原子力エネルギー問題に関する情報

杜撰で不経済極まりない原子力政策が、生存権を脅かし環境を汚染し続けていても、原発推進派の議員を選挙で選びますか?

二重生活を送る福島市医療従事者の声を広めよう!(2013.1/1~3/11)

2013年07月07日 | 3.11福島のTaiseiさんTweet
今年ももう半分以上が過ぎました。
遅れ馳せながらTaiseiさんの3.11までのTweetを、
いつもどおり下から上にご覧ください。
そして、どうか思いを共有してください。
(紫色はRT、なお個人的なやりとりは割愛した部分がありますが、御了承ください)。
ご本人は、前のアカウントからお引越しをして、心機一転されたようです。


3月11日「おとーちゃん、おふろはいろ」。三回忌の供養を終え、チビ達と温泉へ行っ た。あの日以来暫く、チビは号泣しながら風呂に入り続けた。「パパママかえして」と訴えた。涙を流さなくなったのは、ここ最近のことだ。だが、昨日は「なんだか、なみだでる」と静かに泣いた。震災は今も続いている。 #震災

3月11日 多くの愛する人を亡くしました。亡くなっていった人、哀しみを胸に遺された 人を見過ぎました。あの日以来、泣き方を忘れました。だけど、沢山の人々に助けられ生きています。亡き人々、生きている人。あなたがいてくれて、本当にありがとう。安らぎが訪れますように。三回忌に哀悼の意と感謝を込めて。

3月11日 東日本大震災から _日 経過 ‏@2011_0311_1446
2013.03.11 14:46 東日本大震災から 731日(2年) が経過しました。


3月11日 地震と津波だけならまだ良かったのに」。そう言われることがある。その度 に私は抵抗を感じる。その地震と津波で数多の命が奪われたのだ。あの日以来、心の傷を抱えるチビは水を怖がり、風の音に地震を思い出し泣く。大きな音や暗 闇を嫌がる。天災と人災が複雑に入り組み、未だ先は見えない。 #震災

3月11日 チビを抱き締め続けていた時、或る言葉が耳に入ってきた。「原発が危ないら しい」。私はその場を離れることにした。だが、義姉の遺体は運べない。兄は海にいる。「パパママ、バイバイ」。そう呟くチビを抱き、私は歯を食いしばった。口の中は濃い血の味がした。悔しく、惨めで、情けなかった。 #震災

3月11日 私は兄に短いメールを送り続けた。「無事か?」から始まり、文面は変わっていった。 「頼む、連絡くれ」「生きててくれ」「死なないでくれ」「頼むから」。夜、私は海へ向かった。行く先々で簡単な治療やご遺体を運んだ。やっとチビを見つ けた時、彼女達の体は魂が抜けたように固まっていた。 #震災

3月11日 上へ向かって走れ。パパとママのお願いだ、生きろ」。チビは言われるままに走っ た。「だって、パパとママないてたから」。チビは兄達の最期の願い通り、無事生き残った。同じ頃、私は病院で患者を守っていた。悲鳴と叫び声の中、時折耳 に入ってくる言葉があった。「壊滅」という言葉だった。 #震災

3月11日 「うみへいきたい」。懇願するチビ達と海沿いを走った。彼女達は2年ぶりにこの海へ 来た。「まだうみこわい」。そう言うチビは兄達のことを喋り始めた。「ニコッとしてみようか。必ず守るから大丈夫」。兄の言葉を語る。「だけど、パパとマ マさいごないてたの」。数珠を握るチビの手が震えた。 #震災

3月10日 兄と義姉に最後に逢ったのは3月10日だった。家族で遊びに来た夜、皆で食事をし た。そして「明日もあるから」と帰った。その明日は生と死が激しく交錯する、惨い日となった。「もし、あの夜帰らせなければ」と、今でも思う。相変わら ず、今夜も思うように泣けない。哀し過ぎて涙が出ない。 #福島

3月10日 「自分には何が出来るでしょうか?」。これまで幾度となく聞かれてきた。だが、問い が大き過ぎ、私には分からない。人は皆それぞれ違うからだ。しかし、1つだけ思う。「話をしてみて欲しい」。話をしてみないことには始まらない。出会いに よって人は作られ、次へと繋がる何かが生まれてくる。 #福島

3月7日 時事コム東日本大震災 ‏@i_jijicom_eqa
被災地雇用に応募ゼロ=長期研修がネック-東電復興本社 http://bit.ly/YOTlnR #jishin #jisin


3月7日 山谷のドヤ街を歩く。この街は昼間の顔と夕方の顔、深夜の顔で、まるで違う表情を見せる。「あしたのジョー」で描かれている「明と暗」の世界は今も変わらず此処にある。 http://photozou.jp/photo/show/2068855/171088194 …

3月6日 第22回にも出演してます。過去放送分は全てこちらから聞けます。→ http://bit.ly/OY0wpz
RT @yu_miri_0622: 鎌倉の我が家に @taisei36 さん宿泊。夕方、南相馬ひばりFM 「ふたりとひとり」の収録をしました。

3月5日 時事コム東日本大震 原発「国がやらせた」=麻生財務相が異例発言-諮問会議 http://bit.ly/108s8Dy #jishin #jisin
3月5日 時事コム東日本大震災 ‏ 東電に改善要請=賠償対応「差別的」-文科省 http://bit.ly/108kM32 #jishin #jisin

3月2日 河北新報ニュース @kahoku_shimpo 被災3県の子ども支援 政府、検討機関設置方針 http://bit.ly/15pV7lA

3月1日 河北新報ニュース @kahoku_shimpo  福島第1原発 汚染水「背水」の処理 タンク増設もう限界 http://bit.ly/ZRsONx

3月1日 あの日以来、チビはあまり写真に写りたがらない。兄と義姉が津波で死んだ後、彼女は「アルバムどこ?パパとママいたのに」と泣いた。全て流された。あれからたかだか2年。傷はまだまだ、様々な形で残る。いつの日か、ごく自然に一緒に写真を撮りたい。三回忌を控え、そんな想いが心を巡る。 #福島

2月21日 茨木のり子 bot 茨木のり子 bot @ibaragi_noriko 舌ばかりほの赤くくるくると空転し どう言いくるめようか どう圧倒してやろうか だが どうして言葉たり得よう 他のものを じっと 受けとめる力がなければ (聴く力)

2月27日 「福島(県民)は~だ」という類の言葉を未だ目にする。そして、私は違和感を覚えずにはいられない時がある。「何故そう言い切れるのか」と。本当にそう纏めて言えるだけ見て、知っているのだろうか。“安易に括る”ほど問題は遠ざかっていく。強引で粗雑な話へと向かう。とても乱暴に思えて仕方ない。

2月27日 会津若松市の仮設住宅で大熊町の男性が孤独死した。死後数日経過していた。現在、みなし仮設も含め、約11万9000戸に約30万人が暮らす。だが、完成した災害公営住宅は相馬市と大船渡市の56戸しかない。個人に忍耐を強い、人が置き去りにされたまま時だけが経つ。怖いのはこれからだ。 #東北

2月25日 「おとーちゃん、じしんこわくていやだ」。地震情報でチビの記憶が蘇る。電話口の声はか細かった。震災後暫く、揺れが襲う度に彼女は怯え、時に吐いていた。未だ続く揺れと底冷えする天気が、あの日と重なる。津波の夢を見そうで寝るのが怖いと泣く。三回忌を控え、無慈悲だと思えてならない。 #福島

2月25日 時事コム東日本大震災 @i_jijicom_eqa 栃木北部で震度5強=大震災で誘発か、余震活発 http://bit.ly/XVIWH3 #jishin #jisin


2月25日 頻発する地震で緊張して苦しい方へ。過度の緊張をしないよう、「ふぅ~っ」と音を出しながらゆっくり深呼吸を繰り返して。目をつぶりながら、ゆっくりと。余震に注意し、防寒具(着)の用意や火の元、暗い中での怪我に用心を。これまでの地震情報→ http://tenki.jp/earthquake/entries … #地震

2月22日 福島原発の現況・最新ニュース 福島原発の現況・最新ニュース @fukushima_now 増える子供の肥満 安心な遊び場 確保急ぐ 屋内施設、体験学習に力 - 日本経済新聞 (2月23日06時) http://goo.gl/nhUYg #genpatsu #genpatu #save_fukushima

2月22日 福島原発の現況・最新ニュース @fukushima_now 双葉病院の患者遺族、東電を提訴へ 原発事故で過酷避難 - 朝日新聞 (2月22日12時) http://goo.gl/7fnPE #genpatsu #genpatu #save_fukushima

2月19日 涙声のチビから電話がくる夜がたまにある。死んだ父親達の夢や震災の夢、言葉にならぬ夢等に怯えて泣く。特に最初の1年は大変だった。あの日以来、復興の言葉が独り歩きし、氾濫している。だが、社会は心の傷を放置し続けている。様々な面で人が置き去りにされている。復興とは何なのだろう。 #福島

2月19日ソウル・フラワー・ユニオン @soulflowerunion 福島第1原発事故・警戒区域で220頭の犬猫を一斉保護、現在も248頭が里親待つ(IB TIMES 2/19)http://bit.ly/13azqD2 「救護本部三春シェルターで保護しているペットは、犬64頭、猫263頭。そのうち、犬28頭、猫220頭が新しい飼い主を探している」

2月18日 NHK広報局(ユル~く会話しますよ) @NHK_PR 東北についてのヘイトスピーチをまき散らしている人たちには、もし出来ることならば、いちど東北へ行って自分の目で見て欲しい、匂いや音を感じて欲しい、そこで暮らす人たちと話して欲しい、と言いたい。(これなら伝わる?)

2月18日小迎パパ@18歳 @nakamukae  NHK_PRさんは阪神・淡路大震災経験者だった http://togetter.com/li/114875  あの日のNHK_PR。中の人がどれだけの覚悟を持って被災地と向き合ってるか、初動のツイートでその一端でもわかれば。これを読まずに中の人を叩いてもしょうがないよ。

2月17日 先日、浜岡原発周辺に住む住民の避難訓練を見た。避難対象住民は86万人にも及ぶ。だが、参加したのは約400人。目にしたのは、長閑な雰囲気すら漂う不思議な光景だった。ここ福島での出来事は遠い地のことなのだろうか。浜岡に限らない。いざ事が起これば、そこは予測不能な修羅場と化す。 #福島

2月16日 「この仕事は好きだけど、体が保たない」。中堅の看護師が言う。人手が不足する中、社会は従事者の使命感や事情等に頼り過ぎている。「がんばろう」ばかりで、様々な問題の放置が続く。この地は何処へ向かっているのか?先が見えない。疲弊しては、この暗闇は進めない。機械じゃないのだから。 #福島

2月15日 福島原発の現況・最新ニュース @fukushima_now (下)子供たち、一見元気だが… 保護者や教師ごとケアを - MSN産経ニュース (2月15日22時) http://goo.gl/BcDH2 #genpatsu #genpatu #save_fukushima

2月14日 2年前の今日、亡き義姉は兄に服を贈った。その鮮やかな赤い服が、後に兄を助けることになる。2人は津波で命を落としたが、兄の遺体は暫く見つからなかった。だが、赤色が遺体捜索の目に留まり、埋もれていた兄は帰ってきた。今年のバレンタインデーに、天国の義姉は兄へ何を贈るのだろうか。 #福島

2月13日 福島原発の現況・最新ニュース @fukushima_now 新たに2人が甲状腺がん 福島の18歳以下、計3人 放射線による影響否定 - MSN産経ニュース (2月13日12時) http://goo.gl/vpmgo #genpatsu #genpatu #save_fukushima

2月12日 【拡散願い】私もゲストで話をします。残席僅かなようです。 RT @nakashitadaiki: 原発近くで暮らす人の切実な声に耳を傾けてみませんか?3月3日15時~18時@見樹院(文京区小石川3-4-14)「福島から問う、いのちと未来」http://amba.to/XHNPVy  

2月10日時事コム東日本大震災 @i_jijicom_eqa 「何が起きたか、伝える」=更地に残す被災店舗-岩手・陸前高田の店主 http://bit.ly/URLwDa #jishin #jisin

2月11日 この23ヶ月、言葉に出来ぬ傷を抱えて、静かに耐え生きる人がいる。「時が癒やす」と言うが、時ですら癒しきれぬ傷もある。だが、震災の傷は忘れ去られがちだ。ふと思う。過ぎ去りしは時間ではなく、人の心だと。だが、厳しいのはまだこれからなのだ。月命日に多くの命を想い、この先を祈る。 #震災

2月11日 東日本大震災から _日 経過 @2011_0311_1446 2013.02.11 14:46 東日本大震災から 703日 が経過しました。

2月10日 もし、あなたの住む地域を大災害が襲い、大切な人やもの、時を奪い去ったとしたら。様々な問題が未だ山積し、しかし風化が容赦なく襲う。そんな状況の中、あなたはどうしているだろうか?誰もが当事者になり得る。東北を、人を忘れないで欲しい。忘却は未来の放棄に繋がる。今日で23ヶ月だ。 #震災

2月10日 「よく分からなくて気持ち悪い」。少し前、チビは或る子からそんな言葉を受けた。亡き兄達を「パパ・ママ」、私達を「おとーちゃん」等と呼ぶことが原因だ。チビはその子を家に招き、仏壇の前で震災を語った。彼女は今日、その子の家に泊まる。電話口の楽しげな声に、私の不安は少し和らいだ。 #福島

2月9日 @ecoyoko  「二重生活を送る福島市医療従事者の声を広めよう!(2012.5/20~6/22)」http://blog.goo.ne.jp/kimidoriaoi/e/a7b2ee804cafbe77b68d86e1a363c25f … @taisei36 さんのTweetのまとめを再開しました。

2月8日 RumikoTezuka @musicrobita  おはようございます。本日2月9日は手塚治虫の命日です。毎年のことですが手塚漫画の1つでも読んでいただければ父の供養となります。そこに手塚は生きております。

2月8日 東日本大震災から _日 経過 @2011_0311_1446 2013.02.08 14:46 東日本大震災から 700日 が経過しました。

2月6日 「また11にちのちかくでじしんがいじめる」。電話口で呟くチビは、昨日の津波注意報で泣き出したらしい。月命日が近い兄夫婦のことを思ったようだ。私達は約束をしている。「泣きたい時は泣こう。笑顔がその後で順番を待ってるから」と。「いっぱいないたよ、おとーちゃん」。彼女は笑った。 #福島

2月6日 「天災の度に生きた心地がしない」。或る患者が津波注意報を見つめ言う。彼女の息子は原発作業員だ。天災の度に原発の異常の有無等は発表される。勿論重要だが、作業員のことは殆ど何も言われない。命懸けで働く人がいて、待つ家族がいる。そうした人々への視点が欠けている気がしてならない。 #福島

2月3日 その人の通夜は悔しさに包まれていた。故郷を追われて以降、彼は迷惑をかけまいと持病の悪化を黙って耐えた。だが、先の見えぬ避難は力を奪った。共に線香を眺め、息子は「原発に殺された」と囁く。棺の前では幼い孫が「ジジおきて」と語りかける。あの日以来、こんな光景を何度見ただろうか。 #福島

2月2日中下大樹 @nakashitadaiki <残席が少なくなってきました。お早めに申し込みください>原発立地地域に住む方々を東京にお招きし、お話をお聞きします。どなたでも参加できます。『3月3日(日曜日)15時~18時 シンポジウム「福島から問う、いのちと未来」』 詳細→http://amba.to/11bN3ql

2月1日 私もゲストの1人で出席します。 RT @nakashitadaiki: 3月3日15時~「福島から問う、いのちと未来」 http://amba.to/11bN3ql 原発立地地域で生きる方々を東京にお迎えし、その声に耳を傾けます。申し込みが殺到しています。お早めにお申し込み下さい。

1月30日時事コム東日本大震災 @i_jijicom_eqa 4号機プールに懸念=福島第1、原発事故調の有識者会議 http://bit.ly/WezRNc #jishin #jisin

1月28日 「この子達と走ってみたい」。脚が不自由だった義姉は、生前よく言った。その日は不意に来た。「ママとはしるのはじめてだ」。津波から逃げる時にチビがそう言うと、彼女は笑ったらしい。脚を引きずり走ったのだろう。そして、兄と共にチビ達を救った。今日は懸命に走り抜いた義姉の誕生日だ。 #福島

1月27日 地震で目が覚め、懇意にしている近所の老夫婦が気になった。病気の夫を妻が介護している。家へ行くと、「お父さんを守らなくちゃ」と妻は震えていた。震災では多くの高齢者や障害者が犠牲になった。思うように動けない人達がいるのだ。私は老夫婦の手を握った。その手は汗に濡れ、震えていた。 #福島

1月27日 深夜の大きな地震で緊張して苦しい方へ。過度の緊張をしないよう、意識しゆっくり深呼吸を繰り返して。「ふぅ~っ」と意識して音を出しながら。目をつぶりながら、ゆっくりと深呼吸を。声を掛け合い、会話で緊張を解して。余震に注意し、防寒具(着)の用意や火の元、暗い中での怪我に用心を。 #地震

1月27日 『一括りの言葉は時に実状への想像力を奪う』。ほぼ1年前のTWになる。それから1年。複雑多岐に渡る問題が相変わらず安易に括られ、語られる。複雑な問題を「福島」等の一言に強引に押し込む一部風潮がある。結果、背景に潜む種々の問題が葬られ、単純な論に陥る。これでは何も解決しない。 #福島

1月25日ゆかしメディア @yucaseemedia 「健康状態が悪い」福島県医師が震災前の3倍に http://bit.ly/10QjTMg #followmejp

1月23日三浦綾子 @miura_ayako どうしてもしなければならないことと、しなくてもいいことのけじめができていれば、私たちはまず必要なことのために時間を使うことができるだろう。 「忘れ得ぬ言葉」

1月20日三浦綾子 @miura_ayako いつか聞いたことを思い出した。「人は自分の運命を選びとることはできない。しかし、その人生を選びとることはできる」 「風はいずこより」


1月24日 「どうしてもダメなときにあけてね」。そうチビから渡された小箱がある。体調が悪く、とうとう開けた。中には綿に包まれた小さな白いものが入っている。死んだ兄と義姉、そしてチビの抜けた歯だった。「おとーちゃん、みんなでまもってるからね」と手紙がある。あの日助けたチビに助けられた。 #福島

1月23日 報道の姿勢等に関するTWを散見し、ふと或る日のことを思い出す。兄の遺体を捜し回っていた時、1人の記者が話しかけてきた。彼の言葉に私は耳を疑った。「今のお気持ちは?お辛いですか?御迷惑はかけませんので」。思わず私は怒鳴った。報道に携わる者以前に、人間として理解出来なかった。 #福島

1月23日 東京新聞 Bot @TOKYO_Shimbot  社速: 南相馬の医師、高橋亨平氏が死去 がんとの闘病を公表 [写真]: http://bit.ly/10HuqsW #Bot

1月22日 「具合が悪い」。或る時期からこう書くことを避けていた。「被曝だ」等の一部の声が煩わしいのだ。単純過ぎる。この未曽有の複合災害の恐さは多岐に渡る。加速する社会基盤の脆弱化もその一つだ。人手不足の中、過重労働が従事者を潰しかねない。単純な視点は事態に潜む様々な問題を葬り去る。 #福島

1月17日 茨木のり子 bot @ibaragi_noriko  歳月だけではないでしょう たった一日っきりの 稲妻のような真実を 抱きしめて生き抜いている人もいますもの (歳月)

1月18日 福島県のインフルエンザ流行が注意報レベルを超え、既に県南、相双では警報レベルに達する。他の地域も時間の問題だ。患者増加に拍車がかかる中、職員も力尽きていく。震災・原発事故以降、人手不足の医療現場は疲弊している。だが、事態への無策が続く。働いているのは機械ではない。人間だ。 #福島

1月17日 兄の遺体を捜し回っていた時、私は疲れて途方に暮れていた。或る時、ボランティアの人が「祈っています」と言って、暖かい珈琲をくれた。彼は阪神・淡路大震災で家族を亡くしていた。悲しみを知る人の優しさは深い。そして、祈りは人が持つ大きな力の一つだと思う。あの恩は一生忘れられない。 #福島

1月16日 平成7年1月17日午前5時46分に発生した阪神・淡路大震災。震災の影響は形を変え今も続く。写真は美智子様が当時献花された水仙。花言葉は『愛をもう一度』。あの日から18年。散っていった命、生きる命、多くの命を想う。 #震災 http://photozou.jp/photo/show/2068855/166638751 …

1月7日 茨木のり子 bot @ibaragi_noriko 外科手術の必要な者に ただ包帯を巻いて歩いただけと批判する人は 知らないのだ 瀕死の病人をひたすら撫でさするだけの 慰藉の意味を 死にゆくひとのかたわらにただ寄り添って 手を握りつづけることの意味を (マザー・テレサの瞳)

1月14日 雪舞い凍てつく仙台国分町にて。震災後に御縁を頂き、お付き合いさせて頂いている石巻の @zen_d_d_d さん御一家のお母さまを偲び、石巻銘酒「日高見」を呑む。お母さま。震災後、様々な御苦労があった中、大変お疲れ様でした。献盃。

1月13日 いわき市の仮設住宅で車の窓が割られたり、ペンキがかけられた。昨年は市役所等に中傷の落書きもあった。私には或る懸念が過ぎる。いわきに限らない「感情の軋轢」の問題だ。事故以来、無数の線が引かれ、それは人の心にまで及ぶ。そして、先の見えない中で放置が続く。抱える闇の深さを思う。 #福島

1月11日 『死を考えるのは死ぬ為じゃない、生きる為なのだ』。あの日から672日。兄達や友人、多くの人々の死を想う。今を懸命に生きる人を想う。死は生きることを教えてくれるから。そして、私は信じる。亡き人々を想い続ける限り、人々は心の中で生きている、と。22回目の月命日に生と死を想う。 #震災

1月11日 東京新聞 Bot @TOKYO_Shimbot 社速: 関東大震災90年 翌月発行の児童向け写真集復刻 [写真]: http://bit.ly/VpHSOW #Bot

1月10日 「辛い悲しみの中ですが感謝を。それは愛する人の死出の旅への灯火です」。兄と義姉の葬儀で和尚はそう言った。生き残ったチビが、「パパママ、ありがとう」と号泣し言っていたのを覚えている。「おとーちゃん、おぶつだんのはなバッチリだよ」とチビから連絡がきた。22回目の月命日になる。 #震災

1月9日 「震災ネタは飽きた」。そんな言葉を目にする機会が増えた。多くの人が亡くなり、今も死の淵に立つ人がいる。遺された人々、先の見えぬ現状に苦しむ人々がいる。それを「ネタ」と呼ひ、一娯楽の如く「飽きた」と吐き捨てる輩がいる。人は優しく、人は残酷で恐ろしい。そう思わずにいられない。 #震災

1月6日東京新聞 Bot @TOKYO_Shimbot  主要: 福島の中3 転校余儀なく 都立高受験「両親避難が条件」 [写真]: http://bit.ly/WkRAOc #Bot

1月5日 河北新報ニュース @kahoku_shimpo 大槌町に派遣の男性自殺 兵庫・宝塚市職員 年末まで業務 http://bit.ly/TRGn9T

1月3日 茨木のり子 bot @ibaragi_noriko 一人でいるのは賑やかだ 誓って負け惜しみなんかじゃない 一人でいるとき淋しいやつが 二人寄ったら なお淋しい おおぜい寄ったなら だ だ だ だ だっと 堕落だな 恋人よ まだどこにいるのかもわからない 君 一人でいるとき 一番賑やかなヤツで あってくれ (一人は賑やか)

1月4日河北新報ニュース @kahoku_shimpo 福島第1原発 汚染水タンク限界 地下貯槽に一時貯蔵へ http://bit.ly/10ZYMH3

1月3日 V.E.フランクル @Frankl_bot 人生の幸福は、どれだけ快楽を得たかではなく、 どれだけ感動を得たかによって決まる。 #meigen 

1月3日 帰省していたチビ達を送り家に戻ると、手紙とお握りがあった。「おとーちゃん、さとうとしおまちがってゴメン。たべてね」とある。仏壇に供えたものを食べ昨日の失敗に気付き、こっそり作ったらしい。不意に涙が溢れた。だが、少々泣き過ぎた。鼻が詰まって味がしない。砂糖か塩か分からない。 #福島

1月2日 「はじめてのおにぎりどうだった?」。帰宅した私にチビが不安げに聞く。「美味しかったよ」と彼女を抱き抱えた。「パパとママにもつくったの」と笑う。兄貴と義姉の遺影の前に2つある。やはり砂糖味だ。だが、チビが塩と砂糖を間違えたことは言わない。いつか一緒に呑む日に2人で笑いたい。 #福島

1月1日 忙しい夜勤の合間、「おとーちゃん、たべて。だいすき」と手紙が付いた、6歳女性作お握りを食べる。「はじめてがんばってつくったよ」と追伸がある。あの日、恐怖で震えていた小さな手が作ったと思うと嬉しくなる。だが、チビは塩と砂糖を間違ったらしい。初めて経験する味だ。やはり、お握りは塩だ。

続く

どうか第1弾からも順番にお読みください。
震災、原発事故後、理不尽なことが多く、福島から発信・収集・行動してます。(2011.9.27~12.6)
福島で医療に従事しながら消耗戦中の市民の声を広めよう!(2011.12/6~2012.2/3)
二重生活を送る福島市医療従事者の声を広めよう!(2012.2/7~3/23)
二重生活を送る福島市医療従事者の声を広めよう!(2012.3/23~4/21)
二重生活を送る福島市医療従事者の声を広めよう!(2012.4/22~5/18)
二重生活を送る福島市医療従事者の声を広めよう!(2012.5/20~6/22)
二重生活を送る福島市医療従事者の声を広めよう!(2012.6/24~7/31)
二重生活を送る福島市医療従事者の声を広めよう!(2012.8/1~9/5)
二重生活を送る福島市医療従事者の声を広めよう!(2012.9/8~10/17)
二重生活を送る福島市医療従事者の声を広めよう!(2012.10/20~11/29)
二重生活を送る福島市医療従事者の声を広めよう!(2012.12/2~12/31)