心の御柱(こころのみはしら)

毎日、八方拝を行い、光の柱を建てましょう。

アセンションと選民意識

2012年12月29日 | 個人の霊的自立

 さて、去る12月21日にマヤ暦の周期の区切りが暗黒の3日間とか何事もなく来たわけですが、21世紀に入ってから、この日を目標にずいぶんとアセンションのことを言われる方が多くなってきました。この日に地球や人類がアセンションすると唱えていた極端な人もいましたが、まあ期日が近づくにつれ、この日からアセンションに向けてのエネルギーが加速するという、なんだか曖昧な表現に変化してきたものです。

 

 日本でアセンションが意識される大きなきっかけを作ったのが、もう亡くなられたホゼ・アグエイアスさんの13の月の暦でした。これはホゼさんがマヤ暦にヒントを得て独自の解釈のもと御自身で作りだされたものですが、当初はマヤ暦そのものとして誤解され紹介されていました。現在のグレゴリオ暦は非常に人工的で人々の潜在意識に作用して反自然な生き方になり、2012年の12月21日までに世界の暦を13の月の暦に変更したら地球はアセンションし、出来なければ地球は滅ぶというものです。

 

 現在もアセンションを唱える方の主張の大半は、地球は5次元に入り、意識の変わらなかった人達は3次元の地球か星に転生するといったものです。私は果たしてこれが本当なのかどうか判断できませんが、一つはっきり言えるのは、13の月の暦にしてもアセンションにしても、バックにユダヤ・キリスト教的な一神教の思想が背後にあることです。いわば予言と選民です。

 

 13の月の暦の場合、2012年までにこの暦を採用しないと地球は滅ぶと、はっきり宣言しており、また採用すればアセンション=地上天国になると言っているわけです。キリストを信じる人は救われるし、信じない人は罰せられるのとまったく同じ構造なのです。

 

 またアセンションにしても意識が変わった人は新しい地球に行き、残りは3次元世界に囚われるか滅ぶというのです。私がこれに対していつも思うのが親子の縁なのです。他人やはたまた夫婦は別れることができても、親子の縁は切っても切れるものではありません。もし片方が、特に親が意識レベルが高くても、子供がいろいろ問題あるというのは一般にもよくある話ですが、アセンションの時、この親は子供を見捨ててアセンションするのか、そんな人間が果たして意識が高い人と言えるのか。アセンションがあるかないかというより、こんな人間の根本的な精神の問題を一切省みずにアセンションのことを言う人達が本当に人類の意識を高くしようとしているのか疑問です。

 

 仏教には菩薩行と言って、苦しんだり悩んだりする人に寄り添って生きるというのがありますが、アセンションのように世界が二つに別れるなら、苦しんでいる人はほっぽりだして我先に新しい世界のボートに乗り遅れてはいけないことになります。

 

 確かに人類の意識が良い方向に行くビジョンを持つのは大切なことですが、ややもするとアセンションを唱える方々が批判する既成の一神教の在り方と同じこととなるのです

 

毎日、八方拝十一方拝を行いましょう。


神事と先祖のお世話

2012年12月26日 | 個人の霊的自立

 世の中には、熱心にいろいろな神社にお参りに行ったり、神行(しんぎょう)と称して各種の修行を行ったり、また神様のお使いだと言って全国各地を回られたりしている方々がいらっしゃいます。御本人が納得されてされているので、それはそれでいいのですが、その方達の実生活を知ってくると、あまり幸福になっていない方が多いものです。早死にされたり、病気を発症されたり、家庭不和、それと案外多いのが子供のゴタゴタです。

 

 本当に自分の一生がそういう神事(かみごと)をするためにあるのだと覚悟されている場合はいいのですが、あまりそんな決意もなく、なんとなく興味から入られたり、セミナーに参加して皆と一緒に行うのが楽しいという理由で行われる場合は注意が必要です。なぜなら、それが幸福に繋がるどころか却って不幸になることが多いからです。よく嵌まるパターンが、熱心に神様の世界の事をしているのに何故不幸が続くのか、もっと修行に励めと神様が仰っている、または今カルマの清算をしているのだと思ってさらに神事に没入していくのです。

 

 なぜこうなるのか?それはこの世界は陰陽のバランスで全てが成り立っており、このバランスを欠如しているのが根本の原因なのです。神事が陽だとすると先祖のお世話が陰なのです。神様の事ばかりして、先祖の事は置き去りにしている人が非常に多いのです。神社にお参りに行ったり、何人かで神行を行うのは日常を忘れ確かに気分も高揚するものです。それに比べ、お墓参りや御先祖の法要は地味で、決してうきうきした気分になるものではありません。それで陽ばかり強くなって極端に陰が弱っているのです。

 

 ですが普通の世界でも、陰を大切にされている方が人生うまくいくようになっています。例えるとイチロー選手の試合で華々しく活躍されるのが陽、その裏で毎日、地道な努力をされるのが陰。この地道な努力の陰がなければイチロー選手の成功は無いわけです。別にイチロー選手でなくても、一般社会で陰で地道に努力されている方はやはり安心感があります。

 

 神事をするんであれば、それと同じ位の先祖のお世話をしないと陰陽のバランスが崩れ人生がうまくいかなくなるのです。ただ逆の場合、先祖の事は熱心で、神様事は全然しなくてもうまく人生が運ぶのですが、これは陰から陽が生じるといって、陰から全てが生じるからなのです。

 

 神社にお参りに行くといった日常的な神事も含め、神事を 1 行ったら 先祖のお世話は最低でも 1.2 するというのが大切なことなのです。

 

   毎日、八方拝十一方拝を行いましょう。

 

 

 

 


敬神崇祖(けいしんすうそ)

2012年12月13日 | 個人の霊的自立

 

 

 先日、全国でも有名な京都の山中にある神社に詣で、本社の外にある境外摂社にお参りした時の話です。そこには神官さん達は常駐されてないのですが、私が神前に向かうと一人の女性が先にお参りされていました。たぶん私が後ろから来ているのに気づくのが遅かったのでしょう。 ペットボトルの水を御垣内へ犬の小便よろしく、ばら撒いていました。普段そんなことでは腹を立てないのですが、この時はふつふつと怒りが湧いてきました。まるで神様の怒りが自分に移ったかのようでした。

 

 これは最近時たま目にする光景で、どうもスピ系の人達の間で、各地の御神水を汲んでは他の神社や聖地に持っていって撒くのが流行っているようです。まあ御本人達は良い事をされているつもりでしょうが、はっきり言って不謹慎です。目に見えない世界はやはり慎重にすべきで、やれメッセージが来ただの神様を繋ぐだのと軽率にすべきではないです。だいたい想像してみてください。ある日、自宅に見知らぬ人が来て、聖なる水ですからと言って庭にばら撒かれることを。喜びよりも怒りが湧くはずです。

 

 また神社の御祭神によっては、ある聖地の水とは相性が非常に悪い場合もあります。本当にそこの神様が水をお望みと思うのなら神官さんなり世話役さんなりに趣旨を話してOKをもらってからにすべきでしょう。神意ならうまくいくはずです。

 

 神行(しんぎょう)をまともにされている方なら先輩達から一種の神様に対する作法というべきものを習っているものです。お水をお供えしたいならペットボトルのまま半紙に載せてお祈りし、終わったら持って帰ればいいのです。けっして犬の小便縄張り張りのようなことをしてはいけません。

 

 神社に行く場合はそこの御祭神に対して敬意をはらうことが最重要なのです。敬意をはらえばはらうほど神様の御威光は輝いてきますし、なによりもそういう謙虚さを神様はお喜びなのです。敬意をもって接すれば水撒きなど出来るわけはありません。

 

 スピ系全てとは言いませんが、全般的にこの方達は先祖や先輩達が連綿と綴ってきた伝統を知らずにいます。そのため自分達は良かれと思った行動がかえって神様の怒りを呼んび御自分の運気を弱めているのです。

 

 もうスピリチュアルごっこをしている時代ではありません。敬神崇祖という今では死語になりつつある言葉ですが、神を敬(うやま)い先祖を崇(あが)める、これこそが日本人として神様に接する際の心構えなのです。

 

                                                                        貴舟 一之(きふね かずゆき)

 

毎日、八方拝十一方拝を行いましょう。

 

 


鎮守さんは日本の宝

2012年12月07日 | 個人の霊的自立

 

 さんは日本各地にまるでコンビニのごとく数多く存在していますが、日本人の心が荒れすさんで来ても、今日なお まだ国としてなんとか成り立っているのは鎮守さんのお陰といっても過言ではありますまい。鎮守さんのシステムを知れば知るほど、日本人の御先祖さんが代々大切にされてきたことに感謝の念が湧いてきます。

 

 私の鎮守は下鴨神社ですが、世界遺産になった今日からは考えられないくらい、私の子供の頃は非常に寂れた神社でした。休日でも参拝者は少なく、とくに参道のある糺の森の荒れ方はひどく、昼中でさえ一人で通るのが怖いくらいの不気味さが漂っていました。そこかしこに廃家電が捨てられ、エロな雑誌が放置、ときには藁人形が木に打ちつけられたりと、散歩できるような環境ではなかったです。

 

 私の通っていた公立中学はちょうどこの神社の真裏にあり、神社の荒れ方と同様、学校も荒れ放題でした。先生達が生徒の暴力に耐えかねて警察に出動要請したくらいです。地域の鎮守さんが荒れ放題だとその地域の子供達の心も荒れてくるというのは、よく聞く話です。私の友人で学校の教師をされている方は、荒れた学校に赴任した際、まず鎮守さんに挨拶して様子を見るとやはり参拝客が少なく掃除もされていないことが多いと言っていました。その方はそんな場合自ら掃除をされるらしいですが、徐々にですが生徒達の心が変わっていくとおっしゃっていました。また不思議なことに、下鴨神社の場合も綺麗になるにつれて学校も平常に戻っていきました。

 

 ある経営コンサルタントの方で、全国の商店街を回ってられる方から、地域の鎮守さんがよく手入れされている商店街は非常に繁盛しているというのを聞いたこともあります。この場合は地域のコミュニティがしっかりしているのと神様の力があいまって地域が繁栄するのでしょう。

 

 昔から鎮守さんは地域の人達の魂をつかさどるといわれています。生まれる時の魂を両親の所へ導いてくださるのも鎮守さんだといいますね。七五三のように子供の成長はもちろん、結婚、仕事まで面倒を見てくださいます。どんなに忙しくても月に一度は参拝するようにしたいものです。

 

 さらに、鎮守さんは地域の死者達の霊魂が昇天していく場所だとも言われています。私は霊能力とかまったくないですが、亡き父の49日が終わりさんに御挨拶にいったとき不思議と父が一緒に付いてきている感がありました。うまくは言えませんが鎮守さんが父の魂をしっかり受け止めてくださり父も安心していたようです。逆に手入れがなされず参拝者も少ない鎮守さんの地域は不浄仏の霊が溜まりやすいように感じます。

 

 たぶん、この鎮守のシステムは人の魂がこの世に生まれ出、あの世に去るときのゲートになっており、しっかりと鎮守さんがガードをされているのでしょう。ネイティブと言われる少数民族はいまでもこういうシステムをしっかり保持していますが、西洋だとかなり変形してしまったみたいです。それでもヨーロッパの教会なんかはケルトなどのもともとの現住民の聖地の上に作られているので、キリスト教ではあるが、教会の場そのものが鎮守システムをなんとか維持できているというのを聞いたことがあります。

 

 神棚の凄さ(2)にも書きましたが、鎮守さんの力を使えば霊能者とかに頼る必要もなくなってきます。是非とも地域の鎮守さんを大切にしていきましょう。

 

                                                                       貴舟 一之 (きふね かずゆき)

 

毎日、八方拝一方拝を行いましょう。 

 


先祖祭祀は全ての基本

2012年12月05日 | 家庭祭祀

 

 震災以降、家族の重要性を多くの人が再認識しました。これはこれで大変良いのですが、家族というとやはり今生きている者しか思い浮かばないのでは。でも日本人はずいぶん長い間、家族というものに先祖を加えて、というより先祖を中心として生活してきました。京都でも古いお家の場合お座敷の真中にお仏壇があるのが普通の姿です。朝起きたら御挨拶、夕べにも御挨拶、ご飯を炊いたら自分達が食べる前にお供えが日常生活の基本でした。

 

 私もそういう環境に育ったのでそうするのが、当たり前な訳です。まるで先祖がそこにいらっしゃるように生活していると本当にいらっしゃるようになるものです。最近、御自宅に仏壇のない家が増えてきましたが、これだと子供達が一緒に住んでいる間が家族のピークで子供が独立したり伴侶がなくなったりと後はどんどん寂しくなっていく一方なのです。もちろん先祖を祀っているからといって人数が増えるわけではありませんが、その家には自分に繋がる何十何百のさんとともにいるわけです。これはそういう生活をしている方なら解ると思いますが、先祖と伴にいる感覚はとても心の安定感を生んでくれます。

 

 昔から一本の木に例えて、自分達が幹や枝葉、先祖が根子。どんなに自分達が栄えようとしても根がしっかりしていないと一時の繁栄はあっても枯れていくものです。先祖祭祀とは自分達の命のルーツに感謝をささげ、自分達の根を太く大きくしていく行為なのです。ですから先祖祭祀こそが究極の開運法であり、これ無しで他のいろいろな方法を試しても文字道理、根なし草で終わってしまうのです。

 

 名古屋にいらっしゃる日本一の個人投資家である竹田和平さんも常々、先祖祭祀の重要性をおっしゃっていますが、自分の経験からも先祖祭祀に篤い家は代々栄えているものです。一時の成功者で終わってしまう方は先祖に無関心な人が多いです。最近はカリスマなんとかといって、あたかも成功者ぶって世に出てくる方が多いですが、ようく観察してみてください。その方の10年後、20年後を。たいていの方は消えていなくなっているでしょう。先祖祭祀のように地味で継続性のいる行為は、ある意味カリスマなんとかの派手さとは真逆ですが、じわりじわりと運命を強めていくものです。よって成功も持続するのでしょう。

 

 これからの大変な時代、一人でも多くの方が、日本人は先祖と共に生きて歩んだことを思い出し、困難を乗り越えていただきたく思います。

 

                                                                      貴舟 一之 (きふね かずゆき)

 

毎日、八方拝十一方拝を行いましょう。