“御褌”
この字を見た時、まさか、如何に神にあっても、履いていた<フンドシ>を「阿波岐原」に投げ捨てたりはしないのではないかと思ってよく読んでみると、この“御褌”に<ミハカマ>とルビが符ってありました。これがどうしてハカマなのでしょうか???それについて宣長は「古事記伝」の中で
“和名抄に、褌ハ須万之毛能<スマシモノ>、一ハ云フ知比佐岐毛乃<チイサキモノ>などがあり、如此<カク>分けて呼ぶは後のことで、本は袴も褌もただ波加麻<ハカマ>なるべし”
と解説しております。上古の日本では、袴も褌も、どちらも、「はかま」と読んでいたのです。それを葛飾北斎は、当時の武士階級の人達は着けていた服装「袴」だと思って、このような絵にしたのだと思います。江戸の北斎の時代には、まだ、埴輪など十分なる発掘は行われていなく、それで「はかま」と言う「ことば」だけから、このような絵に仕上げたのでなないかと想像しております。一方、右の絵2枚は現代の情報を元に描き上げたものですから、同じ袴(褌)であってもズボンのような格好に描きあげたのです。
その情報とは、次の写真等を参考にして、北斎が考えた「袴ハカマ」ではない「褌ハカマ」を絵柄として作り上げたのではないでしょうか
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