴールド?をどうぞ。DSCF0011






友情 その3

2005-05-24 19:32:13 | 本と雑誌
昨日の続き。
昨日、この本の講評をこれ以上書けないと投げ出したにも係わらず、再度の記述。
今回は講評を記載するのではなく、昔話をしてみたい。
小生、一番多くの文章を書いていたのはかれこれ10年前になる。小説等のたぐいではなく、技術文書である。物事の結果を誰にでも分かるように書くことに全精力を注いだ。そして簡潔に。文章のみならず、グラフを用いるなどして、結局落ち着いたのは箇条書きスタイルであった。
今、なぜこのようなことを書くのかと言えば、文章力は進歩するものであることを再発見したからである。進歩と言うには、継続されていなければならない。残念ながら小生は、その後技術文書を書く機会に恵まれず、「継続」とはならなかったため、文章力の進歩には与らなかった。

この本を読み進んでいくと、著者である西部氏の文章力の進歩が如実に分かるところが2箇所でてくる。
一つは、昭和52年に表した「ジャンキーたち」。もう一つは、昭和57年に記した「不良少年U君」である。この本自体の記述は平成16年であるから、1冊の中に書かれた時代が違う文章を読むことが出来る。たぶん、西部氏は原稿用紙の消費量とともにその筆力を高めていったものと思われる。
このことから、小生の文章は拙くとも、このプログを続けていくうちに多少なりとも進歩するのではないかと甘い期待を持つと同時に、(いるかいないか分からないが)読者の皆様の叱咤をお待ちするものである。

非常に分かりにくい文章になった。反省!



友情 その2

2005-05-23 20:51:52 | 本と雑誌
今朝出勤の際、この本をバッグに入れた。昼休み、息も吐かずに読書。魂を揺すぶられるとい言うのは、このようなことを指すのだろうか。著者と中学2年以来の友人の話である。
場所は北海道・札幌。東大教授の著者と地元薄野(ススキノ)の八九三である海野治夫との生き様を第三者の目(一歩引いて)で淡々と記載されている。
正直、一言では書ききれない。老年の友情とはこのようなことを言うのだろうか。あまりにも悲しく・切なく、友人に対する温かいまなざし、そしてそれらを冷静に第三者の視点で書き連ねる著者の力量、「凄い」の一言である。
この本の副題は「ある半チョッパリとの45年」とある。チョッパリ(豚のひずめ=下駄を履く人=日本人)とは、朝鮮人の日本人に対する蔑称であるが、友人の海野治夫はそれを「朝鮮人に対する蔑称」と間違って理解していた。そのことに著者は、「半日本人奴」と言われているのに「半朝鮮人奴」と錯覚した友人に対して「深い存在の哀しみ」と表してる。
その時代、そして彼らの置かれた状況を抜きで「半チョッパリ」などの差別用語を用いることは出来ない。
小生には、この本の講評をこれ以上書けない。書いたら、涙が出てくる。その涙を家人には見られたくない。
小生の日記を読んで興味を持った方は、以下のURLを参照願いたい。

ttp://www.shinchosha.co.jp/books/html/4-10-367504-7.html
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4103675047/249-9852463-4501950