小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

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競輪の手島慶介選手自殺か

2009-01-27 11:01:07 | 家族揃って明るく楽しい公営競技
こんの、大馬鹿野郎(殴)…

自殺か?競輪トップ選手の手島さん死去(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
競輪界に突然の悲報が走った。トップレーサーの手島慶介さん(33)=S級S班=が25日に死亡していたことが26日、分かった。死因は明らかにされていないが、関係者の複数の証言から、高崎市内の自宅で首をつって自殺したものとみられている。
  ◇  ◇
 底抜けに明るい性格で知られていた手島選手が、不可解な形でこの世を去った。関係者の複数の証言から、自宅で首をつっての自殺とみられている。
 手島選手は伏見俊昭、十文字貴信、太田真一らとともに“花の75期”として95年にプロデビュー。97年には競輪祭新人王のタイトルを手にした。03年に宿舎内への携帯電話持ち込みで1年間のあっせん停止処分を下されたが、復帰後は生まれ変わったかのように躍進。競輪界を代表する選手に成長した。昨年12月には新設G1「SSカップみのり08」の初代王者にも輝き、「09年も一戦一戦頑張っていくだけ」と力強くコメントしていた。
 しかし、選手間では手島選手の“異変”は以前から話題になっていたという。「経営していたうどん店の絡みで借金に悩んでいたらしい」「うつ病で薬を処方してもらっていた」「優勝祝いのメールを送ったけど、返信の内容は全然喜んでなかった」。死亡理由は明らかにされておらず、依然として情報は錯綜(さくそう)している。
 元群馬支部所属で、手島選手と何度もビッグレースを走った後閑信一選手は「いつも元気な手島君が、12月ごろから急に元気がなかった。心配になって『どうしたんだ?』と聞いたんですが、そのときは特に何も…。落車しても欠場せずに走り切る立派な選手だったのに、1月は走ってなかったから変だと思ってた。これからが楽しみだったのに残念です」とショックを隠しきれない様子だった。


。・゜・(ノД`)・゜・。

同世代、75期ということもあって、好きな選手だったのにな、手島…。
75期といえば、たまたまなのだけれど、1995年8月7日のルーキーチャンピオンレースを、まだ改修工事途中の西武園競輪場まで見に行ったっけなあ…。
一本かぶりの太田が2着で、裏目三千両でございました。
これは余談だけれど、このレースよりは、レースが始まる前の方がかなり印象に残っていて、レース前に走路審判が審判台に上るのだけれど、1コーナーの走路審判員が、夏の直射日光にやられたか、審判台を上る途中に地上に落下、他の係員が近寄ると、半ば笑顔で「大丈夫、大丈夫」と言っていたのに、もう一度上ろうとしてまた落下、哀れその審判は担架で退場していった記憶が脳裏に焼き付いている。

この頃から太田真一が評価はアタマ一つ抜けていて、次いで翌年のアトランタオリンピックで銅メダルを取ることになる十文字貴信…という形で、伏見もそれなりに評価はされていたけれど、手島の名前がささやかれるのはもっと後のことだったと思う。おいらも「筋金入り」の競輪ファンというわけではないから、当時ささやかれていたならごめんなさい。
どちらかと言えば遅咲きの手島も、選手としては順風満帆かに見えたのだが…。

今となっては、昨年6月の前橋のヒラのS級シリーズにSS班としては単独で名前を連ね、圧倒的な強さを見せていた姿を、お帰りせずにしっかり見ておけば…と思うも、もう時すでに遅し。
番手に付けても信頼できるし、いざとなれば自分で動いていける脚もあって、タイプ的にも好きな選手の一人だったのだが…。
もう手島の車券で勝負できないのかと思うと、本当に残念でならない。
一昨年のグランプリで、「俺の横に並んだ奴はぶっ殺す」と言い放つ姿も、もう見ることが出来ない。

手島に何があったのかは、おいらも一ファンの身、分かるわけがない。
詮索しようにも、あまりに突然のことで、おいら自身が動揺している。
ああ…。

手島慶介選手のご冥福を、謹んでお祈り致します…。

You Tube - 競輪 手島慶介(75期、群馬)

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