京都市右京区にある、「関西はなの寺大3番霊場」法金剛院です。
平安末期の太治5年(1130年)、待賢門院(1101年 - 1145年)により再興されました。
待賢門院は藤原氏の出身で、鳥羽天皇の中宮であであられます。
度重なる災害により、壮観だった当時の面影はありませんが、盛夏には実に清々しく心が和みます
ハスの花が咲き競う夏、法金剛院の庭園は、まさに極楽浄土がこの世に現出したかのように穏やかで美しい世界となります。
桜、紅葉と四季折々の美観は見事で多くの歌人が歌を残しています。
最盛期の法金剛院には九体阿弥陀堂、丈六阿弥陀堂、待賢門院の御所などが立ち並んでいました。
西行は美貌の待賢門院を深く思慕して「なんとなく芹と聞くこそあはれなれ摘みけん人の心知られて」と歌い、
待賢門院は「紅葉見て君が袂やしぐるらむ昔の秋の色をしたひて」と歌っています。