さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴15年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

あ~でもないこ~でもない

2005年07月22日 22時37分32秒 | 日記
今日は、花金。
だが、疲れ果てて職場から最寄り駅につく途中、ベローチェによって休憩する必要があった。
なんとなく気になっていた、白玉クリームぜんざいをたのむ。
ふと横を見るとツナサンドがおいしそうで、一緒にたのむことにした。
二つで450円。
安いのに、どちらも結構美味しかった。

家について、テレビをつけるとちょうど細木数子が出ていた。
なんとなく見ていると、38歳の女性で末期がんを宣告され余命2年、今、1年半が過ぎ、残された幼い子供達に何が出来るのか、という内容の相談がされていた。
なんか飲もうかな、食べ物何かあったかな、なんて思いながら台所をうろうろしながら耳を傾けていた。

すると、
「死なないわよ」
と細木さん。
「死ぬのを前提に話をすることはない」
とも言っていた。
そして、死ぬために生きるのではいけない、という内容がなんとなく私の動きを止めた。

私の生き方は中途半端だ。

なんとなくそう長くないような気もする。
もしかしたら、あと数年で病気が悪化して、ナースとして、職場の同僚達に見守られながら死に逝くのかもしれない。
それはそれで意味のあることで、仕方のないことなのかもしれない。
苦しみながら生きながらえるのはいやだなあ、
動けなくなったら、自分でトイレに行けなくなったら、四六時中痛みが出るようになったら・・・
やだ、でも、まだ判断が出来るような時にギブアップを宣言することが出来るだろうか、
結局、ダラダラと苦しみに耐えながら、最後まで必死に生きてしまうような気もする。
スマートに死んでしまいたいと思う気持ちとは裏腹に・・・。
諦めが悪いと思う一方で、それが普通のことなのかもしれないとも思う。
これまで、病棟で勤務していた頃に看てきた患者さんたちのように。
もちろん、そんな患者さんたちを否定しているのではない。
ただ、私は苦しむという状況を知ることなく死にたいと思う。
そう、自分でギブアップを宣言するから、ではなく、
必然的に、知らぬ間に、安らかに逝きたい。

なんていうことをあれこれ考える。

一方で、普通にこれからの人生も当たり前のようにやってくるように思うこともある。
だから、コンパに誘われれば行くし、結婚もしたいし、可能性あれば子供だってほしいと思う。
自分の将来をどうしたいのだろう、って10年先、20年先を考えてみることもある。
それが、当たり前に手に入るかのように。

でも、今はどちらかというとあまり前向きな生き方をしていない、ということに気づいた。
だからこそ、細木数子の言葉に反応したのだ。
私は、少なくとも、死ぬかもしれないことを前提にしか生きていない。
どうやったら治るか、ではなく、
どうやったら悪化しても安心して治療を受けられるか、
死に逝くとしても納得できるか、ということを考えている。
でも、今の医療では治癒出来ないとされている病をおっている限り、
そりゃあ、仕方ないじゃないか、とも思う。

多発性骨髄腫
発病して、20年以上も生存している方もいる。
しかし、誰に聞いたって、どんな書物を読んだって、必ずや再発する病、とされている。
まあ、考えても仕方がない。
でもね、じゃあ、
今の状態で、お世継ぎ問題が発生する長男の嫁になれる?
ガン保険に入れる?
すんなり転職できる?

答えはNO

でも、中途半端に困った時に楽なように今を窮屈に生きるのではなく、
とにかく、今は治すために生きるのは必要なのかもしれないとも思う。

でもね~

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