心の御柱(こころのみはしら)

毎日、八方拝を行い、光の柱を建てましょう。

ヤマトクシロ(大和結界)

2013年01月19日 | 未来予測

 倭姫(やまとひめ)天照大神の御魂を奉つり、奈良の三輪山から近畿各地を巡られ最終的に伊勢の地に落ち着かれました。この倭姫が巡られた伝承地は東は岐阜や愛知、西は岡山、北は日本海の丹波、南は和歌山と近畿一円をぐるりと囲んでいます。でもなぜ倭姫がこんなに移動したのか?太陽をシンボルとするアマテラスオホミカミを祀るのであれば、三輪山からみて東や東南が太陽の聖地として最もふさわしく、わざわざ北や西に行く必要などなく、初めから伊勢に行くのが合理的だと思われるのです。それでもしかしたら倭姫は大神の御魂を移動させながら結界を張ったのではないかと推測されているわけです。実際にそういう意図があって巡られたのか、それとも御神意のままに動かれただけなのか、それは解りませんが結果として天照大神による結界が張られたわけです。これを元伊勢結界といいますが、天皇家はこの結界の中にいる限りは安全だったといわれています。

 

 実は近畿には非常に多くの結界が張られており、何世代にもわたって複数の宗教家や陰陽師が奈良や京都の御所を中心として構築していったようです。空海さんや安倍清明さん。でも以外と見落としがちなのが西国の三十三観音巡り。日本で最初に作られた観音巡りで有名ですね。結界というとなんだか秘密裏にというイメージですが、こんなに表に出ていても、というか出ているからこそ結界が生きてくるのです。この西国三十三観音巡りを実質的に開かれたのが平安時代の花山法皇。今も法皇の巡礼に習って多くの善男善女が祈りの旅にでていますが、人々が多くお参りされればされるほど、この三十三箇寺を繋ぐ結界が活き活きとしてくるわけです。そして不思議なことに倭姫の元伊勢結界西国三十三観音を重ね合わせるとやはり奈良、京都を中心にぐるり周りを取り囲んでいます。

 

 いわば、元伊勢結界を陽とすると三十三観音は陰。陰陽二元で近畿に結界が張られているわけです。そして私が思うにこれらのさらに基礎になっているのが近畿十字形。北は東大寺お水取りで有名な鵜の瀬。南は太平洋に突き出る串本。これが水のライン。東西ラインは伊勢と淡路島のイザナギ神宮。これが火のライン。東西南北の交点が三輪山近畿十字形の上に元伊勢結界西国三十三観音。三つを合せて私はヤマトクシロ(大和結界)と呼んでいます。

 

 伯家神道の予言に天皇が祝神事(はふりしんじ)を受けないと100年後に滅びるという話がよくネットとかに出回ってますが、どうもこれは単なるデマらしく、伯家の伝統を受け継ぐ方に聞いても、そんな話はないといわれます。それよりもこのヤマトクシロから天皇家が外に出たことが問題で、日本人の霊性、精神性も天皇家が東京に移ってから、どんどん劣化しているわけです。日本の立て直しに天皇家のヤマトクシロへのお還りは必須の条件だと思っています。この10年間に動きが出てくることでしょう。

 

毎日、八方拝十一方拝を行いましょう。

 


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