心の御柱(こころのみはしら)

毎日、八方拝を行い、光の柱を建てましょう。

御神木を枯らすと

2013年02月07日 | その他

 

 最近TVでも報道されていますが、四国などで神社の御神木をわざと枯らして買い取る業者があるようですが、本当に哀れな輩で、その後どのような人生が待ち構えているか解っていないのでしょう。御神木にそのような行為をした連中に待っているのは倒産のみならず、命も取られることになるとは、後から悟ることでしょう。ただ可哀想なのはその家族で、たとえ何も知らなくても神罰が及んできます。このあたりは現代の法律からすると、理不尽なようですが、目に見えない世界の法則は古来から一貫して一族全体で責任をとらされるものです。

 

 昔なら、地域の古老がかつてあった罰当たりの話を伝えていたもので、人は畏敬の念を自然と持ったものでした。業者の連中は神なんか存在しないと思って行為に及んだのでしょうが、最悪の形で神の存在を知ることとなるでしょう。

 

 京都の新しいマンションやビルの一角によくお地蔵さんがあるのを見かけます。最近ではコンビニや、はたまたラブホテルの一角にまでありますが、これは建設予定地にもともと祠があったからで、うっかり退かすと災いが及ぶことを、地主さんも建築業者さんも経験から良く知っているので、また丁重にお祭し直すのです。

 

 バブル景気に日本中が湧いた頃、よく悪徳不動産業者が神社の神主さんに働きかけて、騙して境内地の一部を売りはらったり自分の名義に替えたりという事件が、京都でも少なからずありました。まあ、騙される神主さんも悪いのですが、一般に神主さんは世間知らずの方も多く、業者に夜の接待なんかを受けるとついつい気を許してしまったのでしょう。京都は、わりと狭い社会なので、噂でどの業者がやったかも、すぐ耳に入るのですが、でも不思議なほどそういう業者は全て倒産、それだけでなく当人の突然の事故死や重病、家族にも変死が相次ぐなど、神罰ははっきりと他人にもわかるほどでした。まあ、こうなると「神何するものぞ」と強気だった業者も藁をもつかむ思いで霊能者のところに走ったりするのですが、もちろん効果あるどころか、食い物にされて終わりです。まさに自業自得とはこのことでしょう。

 

 神社に関してこれほどまでに、神罰が強いのは、それほど神社という場所が、どんなに寂れている神社も、聖地として非常に重要だからなのでしょう。地域の運命はもちろん、個々の神社の集合体が日本の運命を司っているわけです。ですから四国なんかで御神木を枯らしている業者は、日本全体の国運を低下させていることになります。古い御神木は樹齢数百年とかになるでしょうから、本人はもちろん、子孫の三代先いや七代先まで影響が及ぶでしょう。改心されて、残りの人生は枯らした神社は勿論のこと各地の神社に植林をされるべきです。

 

 神罰があるということは、逆もしかりで、神社のためにいろいろお世話することは、これはもうお陰がたくさんあるわけです。京都にたくさん神社があっても経営が楽なのは全国的に有名な大きな神社だけです。小さい神社は神主さんが平日は会社員とかされながら御奉仕していらっしゃるのですが、どこも経営は大変です。亡き父の話になりますが、父は生前こういう小さな神社二社ばかり経営が成り立つよういろいろお世話をしていました。小さいながらも父の会社はオイルショック、バブル崩壊も、数々の助けがあり無事に乗り越えてきました。やはりお陰があったと考えざるを得ないのです。

 

毎日、八方拝十一方拝を行いましょう。


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