小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

ブログの老後をユラユラ楽しむ悦楽ブログって言ったけどさ、もう一発くらい狙ってもいいのかな。やってもいいかな?

金田正一さん死去

2019-10-08 08:51:26 | 千葉ロッテマリーンズ
国鉄、巨人で前人未到400勝を飾り、元ロッテオリオンズの監督、金田正一さんがお亡くなりになりました。

元巨人の金田正一さんが死去 前人未到400勝投手(日刊スポーツ)

巨人は6日、国鉄、巨人の元投手でロッテの監督も務めた金田正一(かねだ・まさいち)氏が6日午前4時38分、急性胆管炎による敗血症のため、都内の病院で死去した、と発表した。86歳。通夜・告別式は近親者のみで行われる。喪主は長男・賢一(けんいち)氏。後日「お別れの会」を行う予定。

愛知県出身。享栄商を中退して1950年(昭25)国鉄(現ヤクルト)入団。65年に巨人軍に移籍し5年間プレーし、前人未到の400勝を達成。69年限りで引退した。背番号「34」は巨人の永久欠番。


金田正一さん、偉大な大記録の数々(スポーツ報知)

◆偉大すぎる数々の大記録

 ■投手編 ▼不滅の400勝&4490奪三振 50年に享栄商を中退して国鉄入り。国鉄で15年(50~64年)、巨人で5年(65~69年)と通算20年間で944登板、プロ野球最多の5526回2/3を投げ400勝、4490奪三振をマーク。2年目の51年から、「14年連続20勝以上&200奪三振以上&300イニング以上」は今後、破られることはないであろう金字塔。

 ▼巨人戦最多の65勝 400勝の内訳は国鉄353勝、巨人47勝。カード別に分けた勝―敗、完封数(円内)は

広島90〈19〉31 巨 人65〈14〉72

大洋77〈15〉54 アトムズ9―7

阪神74〈14〉66 松 竹9〈4〉5

中日73〈15〉61 西日本3〈1〉2

(大洋は現DeNA、アトムズは旧国鉄、産経、現ヤクルト。松竹、西日本は消滅)

 広島戦の90勝は1人の投手が同一チームから挙げた最多勝利。巨人戦は唯一の負け越しだが、対戦投手の最多勝だ。歴代2位の82完封を記録したが、古巣のアトムズ戦だけは、マークできなかった。

 ▼2ケタ奪三振 1試合10奪三振以上の2ケタ奪三振(延長試合含む)を、歴代最多の103度マーク。70度で2位の野茂英雄(近)に大きく水をあけている。奪三振数別の回数は

奪三振(10)(11)(12)(13)(14)(15)(16)(17)(18)

回 数442513844311

 67年6月7日大洋戦で、1試合最多奪三振(9回)のセ・タイ記録となる16奪三振。延長試合では、58年に5月27日広島戦(13回完投)で18K。6月19日大洋戦(14回完封)で17K。

 52年は6月25日広島戦9K(7回)、28日松竹戦(9回)、7月15日中日戦(11回2/3)と2試合連続15K。3試合連続合計39奪三振(2試合合計30奪三振)もマークした。

 ▼64回1/3連続無失点 58年4月30日広島戦5回から、5月27日広島戦10回(10試合)まで、4試合連続など5完封を含め、プロ野球記録の64回1/3連続無失点(この間72奪三振)。

 他に65年9月12日広島戦8回から、10月8日の中日戦9回まで42回1/3連続無失点。56年(33回)、59年(39回)、62年(33回2/3)30イニング以上の連続無失点をマークした。

 ▼0、1安打試合 51年9月5日阪神戦でノーヒットノーラン。57年8月21日の中日戦ダブルヘッダー第2試合でプロ野球4人目(当時)となる完全試合を達成。1安打完投が9試合(セ記録)で、無安打試合と1安打試合を合わせた“モストローヒットゲーム”は11度。亀田忠(黒鷲)の13度(無安打3度、1安打10度)に次ぐ2番目の多さだ。ちなみに2安打試合が19度、3安打試合も31度あり、打者にとって打ちにくい投手だった。

 ▼打撃の神様を本塁打0 通算100打席以上対戦した打者は65人。“打撃の神様”こと川上哲治(巨)を、通算254打席で241打数56安打、43奪三振の被打率・232。本塁打を1本も許さなかった。

 長嶋茂雄(巨)は初対戦で4打席4三振。1年目こそ・179に抑えたが、通算(240打席)では211―66、31三振で・313(被打率3割以上は、児玉利一=中→大洋・321、近藤昭仁=大洋・300を加え3人)。最多の18本塁打を打たれた。

 王貞治(巨)とは159度の対戦で、138―39([本]〈13〉)、40三振の・283。64年には7本塁打(シーズン同一打者最多被本塁打のプロ野球タイ記録)を献上した。

 ちなみに最も多く安打されたのは吉田義男(神)。最多の377度対戦し95安打(328打数、[本]〈8〉)。打率・290で三振は15個だけ。59~64年に通算98打席連続、特に60~63年は4年連続(78打席)で三振を取れなかった。

 ■打撃編 ▼投手最多の36本塁打 投手登板時に打った本塁打は投手最多の36本(50~60年に11年連続)。他に代打アーチが2本ある(代打出場は108度)。55年にシーズン5発。62年も代打アーチ1本を含め、6本塁打した。また、55年5月26日の中日戦(投手・中山)、59年5月30日大洋戦(投手・秋山)でサヨナラ弾。開幕戦でも通算2発。

 通算2054打数406安打、38本塁打、177打点の打率・198。投手の打率を見る場合、1割を足すのが妥当と言われており、金田の・198は打者の3割に匹敵する。

 ■大舞台でも ▼日本シリーズ、オールスター戦 2大舞台の投手、打撃成績は([本]なし)

【投手=勝―敗、防御率】

日12登板 6―3[防]3・00

オ28登板 3―4[防]2・35

【打撃=打―安、点打率】

日12試21―6 4・286

オ31試14―5 2・357

 69年オールスター〈1〉戦の6回、セの代打で弟・留広(パ投手)と球宴初の兄弟対決。二飛に打ち取られた。

 オールスター戦通算28登板、84奪三振は、現在も球宴最高記録になっている。


名球会といえばこの方、ご存知金田正一さん。
金田さんをおそらく生で3回は拝見しており、うち2回は千葉マリンスタジアム。
もう1回は、2006年8月に、名球会ベースボールドリームチームが四街道で試合を行ったときに、四街道の球場まで見に行ったことがあり、そこでご尊顔を拝見したことがございます。残念ながら写真は背中しな残っておりませんが(´・ω・`)





ここ数年、ますます活発でいらっしゃったので、まさか一気にお亡くなりになるとは全く予想もできませんでした。
それほど胆管炎という病気は、怖いものなんですねえ…。
どういう病気かよくわかりませんが、「胆管炎」という言葉だけで、なんとなくめんどくさそうな気はします。

カネやんといえば元ロッテの監督としても有名で、優勝した第1次政権の1974年を最後に、ロッテは「1位通過のパリーグ優勝」からは遠ざかっております。
2005年の場合は制度上「パリーグ優勝」ですが、シーズンは2位通過なんで。
あの頃、カネやんの経験もあったのだとは思いますが、まるで選手を陸上競技選手化のように、毎日のように走らせまくっていたと聞いております。
それはカネやんの経験もさることながら、当時のロッテは本拠地を持っておらず、宮城が「準本拠地」として、みな東京の家や合宿所から宮城に「通勤」していた時代で、体力をつけなければ移動に耐えられないという判断もあったのだと思います。
だってねえ、手前味噌で恐縮ですが、こんな移動とかあんな移動を繰り返していたら、そりゃあ出張族でも倒れますって。
それでも倒れずに1974年に優勝に導いたということは、泣く子も倒れるランニングに明け暮れたキャンプも、それなりに理にかなっていたということなのでしょう。


プロ野球界無類の豪放無比な過去の伝説は、きっと我々も「尾ひれをつけて」語り継ぎます。
過去の映像が時たま出ますが、ストレートは150キロは間違いなく出ていたでしょうね。本人曰く170キロは出とったわがっはっはとおっしゃるのでしょうが、170はオーバーにしても、それくらい重たいストレートが飛び出していたのは間違いないでしょう。

金田正一さん、いやカネやんのご冥福をお祈りいたします。ごゆっくりとお休みください。


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