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食の健康保険商モリエ米店

お客様とのコミュニケーションの場として開設しました。

善通寺偕行社の生け花展に行ってきました

2010年06月08日 | Weblog
 お客様のお誘いで偕行社での生け花展に行ってきました。
押し花絵とはまた違った趣があり、けっこう楽しいものです。




 観覧のお客様の中に、お店のお客様が大勢いらっしゃって
話を聞いてみると、出展者の方に意外な方がいるのがわかって、
「ほう、あの人も生け花をなさるんだ」と
頭の中に浮かんだその人の顔が、
今までと違って、なんか凛としたイメージになったりします。


 今回お誘いを受けたお客様にはしっとりカルゲンのお客様が大勢いらっしゃって
ご挨拶をしていたら、その場でもう一人「しっとりカルゲン」のお客様をご紹介いただきました。

嬉しいかぎりです。




偕行社の雰囲気もすばらしく(なんといっても重要文化財ですから)
会場の一角に造られたお茶席では、
あまり形式ばらずに、和やかにお茶と会話を楽しんでいました。

ま、私自身は、もちろん『花より男子』のクチですけど・・・・・









日除けにゴーヤの苗を植えてみました

2010年06月05日 | Weblog
 モリエ新聞188号の裏面にちょこっと書かせてもらったゴーヤの苗のことですが、こんな感じになってます↓。
       ↓

 初めての栽培ですので、全く育て方も知らずに植えてしまい、慌ててネットで育て方を調べています。裏通りの路地でプランターに植えていたものを角鉢に移植したのですが、どうやら根っこを傷つけたみたいで、左端の苗だけ元気がありません。
 それでも、1輪だけ健気に黄色い花を咲かせています。

 なんとか実をつけてほしいと願っています。

モリエ新聞188号ができました。

2010年06月03日 | Weblog

 遠い昔、冷蔵庫の製氷室で、手作りアイスを作ってくれたことを覚えています。
もっと昔は、氷屋さんの氷で冷やす冷蔵庫の小さく残った氷を、鉋のような道具でかき氷にしてくれたことも覚えています。

 夏の日の思い出です。

 今は、スーパーやコンビニにいけば、なんでも揃っていますが、記憶に残るのは、お母さんの手作りの味。

 カルゲンエースで作ってみませんか? 





善通寺の用水路は、まるでアミダくじのようです。

2010年06月01日 | Weblog
二頭出水は善通寺市の上水の水源の1つで、
澄み切った湧水の豊富な泉(善通寺では泉のことを出水【デスイ】と呼んでいます)です。

その二頭を水源にして、JR善通寺駅の踏切をくぐり抜けるように
街中を流れる用水路が
私のお気に入りの小川です。

里山や奥山の川もいいけれど、私自身は街中の川が、好きです。

生まれ育ってきた生活の匂いが、コンクリートの裂け目から漂いでてくるような気がして
陽射しの中でも、夕暮れの家の中から漏れてくる灯りの下でも、
そこにチョロチョロとでも水が流れていれば、
ただそれだけで、何とも言えず「イイ感じ」になれます。

それでは、しばしの間、
駅前からですと、たかだか200メートルぐらいの距離を
軒下をくねくねと流れるこの用水路を見てやってください。

駅前ロータリーの西50メートルほどのところに、踏切を超えてきた用水路が見えます。
くの字に曲がっているところでも、二股になっています。



はい、くの字に曲がって、これから片原町の下をくぐり抜けます。


くぐり抜けたら、このまま中通りに向かいます。
用水路に沿って伸びる路地は、川とともに自転車一台分の道幅のまま
やっぱり中通りに抜けられます。




中通りと片原町のちょうど真ん中あたりに水門があり、
ここから3方向に別れていきます。

真ん中と左はしばらく並行して流れ、右は本筋として明るい軒下を進んでいきます。


でも、ものの10メートルでまた、二股に分かれ、別々に中通りをくぐり抜けていきます。

おじいちゃんの向こうに中通りが見えてきました。

おっ、真ん中の水路ももう少し西で中通りに出てきました。



中通りに出てきた水路の向こうに、若宮町の道路が見えています。


中通りに越えてきた川は、1本は西北に若宮町を横切って流れていきます。



もう1本は、最初の水門のところで一足先に中通りに出てきた水路といっしょになり、
若宮町に沿って北に向かいます。

わずか200メートルほどのお気に入りコースも
いよいよ最後の水門です。



本郷通の交差点で、それぞれ指定の田んぼまで無事流れ着くように
また、4本に別れて道路の下に潜っていきます。


まだ産業らしいものもなかった頃、善通寺の農家の人たちが
勾配のあまりないこの土地で、
効率良く田んぼに水を引くために作った水路でしょう。

多分、その昔は、この水路も里山の小川と同じように田畑の間をゆっくりと流れていたのだと思います。

幾時代かの時間の流れの中で、この地が街になり、
それぞれの生活風景の中でコンクリートで固められた用水路になってしまったのでしょうが、
完全に暗渠にならずに、健気に水面を覗かせ軒下をて流れていくこの小川が私の故郷の川なんです。




降水量の極端に少ない讃岐ですが、善通寺では・・・・

2010年05月30日 | Weblog
 寝る前に翌日着る服を枕元に揃えておくの
 ですが、翌日の気温が読めず、長袖にしよう
 か、半袖にしようかと迷ってばかりいる今日
 この頃です。
  なんか予測出来ない天候で、今年のお米の
 出来が不安になります。でも、今ほど気象観
 測技術のなかった時代の農家は、もっと不安
 だったはずです。そんな時代の農家の一番の
 関心事は、「水」でした。特に香川県の農家
 にとって治水は大昔からの課題だったことは教科書でも教わって
 いたのですが、その名残が当店の近所の街中にも残っています。
  片原町の駅前から中通りを通り越して、本郷通りの交差
 点に抜ける用水路があります。
  今の時期、川の脇の路地には明
 るい陽射しを浴びて季節の花々が
 咲き乱れ、コンクリートで囲まれ
 た水路の水面にも木々の緑が映え、
 配達時のお気に入りの光景です。
  その水路もよく見ると、自然に
 できた川ではなく、人間が設計した水
 路だとわかります。二頭から駅前に流れ
 てきた水①は、片原町を潜り②、戸倉医院の
 裏で水門③により3方面④・⑤に別
 れていきます。⑤でさらに2方面に分け
 られ、中通りを渡ります。犬猫病院の
 長崎さんの横⑥から若宮町に抜けると⑦、
 1本は魚七さんの横に流れ、もう1本は
説教所の西⑦に流れていきます。
すぐに本郷通りですが、ここで
も4筋の水路に分けられます⑧。
 やがて稲木、下吉田の田んぼ
に行き着くのですが、1つの水源
を上手に使った先人の知恵には
ただ驚くばかりです。
・・・この項、続く。