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ケッタでグルグル

久々にケッタ(自転車)を購入。
これを機にブラブラ回ってみよっと。

大桑城跡

2008-02-16 | 城跡

「枝広はもう、あぶのうござる」
と、頼芸に説き、頼芸も賛成し、彼を川手城・加納城から北へ五里も入った山地に移すことにしたのである。
大桑城という。
はるかに飛騨の山々につづく大桑山の山上にある古城で、庄九郎がみずから監督してみちがえるほどの壮麗な姿に仕立てかえた。なるほどこの山上なら、もはや洪水からの不安はない。
もともと洪水ぎらいの頼芸は、
「なぜ早くここに移らなんだか」
とよろこんだ。
追いやられた、とは頼芸は気がつかなかったのであろう。
【国盗り物語 斎藤道三編(司馬遼太郎 著)より抜粋】

(庄九郎=斎藤道三 / 頼芸=土岐頼芸)

上の文は小説「国盗り物語」の中の一節で、大洪水によって土岐頼芸の居城だった枝広(現・長良公園付近といわれる)周辺が水害にあった際のくだりです。
初めて「国盗り物語」を読んだ時から妙に気になっていた大桑城という名前。加納から北へ五里(20キロ)ってどこの山奥だ?と大桑の地名も知らず…最近になって調べてみると山県市の大桑と判明。しかもオオクワだと思い込んでたら、オオガだと知りました。そして念願?叶って訪れる事になり…。

 

ちらほら小雪が舞い寒風が吹く。天気を気にしつつ登山口に向かいます。椿野苑という特養ホームを過ぎると小川沿いに桜並木(左写真)が揃ってます。もちろん今は枯れていますが、4月はキレイな事でしょう。

正面に見えてくるのは大桑城登山口の看板。そして熊出没注意の看板…ちょっとビビります。。

 

    

少し朽ち果てたような「大桑養蚕団地」の建物脇にケッタをおき、その脇道を進むと狭い駐車スペースがあります。そこには山火事注意の看板と共にご自由にお使い下さいとの登山用の杖(左写真)が。心遣いありがたや。。

やがて見えてくるのは「大桑古城山登山口」の石碑。これも手づくり風です。温かみを感じながらの出発です。

 

 

登りはじめのしばらくは細い道、しかもシダに覆われたような足元が見えないような道。ホントにこの道であってるのだろうか…としばし不安になりつつの登り道。しかもそこそこキツイし。

つづら折の細道を約10分。上りきったら尾根に着いたのかようやくそれなりに広い道に。今来た道の反対側は高富ゴルフクラブがありますが、以前はそちらから登るのが正規の登山ルートだったようで、それが大桑城の大手道らしいといわれています。

 

  

しかしまだまだ気を抜けず。道は時折細くなり、岩はゴロゴロ転がり、倒木(左写真)が行く手をさえぎり…どちらが正規の道か迷いつつ、たどり着いた番所跡。登りはじめてから、やっとここが城跡である事をしめす看板を見つけました。今は岩が転がり木が生えていますが、言われてみるとここは岩場ではなく土が盛った跡という感じがしないでもない。。言われないと全くわかりませんが…。とにかく、ここに城の番人がいて見張っていた場所ということでしょうね。ここまで下から約25分。

 

 

そして約5分歩くと第二の看板。馬ならし場跡入口。こんな狭い場所で馬を…今まで自分一人だけ登るだけでもヒーヒー言ってたのに…馬を…。絶句。。

そのスグ先には、なんとなく堀のような場所がありました。登山道の両側は人の手が加えられたような不自然な崖になってます。

この先には「霧井戸入口」という看板があったので、興味を引かれたのですが見るからに急斜面なのと天候が気になったので断念…あとから調べると10分程度だということで、行かなかった事に少し後悔。。

 

 

途中、能郷白山眺望と書かれた看板があり眺望してみると…白い雲がこちらへ向かって襲い掛かって来そうな雰囲気。怖い。。もちろん能郷白山は白い雲の中で見えませんでした。

このあたり何となく広い場所が多くなり、下も岩場ではなく土になり曲輪の跡かもと思わせる場所が出始めました。そろそろ山頂は近いか。

 



  

坂を上って前を見るとそこには社が…ここが山頂付近か。前文の庄九郎が仕立てた壮麗な姿の城はここに建っていたのでしょうか。社の横には土岐頼芸を顕彰した石碑(右写真)もありました。

自分が知ってる土岐頼芸、そして大桑城はあくまで小説の範囲内しか知りません。一説にはここを居城としていたのは頼芸の兄である政頼・頼純親子だったとも言われているそうです。そもそも斎藤道三その人にしても、「国盗り物語」は親子二代で成し遂げた説が正論となりつつありますし、何がホントかと言われてもなかなか簡単にはわからないのでしょうね。

 


 
  

そして、見えてきたのが『大桑城天守閣』。これが道三の築いた壮麗な…ではなく、大桑青少年育成会の方々が協力し昭和63年に完成した手づくりのミニ天守閣でした。城の石垣に書いてある説明板には3年の月日をかけて計画・作成されたとあり、地元の方々が汗を流しながら作り、そしてここまで運ぶ姿が目に浮かぶようで、この小さい天守に心が温まりました。この手づくり天守は大桑の方々にとって誇りという感じがします。見下ろせば大桑地区が小さく見えます。

 

 

そしてもう一つのプレゼントがこの景色。南を向けば今来たルートの大桑から高富方面に(左写真)。金華山もおぼろげながら見えてるかどうか…。

東側には武芸川方面(右写真)。武儀川の流れはハッキリと見えます。雪雲が流れてきてやや視界が悪くなっていたのは残念でしたが、ここまで登ったかいはありました。

 

西を見ると…何も見えない。能郷白山方面が見える予定ですが、完全に雪空でした。かなりこの山頂にも雪が舞ってきて時折薄暗くなり、山に慣れていない自分は結構恐怖でした。

 

  

そして山頂はすぐそこ。古城山(金鶏山)407.5mに登頂成功です。解けていない雪が少しだけ残っていました。ここでは最後のご褒美。北への眺望がバッチリでした。高賀山や瓢ヶ岳でしょうか。雪はうっすら、今年はあまり多くないのかもしれません。ここまで約40分でした。

なんとか無事下山できた頃には空は快晴。もっとゆっくり堪能すればよかったと思いながらも、トラブル無く帰還できたのが何よりのご褒美だと感謝しながらケッタをまたぐ。 


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